東急7700系電車

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テンプレート:Pathnav テンプレート:鉄道車両 東急7700系電車(とうきゅう7700けいでんしゃ)は、1987年昭和62年)8月1日に営業運転を開始した東京急行電鉄通勤形電車。1987年(昭和62年)から1991年平成3年)にかけて7000系(初代)を改造した車両である。

本項では、東急から十和田観光電鉄(十鉄)に譲渡された車両についても解説する。

なお、本項では解説の便宜上大井町五反田目黒寄り先頭車の車両番号+F(Formation=編成の略)を編成名として記述(例:クハ7901以下4両編成=7901F, クハ7915以下3両編成=7915F)する。

概要

1962年に登場した7000系は、その後投入された7200系などの車両が1986年度末にほとんど冷房化される中、床下に冷房用の電源を設置するスペースがないことや、冷房装置搭載にともなう重量増に台車が対応できないことから冷房化が行われていなかった。また、製造より25年が経ち、電機品(電装品)や内装の老朽化・陳腐化が進んでいた。

しかし、7000系の車体はステンレス製であるため腐食による「痩せ」がなく、溶接部分が新製時の状態を維持していれば強度が落ちていないことが予想された。そこで実際に荷重試験を実施したところ強度が低下していなかったことから、骨組みと外板を残してそれ以外の、台車、電機品、および内装などを総取り替えし、その上で冷房装置を搭載する改造がなされることになった。これが7700系である。現在、その構体は50年以上使用し続けられている。

冷房装置は9000系と同一品だが、キセ(カバー)のみ日比谷線車両限界に対応するため両肩部を斜めに削った形状とされた。10,000kcal/hの分散式で、1両あたり屋根上に3基搭載されている。これらの重量増を考慮して、車体の横骨や、屋根部分にが追加された。なお、7000系時代に設置されていた扇風機はまだ新しかったため、補助送風機として存置されている。

床下機器はほぼ全面的に交換され、モーター(主電動機)は定格出力60・70kW複巻整流子電動機から170kWの三相交流かご形誘導電動機に、主制御器抵抗制御からGTOサイリスタ素子によるVVVFインバータ制御[1]にそれぞれ変更され、モーターの出力増強に伴い編成構成が全電動車から、MT比1:1(4両編成時)[2]となった。

ブレーキ方式は、当初7000系の回生ブレーキ併用電磁直通空気式 (HSC-R) が引き継がれたが、当初より目蒲線に投入された7911F以降(→東急7700系電車#歴史)は電気指令式 (HRA) に変更され、HSC式の編成も後に電気指令式とされた[3]。また、ブレーキや空気バネなどに圧縮空気を供給する空気圧縮機 (CP) は、当初HB1500系とHS20系の2種類が併用されたが、後にすべてHS20系に統一された。

台車は老朽化が進んでおり、また、先述のとおり冷房装置搭載による重量増、および主電動機の交換にも対応できないため、バッド社・パイオニア III 形の技術提携による軸ばねを省略した一自由度系台車のTS-701から、8000系のTS-807(動力台車)、およびTS-815(付随台車)台車と同系の、TS-832(動力台車)、TS-835(付随台車)に交換された。この時期すでに9000系でボルスタレス台車が採用されていたが、当形式では流用する車体の状態が良く、台枠にも手を加える必要がなかったため、台枠構造に合わせたボルスタ付き台車とされた。

運転台では、操作系を主幹制御器とブレーキハンドルが独立のものから、ワンハンドル式へ変更され、コンソールも一新された。戸閉灯を大形化して電球からLEDに変更、ワイパーは空気式から電動式の大型のものに変更、雨樋の設置、警笛に電子ホーンの追加、側窓は上段下降・下段上昇式からバランサー付の上段下降・下段固定式に変更(1978年から1980年に車体更新が行われた車両を除く)などが行われ、窓枠部分が目立たなくなるなど、外観の印象も若干変わった。

ファイル:Tokyu-7700-interior.jpg
車内の様子
仕切りが設けられ、区画ごとに色分けされた座席が特徴

内装では、座席配置は改造前と同様の全席ロングシートだが、座席表地の2色化と袖仕切りの新設が行われ、そのほか、化粧板と床材をすべて張り替え、室内灯の増設、非常通報装置を紐式から押しボタン式に変更されるなど、9000系に準じたリニューアルが行われた。

混雑率が低い路線のみで使用されることからドア脇への立ち席スペースの確保はなされていない。

本系列の改造工事は東急車輛製造甲種輸送しての施行または長津田車両工場内の東横車輛電設(現・東急テクノシステム)において実施された。

当初は7000系と同様に前面も無塗装だったが、同系列との識別を容易とするために、第1編成の営業運転開始後に赤帯が入れられた。その後、1988年春からステンレス車全系列に赤帯を入れることになり、7000系にも赤帯が入れられたが、本系列より太い帯として区別された。

形式と編成

1編成4両を基本として以下のように改造された。

最短でクハ7900形とデハ7700形の2両編成での運転が可能となっている。現在、譲渡車も含めてすべての編成で車両番号の下2桁が揃っている。

  大井町五反田目黒
形式 詳細
クハ7900形 デハ7000形奇数番号車から改造された制御車
モーターは撤去され、120kVA出力の静止形インバータ (SIV) と空気圧縮機 (CP) などの補機類を搭載する。
デハ7800形 デハ7100形偶数番号車から改造された電動車。
モーターとパンタグラフや主制御器などの走行機器を搭載する。
サハ7950形(現在は廃形式) デハ7100形奇数番号車から改造された付随車
モーターは撤去され、CPを搭載していた。
デハ7700形 デハ7000形偶数番号車から改造された制御電動車。
デハ7800形に運転台を取り付けた構造である。
二子玉川園(当時)・蒲田

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歴史

本系列は目蒲線(当時)用として改造されたが、4両編成での使用予定に対して当時同線のホームは3両分だったため、初期の改造車は暫定的に4両編成+2両編成の6両編成が組まれ、1987年8月1日から1988年(昭和63年)秋までの約1年間大井町線で使用された。このような編成は7910Fまでの10本(この時点では連結のため6両編成×5本)が該当する。なお、当初ブレーキ方式がHSC式であったこのグループは、7905 - 7910Fは1990年秋から1991年夏に、7901 - 7904Fは1992年度初頭よりHRA式に改修された[4]

1989年平成元年)には目蒲線駅ホームの4両編成対応化工事が完了し、大井町線投入分は他系列に置き換えられる形で同線に転属した。順次2両編成に対しての中間車増結と7911F - 7914Fの4本の増備が行われ、4両編成14本計56両の陣容となった。

1994年(平成6年)には、1998年(平成10年)3月からワンマン運転を実施する池上線用の7200系を置き換えのため、最終3本が中間付随車のサハ7950形を切り離した3両編成となって同線に転用されることとなった。当初は7913Fと7914Fの2本のみが転属し、7912Fは余剰となったサハ7950形を活用すべく電装が行われたデハ7815(←サハ7962)を組み込んだまま目蒲線に残留した。この時にデハ7815は他編成と同じ機器ではなく、東急初のIGBT-VVVFインバータ装置[5]とシングルアーム式パンタグラフを搭載[6]する実用試験車とされた。3編成とも翌1995年(平成7年)から運用開始し、同時に7913Fと7914Fから抜き取られたサハ7963・7964の改造も進められた。

1996年(平成8年)7月には、サハ7963・7964が先頭車改造と電装[7]を受け、クハ7915(←サハ7963)とデハ7715(←サハ7964)として出場した。[8]デハ7815はこの2両の中間に移され、3両編成となった7912Fとともに翌8月26日より池上線で営業運転を開始した。この時点で56両のまま4両編成11本・3両編成4本の陣容となった。

新たに改造された7915Fの構成は以下のとおりである。

  ↑五反田
形式 詳細
クハ7915 サハ7963から改造された制御車。
CPを搭載する。
デハ7815 サハ7962から改造された電動車。
CPやモーターとパンタグラフや主制御器などの走行機器を搭載する。
デハ7715 サハ7964から改造された制御電動車。
CPは撤去され、モーターとパンタグラフや主制御器などの走行機器とSIVを搭載する。
この車両のSIVは主制御器と一体である。
↓蒲田

この編成のパンタグラフ搭載位置は他編成が大井町・五反田・目黒寄りの車端であるのに対し、蒲田寄りの車端となっている。既存の冷房機器の間に割り込むように設置されているため、配管などの配置も異なっている。7715号のインバータ装置は3群で構成し、通常は2群をVVVFインバータとして、1群を静止形インバータ(140kVA出力)として使用する「デュアルモード」方式を採用し、故障時の冗長化を図っている。

2000年(平成12年)8月6日の目蒲線の東西分断に伴い、本系列の運転区間は南側の東急多摩川線内に縮小された。3本が余剰となり、残った編成もすべてサハ7950形が抜かれて3両に短縮された。余剰車は3本分の先頭車6両が2年間の留置の後に十和田観光電鉄に譲渡された以外すべて廃車・解体され、初の廃車が発生するとともにサハ7950形が形式消滅した[9]

2007年(平成19年)11月現在、東急では3両編成12本36両が雪が谷検車区に在籍する。全車がワンマン運転対応改造を受けており、池上線と東急多摩川線で両線用の1000系7600系全編成と共通運用されている。なお、3両編成化の際、サハ7950形に搭載されていたCPはデハ7800形へ移設されている。

保安装置は東急形ATS装置とTASCを搭載する。なお、通常のブレーキは運転士のブレーキ操作が優先であり、定位置停止に対しブレーキの遅れや不足があった場合はTASCがブレーキを補足する。併せて設置した情報伝送装置は地上子の情報を検知してTASCに伝える機能があり、TASCはこの情報を元に停止位置、速度を検知してブレーキ補足操作を行う。なお、本系列は目黒線田園都市線用のATC車上装置が搭載されていないため、車輪の転削や全般検査などで長津田検車区回送される際にはデヤ7500形とデヤ7550形の中間に挟まれて回送される。

編成・車体カラー

ファイル:Tokyu7700cab.jpg
7700系貫通形の
ワンマン運転改造後の運転台

上記の経緯により、東急では同一形式内で大きく分けて3形態が存在する。前記したが、2000年以降全編成がワンマン運転に対応しており、運転台にワンマン機器、車上ITV(ホーム監視モニター)、自動放送装置が設置されている。また、車掌スイッチは電気接点式の押しボタン式化や車外スピーカーの設置、TASC, 情報伝送装置を設置した。また、前面貫通扉と運転室と客室の仕切りが交換され[10]、搭載機器の増加もあって以前より運転室面積を拡大[11]されている。

また、車内非常通報装置を対話式に変更して3台に増設、同年から2002年交通バリアフリー法に対応するために全編成のデハ7800形の座席が一部撤去され、その部分に車椅子スペースが設置された。

7901F - 7911F

ファイル:Tokyu 7000 Midorigaoka.jpg
7910Fの種車となった7001F

目蒲線投入後、2000年の路線分断まで同線で4両編成を組んでいたグループで、先頭車の前面に細い赤帯が入っている。7904F・7909F・7911Fは路線分断時に運用離脱し、残る8本がサハ7950形の抜き取りと7912F - 7915Fと同等のワンマン運転対応改造が行われて現存している。前面の行先表示器は7912F以降に合わせてLED式に変更されたが、その後も車体装飾の変更や側面行先表示器の追加などは行われていない。

7910Fの種車は7000系で最初に落成した(製造は1961年12月、入籍は1962年1月)した第1編成であり、構体は2012年1月に50周年を迎え、東急の鉄道車両の中では最も経年が古い。なお、同編成は2012年4月16日より、池上線開業90周年を記念して前面の赤帯を撤去して「クラシックスタイル」として運用されている[12][13]

7903Fは「多摩川アートラインプロジェクト アートウィーク2007」の一環として2007年(平成19年)11月3日から同年11月30日まで前面貫通扉にシンボルマークが、それ以外に虹の7色の縦1本の線がラッピングされた「レインボートレーン」としてラッシュ時以外は基本的に東急多摩川線内で限定運用されていた。

7912F - 7914F

池上線のワンマン化に備えて1995年から1996年に目蒲線から池上線に転用されたグループで、転属の際に上記のワンマン運転改造が施工され、他編成との区別のために前面が中央が黒・その両隣にL字形の赤帯[14]・側面がドア以外の低い位置に太目の赤帯という塗装に変更された。同時に幕式だった行先表示器がLED化され、側面にも1両当たり片側に1か所ずつ追加で設置され、サボ受けが撤去された。[15]

7915F

2010年9月廃車

1996年に7912F - 7914Fから抜かれたサハ7950形3両を組み合わせて組成された編成で、前記したように中間車のみ改造が1年早い。機器類が他の14本と異なり、制御装置の素子にはIGBTを採用している。そのほか前面や運転台、運客室仕切部形状は1000系に準じており、部品が共通化されている[16]。3両編成完成時にワンマン運転対応設備と側面帯が装備され、池上線に投入された。

当初は車両間に転落防止幌が設置されていたが、その後撤去されている。また、運転台右端に列車情報モニタ装置ディスプレイ[17]が設置されていたが、これもその後撤去されている。

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十和田観光電鉄譲渡車

ファイル:TowadaKanko Moha7700-7701.jpg
十和田観光電鉄モハ7700形
(2007年9月13日 / 十和田市駅)

2002年に余剰となっていた7904F・7909F・7911Fの両先頭車6両が同じく余剰となっていた7200系2両とともに青森県十和田観光電鉄に譲渡された。VVVFインバータ制御車の他社譲渡はこれが日本初である。形式称号は7700系のまま、「デハ」の呼称が「モハ」に、車両番号の末尾2桁が若い順に01 - 03に振り直されている。

外観は側面のコーポレートマークの交換や、連結面に転落防止幌の設置や、前面貫通渡り板の撤去を行った程度だが、入線に際して自動放送装置などのワンマン運転対応設備と運賃箱整理券発行器・運賃表示器・車内監視カメラ・非常通報装置が新設された。なお、車内のつり革には東急グループの東急百貨店Bunkamuraの広告が残っている。

同時に座席モケットが新品に交換され、交通バリアフリー法に対応して、編成から外された車椅子スペース設置車のデハ7800形に代わってクハ7900形に一部座席を撤去した上で車椅子スペースが設置されている。

また、オールステンレス車体、VVVFインバータ制御、SIV, 平行カルダン駆動、ワンハンドルマスコンかつ電気指令式ブレーキ、冷房装置、車椅子スペースは十鉄としては本系列が初の導入となった。

十和田観光電鉄線の廃止に伴い、2012年(平成24年)3月末をもって運用を終了した。

今後

2007年(平成19年)度より東急電鉄では新型車両7000系(2代)の導入を開始した。これにより、2011年(平成23年)度までに池上線・東急多摩川線に在籍する3両編成28本(1000系13本、7600系3本、7700系12本)中19本が、この新7000系に置き換わるとしていた。ただし、新7000系の2011年度末(2012年3月31日)時点の在籍数は予定増備数を下回る3両編成7本にとどまっている[18]

新7000系の増備に伴い、7915Fは2010年7月に休車となり、同年8月9日に長津田検車区へ回送された[19]。同車は同年9月21日付で廃車・解体処分となった[20]。その後、2011年度には7913Fが2011年7月・8月に廃車・解体処分された[21]

その後、2014年度以降の在来車の置き換えは7000系の新製ではなく、東京メトロ副都心線との相互直通運転に伴って営業運転を終了した東横線用の1000系を改造した1000系1500番台の導入によって行われている[22][23]。1000系1500番台の営業運転開始により、2014年4月に7908Fが営業運転を離脱し、搬出されている[23]。続いて5月には7910Fが営業運転を離脱し、長津田車両工場へ回送された[23]

脚注

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参考文献

  • 荻原俊夫 「VVVFインバータ車7700系登場」『鉄道ファン』1987年10月号(通巻318号)、交友社、1987年。
  • 上口英一 「東京急行電鉄7700系」『鉄道ピクトリアル』1987年10月号(通巻485号)、鉄道図書刊行会、1987年。
  • 上口英一 「東京急行電鉄7700系」『鉄道ピクトリアル』1988年5月号(通巻496号)特集・新車年鑑1988年版、鉄道図書刊行会、1988年(1つ上とほぼ同じ内容)。
  • 荻原俊夫 「東急7000系ものがたり〔後編〕」『鉄道ピクトリアル』1991年10月号(通巻549号)、鉄道図書刊行会、1991年。
  • 内田英明 「東京急行電鉄7700系3両化工事」『鉄道ピクトリアル』1995年5月号(通巻612号)特集・新車年鑑1995年版、鉄道図書刊行会、1995年。
  • 内田英明 「東京急行電鉄7700系先頭車化改造車」『鉄道ピクトリアル』1997年10月号(通巻644号)特集・新車年鑑1997年版、鉄道図書刊行会、1997年。

外部リンク

テンプレート:Sister

テンプレート:東京急行電鉄の車両
  1. 東洋電機製造製。主制御器1基で1両分4個のモーターを制御する「1C4M」方式。なお、7000系時代は同2両分8個の「1C8M」方式だった。
  2. パンタグラフ付きの車両(車両番号が偶数)はモーター付き、パンタグラフなしの車両(車両番号が奇数)はモーターなしとされた。
  3. 同時期にVVVFインバータのソフトウェアの変更が行われたといわれており、当初7600系と同じだった磁励音から現在の音に変わったとされる。
  4. 鉄道ジャーナル社「鉄道ジャーナル」1992年7月号MINI TOPICS 120頁「東急目蒲線に1000N系再登場」記事。
  5. インバータ装置のメーカーは他編成のGTO素子と同じ東洋電機製造である。IGBTの制御素子は同社としても初の採用だった。また、在来車での「1C4M」制御に対して「1C2M」2群制御である点も特徴である。
  6. 冷房装置を移設せずにパンタグラフを搭載するための措置。一般に、シングルアーム式の方が通常のパンタグラフより占有面積が小さい。
  7. サハ7964のみ、内容は基本的にデハ7815に準じる。
  8. 施行は東急車輛製造に甲種輸送して実施。
  9. テンプレート:Cite journal
  10. 仕切窓や仕切扉を更新し、窓の小形化や右側の窓を除き遮光ガラス化、遮光幕を下降式の遮光板化などが実施された。
  11. 仕切り設置位置が100mm後退し運転室奥行きを1,270mmから1,370mm化、中央の仕切扉がやや車掌台側に寄る。
  12. 東急7700系7910F 前面赤帯を撤去して運用 - 鉄道ホビダスRMニュース(ネコ・パブリッシング) 2012年4月18日
  13. テンプレート:PDFlink - 東京急行電鉄ニュースリリース 2012年4月23日
  14. 歌舞伎隈取(くまどり)に似ていることから「歌舞伎塗装」の通称がある。
  15. 撤去跡はネジで塞がれている。
  16. 当初から各駅停車以外の運用を持たないことから本系列で唯一急行灯が設置されていない。他の14本も既に使用停止している。
  17. 9000系や1000系で採用された、プラズマディスプレイに故障時のガイダンス処置を表示するモニタ装置の発展形。機器の動作状態や故障時のガイダンス処置を表示する乗務員支援装置。
  18. 「大手私鉄車両ファイル 車両配置表」『鉄道ファン』2012年8月号(通巻616号)付録、交友社
  19. 東急7700系7915編成が長津田検車区へ - 交友社railf.jp(『鉄道ファン』)、2010年8月10日
  20. 交通新聞社「鉄道ダイヤ情報」2011年1月号私鉄車両のうごき記事参照
  21. 交通新聞社「鉄道ダイヤ情報」2012年1月号私鉄車両のうごき記事参照
  22. イカロス出版「私鉄車両年鑑2014」「東急電鉄1000系1500番代」記事。
  23. 23.0 23.1 23.2 鉄道ジャーナル社「鉄道ジャーナル」2014年9月号「東京急行電鉄最近の動き」記事。