東急7200系電車

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テンプレート:半保護 テンプレート:鉄道車両 東急7200系電車(とうきゅう7200けいでんしゃ)は、1967年昭和42年)3月27日に営業運転を開始[1]した東京急行電鉄(以下 東急)の通勤形電車

1967年から1972年昭和47年)にかけて53両が導入され、田園都市線東横線目蒲線大井町線、および池上線で使用されたが、1000系、および新3000系による置き換えならびにVVVF制御車両7600系への改造などにより、2000年平成12年)8月4日をもって通常の営業運転を終了し、同年11月12日さよなら運転を行った。

その後は1991年(平成3年)に電気検測車(試験車)およびその動力車へ改造された事業用車2両が在籍していた。ただし、デヤ7200は2013年11月に除籍されたが[2] 、デヤ7290は2013年度末時点で在籍している[2]1998年(平成10年)には軌道検測車サヤ7590が導入された。

概要

東急では1962年昭和37年)から東横線の輸送力増強および地下鉄日比谷線乗り入れ用として7000系を設計・導入し、1966年(昭和41年)からは田園都市線溝の口駅 - 長津田駅間延伸用に引き続き7000系を増備した。

しかし、7000系は地下鉄乗り入れに必要な性能を満たすため全電動車方式であり、東横線では急行用としてもその性能が生かされたが、東横線以外の各線(田園都市線、目蒲線、および池上線)では必ずしもそこまでの性能を必要としておらず、導入費および保守費の高さが問題となっていた。

そこで、7000系の両数が134両に達した1967年(昭和42年)に、MT比動力車付随車の構成比)を1対1としたモデルチェンジ車として、7200系を設計・導入した。

車体は7000系同様の18m級オールステンレス車体(アルミ合金で製造された2両を除く)で、側面の客用ドアは3か所。ただし、正面は「く」の字状に上下左右に折れ曲がった「ダイヤモンドカット」と呼ばれる特徴的なデザインを有する。

構造

車両番号の下2桁が50番台の車両は東洋電機製造製の制御装置を搭載し、それ以外の車両は日立製作所製の制御装置を搭載する。なお、当初は東洋車についても0番台であったが、途中で変更・改番されており、併せて日立車にも改番が発生した。このようになったのは7000系が電装品による番台区分がされなかったことに対しての反省であると推定されるが、7000系が電装品による運用の違いがあったのに対し、7200系は共通運用であったため、ほとんど意味はなかった。

抵抗制御方式、界磁調整器もしくは界磁制御器による回生ブレーキを使用している。主電動機出力110kW、歯車比は日立製・東洋製とも5.73である。

旧5000系と同じく1M方式で、電動車付随車制御車)の組み合わせにより自在に経済的な編成を組成することが可能である。同系よりも定格速度は低い。起動加速度MT比1:1で2.5km/h/s[3]、2:1でで2.8km/h/s[4]、3:1で3.2km/h/s[4]である。

目蒲線・池上線での運用を考慮し[5]、車幅を地方鉄道車両定規に収め、当時の東急の鉄道線全線に入線可能とした[6]。地上線専用として屋根・天井が高くなった車体断面は8000系へとつながる。

東急の軌道線用のデハ150形に続いて、関東大手私鉄の鉄道線用車両で戦後初めて1段下降式窓を採用した。

目蒲線と池上線での運用時は、両線で初の冷房車となった。冷房装置は8000系と同一の分散式を各車に4基搭載する。

台車は電動車がTS-802形、付随車はPIII-707形パイオニア台車とした。

連結面は広幅貫通路であるため、後の3両編成化時に連結面と編成中間に組み込まれたデハ7200形の運転台側を連結する際は、8500系の付随車代用としてクハ8000形を組み込んだ編成の当該連結面や貫通扉増設車の連結面と同様に、連結面側の貫通路をステンレス板で狭めて対応していた。

運用

多摩田園都市の開発により急速に乗客が増加していた田園都市線1967年(昭和42年)から1968年(昭和43年)にかけて導入されたほか、1972年には1編成のみではあるが目蒲線初の冷房車として目蒲線にも導入された。

当初は田園都市線(1967年当時は大井町駅 - 二子玉川園駅 - 長津田駅間)用として製造された。本系列登場時の同線は大井町駅 - 鷺沼駅間を4両編成で、同駅で2両を切り離して以西を2両編成で運転していたため、2両+2両の編成を基本としていた。

全盛期には目蒲線(現・目黒線および東急多摩川線)用の3両編成1本を除いて田園都市線(現行の大井町線区間も含む)と東横線で使用された。そして1980年代半ば以降は目蒲線と池上線で使用された。なお、東横線での急行運用時は7000系・6000系8000系と同様に先頭車の前面と側面に「急行」の種別板を装着して運用していた。

形式

当初の計画ではデハ7200形 (Mc)、デハ7300形 (M)、サハ7400形 (T)、クハ7500形 (Tc) の4形式を予定していたが[7]、実際に製造されたのは下記の4形式53両[8]である。なお、以下に示す番号は改番後のものである。

デハ7200形
1967年に登場した渋谷向き[9]制御電動車。オールステンレス車が22両(日立車12両:デハ7201 - 7212、東洋車10両:デハ7251 - 7260)とアルミ車が1両(日立車:デハ7200)製造された。
デハ7300形
1969年に登場した中間電動車。オールステンレス車が3両(日立車2両:デハ7301 - 7302、東洋車1両:デハ7351)製造された。
当初は4両編成用の中間車として製造されたため電動発電機と空気圧縮機を搭載していなかったが、1984年以降の3両編成化に伴いこれらの機器を搭載した。
デハ7400形
1969年に登場した中間電動車。オールステンレス車が4両(日立車2両:デハ7401 - 7402、東洋車2両:デハ7451 - 7452)製造された。
デハ7300形と違い、製造当初より電動発電機と空気圧縮機を搭載するため形式が分けられた。東洋車がデハ7300形より1両多いのは下記の目蒲線用新製冷房車に3両編成の中間車として製造されたためである。
クハ7500形
1967年に登場した桜木町向き[9]制御車、オールステンレス車が22両(日立車12両:クハ7501 - 7512、東洋車10両:クハ7551 - 7560)とアルミ車が1両(日立車:クハ7500)製造された。冷房化後は電源用の電動発電機または静止形インバータを搭載した。

歴史

ファイル:Tokyu 7200 lastrun.jpg
7200系さよなら運転の様子
(2000年11月12日 / 旗の台駅)
  • 1967年(昭和42年)3月27日 - 田園都市線に導入される[1]
  • 1967年(昭和42年)12月12日 - アルミ試作車(7200 - 7500号車)が導入される[1]
  • 1972年(昭和47年)4月20日 - 一部の車両が田園都市線用の冷房車となる[1]。これはデハ7251 - 7254とクハ7551 - 7554の8両に冷房化が実施されたものである。
  • 1972年(昭和47年)5月8日 - 目蒲線に7260編成(3両:デハ7260-デハ7452-クハ7560)が7200系唯一の新製冷房車として登場した[1]。東横線などへの冷房車の投入などに比して、旧型車がほとんどの目蒲線・池上線との格差の発生に配慮したものといわれている。この編成は後々、両線での7200系さよなら運転に使用されることになる。
  • 1984年(昭和59年) - 冷房化したデハ7300形またはデハ7400形を組み込んだ3両編成を目蒲線に増発、池上線で初の冷房車として運転開始。
  • 1987年(昭和62年) - 目蒲線・池上線に7200系全車を集約させる際に、M車(電動車)が不足しTc車(制御車)が余剰となることから、クハ7500形6両が7600系に改造された。その後、断続的に改造が行われ、最終的には9両が7600系となる。また、同年にアルミ車を除くすべての7200系の冷房化が完了する。
  • 1988年(昭和63年) - 春から、7000系・7600系・7700系・8000系と共に先頭車の前面に赤帯が施された。ただし、編成の中間に組み込まれた先頭車には貼られなかった車両もある。
  • 1989年(平成元年)3月12日 - 3月19日からの目蒲線4両編成化に伴い、7600系を含む全編成が池上線配属となった。
  • 1992年(平成4年) - 1000系が池上線に配属されると10両が廃車となり、上田交通(現・上田電鉄)に譲渡されるとともに、20両が4両編成化されて目蒲線に転属した。目蒲線での使用は3年ぶりとなる。
  • 1995年(平成7年) - 7700系がワンマン運転対応改造の上で池上線に配属された際に、残りの12両も目蒲線に転属した。同年10月までに池上線での運転は終了した[10]
  • 2000年(平成12年)8月4日 - 8月6日の目蒲線の目黒線と東急多摩川線への分割に伴い、非ワンマン車両だった7200系はこれに先立ち、朝の運用をもって営業運転を終了した。
  • 2000年(平成12年)11月12日 - デハ7260-デハ7452-クハ7560の編成を使用して池上線・東急多摩川線でさよなら運転が行われる。この運転時は赤帯を剥がした上で走行した。

方向幕について

本系列は先頭車正面に行先方向幕が設置されている。これは手動式であり、ハンドルを回して行先を変えるが、1986年(昭和61年)頃に下記の2編成で電動化および側面表示器を新設した。この6両のみ1992年以降の目蒲線移籍時までは黒幕だった(それ以外の車両は白幕)。編成は以下の通り。

  • デハ7205-デハ7401-クハ7505
  • デハ7251-デハ7351-クハ7551

1993年にクハ7551が上田交通に譲渡されたため、代わりにクハ7554の正面方向幕を電動式に改造した。なお、側面への方向幕設置は見送られている。

目蒲線で最後まで使用された7200系

目蒲線において最後まで使用された編成は以下の4両編成8本である。

目黒/蒲田

3M1T編成

  • デハ7201-デハ7212-デハ7301-クハ7501
  • デハ7203-デハ7256-デハ7202-クハ7502
  • デハ7206-デハ7208-デハ7302-クハ7508
  • デハ7209-デハ7259-デハ7207-クハ7507
  • デハ7211-デハ7204-デハ7210-クハ7504
  • デハ7251-デハ7351-デハ7401-クハ7554
  • デハ7260-デハ7451-デハ7452-クハ7560

2M2T編成

  • デハ7205-クハ7552-デハ7255-クハ7505

最終的に目蒲線に配置された7200系は同線で終焉を迎える。編成は3M1T車が7本、2M2T車が1本である。同線の4両編成での電動幕は7251編成のみ使用可能であった。なお、8本のうち7205編成は予備的な存在であり、使用されることはほとんどなかった。これは目蒲線で運用されている7700系2M2Tの起動加速度は3.0km/h/s、7200系3M1Tの起動加速度が3.2km/h/sであるのに対し、2M2T組成である7205編成では2.5km/h/sと低く、運行ダイヤに乗りにくいためであった。しかし、7700系のワンマン化工事等で予備車の不足が発生する1999年(平成11年)頃からは使用されることとなる。

また、後年の変化として1995年(平成7年)より7201編成・7206編成・7203編成の3編成12両で化粧板修繕工事(化粧板張替え)が実施された。これは登場から30年近く経年し、化粧板が老朽化したためである。このほか1996年(平成8年)にはクハ7501とクハ7508のパイオニア台車を7700系7915編成の改造工事による同編成から不要となった付随台車を改造(TS-835形→TS-839形)したものに交換した。

アルミ試作車→事業用車

デハ7200-クハ7500は、アルミ車体の試作車両として製造された。これはメーカーであり東急グループである東急車輛製造のアルミ車製作技術習得の目的があった。当初は無塗装であったが、汚れが目立ちやすかったため後にメタリックグレーに塗装された。外観は、コルゲートがステンレス車に比べ少ない、幕板部分のコルゲートがないなど、ステンレス車より若干平滑なデザインになっている。

テンプレート:Double image aside 当初は他の7200系編成とともに田園都市線、そして大井町線で運用されていたが、後にこどもの国線専用車となって1989年(平成元年)まで営業車として運用した。この際、黄緑色の帯を車体に貼り、こどもの国のマークを貼って運転された。その後の田園都市線のATC化に伴い、先代の動力車デハ3499架線検測車デヤ3001が同線を走行できなくなるのを受けて、デハ7200は両運転台・動力車化の改造を受けてデヤ7200に、クハ7500は両運転台・電動車(7600系デハ7673への改造に伴い捻出されたデハ7402の電装品を利用)・架線試験車化の改造を受けてデヤ7290とした。両運化に伴う新設側運転台は、切妻形で配管が露出し方向幕は正面左側窓に吊り下げ式の簡易な構造。両車ともATC車上装置を搭載し、マスコンは他系列と共通のワンハンドル式としたが、ブレーキ方式は他系列の電気指令式 (HRD) とは異なり、新造時からの電磁直通式HSC-RをHRDに近い機構に改造して使用している。また、HRDの他、9000系などのHRAブレーキの制御指令の読み替えをすることもできるが、新3000系などのHRDAには対応していない。なお、後述するサヤ7590のブレーキはHRDとなっている(後述)。車体が黄・赤・青の派手な塗装であることから「派手車」という愛称もあった。

ファイル:Tokyu-7200-todoroki.jpg
廃車前日の2013年11月10日、等々力陸上競技場前広場で展示されたデヤ7200

奇数月に東急全線および横浜高速鉄道みなとみらい線を3両で検測走行した他(軌道線の世田谷線は除く)、不定期でサヤ7590を抜いた2両でATC車上装置を搭載しない池上線・東急多摩川線の車両(ATC車上装置を搭載する7000系は除く)の車輪転削や検査などでの回送牽引車として使用された。 界磁制御器を撤去しているため、回生ブレーキ機能を持たないほか、力行時の弱め界磁制御ができないため中速以上の加速性能も悪くなっている。

2012年3月に新検測車となる7500系「TOQ i」が導入されるのに伴い、同年2月26日さよなら運転を行った[11][12]。なお、サヤ7590は置き換えはされず、連結相手を7500系「TOQ i」に変更し、継続して使用される[13]。一方デヤ7200は2013年11月10日Jリーグ川崎フロンターレの試合前イベントとして等々力陸上競技場前広場にて展示され、その後解体される予定となっている[14]

軌道検測車

当時検測車として使用されていたデヤ7200・デヤ7290に組み込んで使用する軌道検測車として、サヤ7590が1998年(平成10年)1月に製造された[15]。入籍は同年3月30日、本格的な稼動は同年5月からである[15]

車体については、ステンレス鋼製となっており、外観は当時使用されていた検測車デヤ7200・デヤ7290に合わせたカラーリングをまとっている[16] 。連結面寄りは8000系同様の貫通開き戸を設置しているほか、側面には作業者の出入り用の側開き戸が設置されている[15]。側面には側窓が4か所設置されており、中央の2か所は固定窓、連結面寄りの2か所は開閉可能な下降窓構造となっている。空調装置は9,000kcal/h容量の冷房装置を2台搭載し、車内には扇風機3台が設置されている[15]

台車については、検測装置を取り付けることから、3台車方式となっている[16]。両端(連結面寄り)の台車はTS-333形で空気バネ方式、中間の台車はTS-334形でコイルバネ方式である[16]。いずれも軸箱支持は軸箱守(ペデスタル)方式で、基礎ブレーキ装置はTS-333形のみ両抱き踏面ブレーキを装備しており、中間台車のTS-334形にはブレーキを装備していない[16]

台車には渦電流式変位検出器、光式レール変位検出器、ガードレール検出器といった各種検出器が装備されている[15]。また、軌道検測時の精度を確保するため、滑走防止装置が設けられている[16]連結器は動力車との頻繁な連結・解放作業が行われることから、自動密着連結器構造となっている[15]

室内は、当時主力車両として使用されていた8000系の室内更新車に準じた内装カラーとしている[15]。室内の中央付近は高床構造として検測機器を設置している[15]。上り側(渋谷寄り)にはロッカーと打ち合わせ用のテーブルを配置し、下り寄りには3人掛けのロングシートが両側面に設置されている[15]

本車両に搭載される軌道検測装置は以下の10点で構成されている[15]

  • 変換器(9台:通り変換器3台・高低変換器6台)
  • 渦電流式変位検出器(6台)
  • 光式レール変位検出器(2台)
  • 動揺加速度検出器(2台)
  • ファイバージャイロ装置(1台)
  • ガードレール検出器(4台)
  • 距離パルス発生器(1台)
  • 電源装置(2台・無停電電源装置を含む)
  • 演算処理装置(3台)
  • データ処理装置(1台)

他鉄道事業者への譲渡

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上記のアルミ試作車2両と、7600系に改造された9両を除く42両全車が他鉄道事業者に譲渡され、2012年3月末日現在でそのうち34両が営業運転に使用されている。

上田交通(→上田電鉄)7200系
デハ7200形、クハ7500形各5両の計10両が1993年に譲渡された。1000系の入線に伴い、2008年に6両が廃車となり、うち2両が豊橋鉄道に、2両が東急車輛製造に再譲渡された。
豊橋鉄道1800系
デハ7200形15両、デハ7300形3両、デハ7400形3両、クハ7500形9両の計30両が2000年に譲渡された。デハ7200形のうち3両は部品取り車となったが、2001年に火災により営業運転中の車両が2両廃車されたため2両がその代替車となり、残り1両も2008年に上田電鉄から譲渡を受けた2両と編成を組んで営業運転に使用されている。
十和田観光電鉄モハ7200形・モハ7300形
デハ7200形2両(デハ7211・デハ7259)が、両運転台構造に改造された上で、2002年に譲渡されモハ7204・モハ7305となった。新設側の運転台は切妻形で、伊豆急行8000系先頭車化改造車に類似している。2012年3月31日、廃線に伴い全廃。2014年6月、大井川鐵道に再譲渡された。
大井川鐵道
2014年6月、廃止となった十和田観光電鉄から2両の譲渡を受けた。運行開始時期は2014年の冬を予定している。[17]

このほか、伊豆急行の1960年代の夏季多客時輸送にデハ3600形・クハ3670形や7000系などと同じく、同社に貸し出されたことがある。 テンプレート:-

静岡鉄道1000系電車への波及

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静岡鉄道1000系電車は、7200系を基本として設計・製造されているが、7200系とは下記の相違点が見られる。

  • 全長は7200系の18,000mmに対し、17,840mmと若干短い。
  • 正面が7200系と全く異なり、非貫通構造である。
  • 架線電圧600V用であり、7200系の回生ブレーキに対し発電ブレーキを採用している。
  • 運転室は登場当時の8000系に類似している(ただし8000系は全車運転室が改造され、現在は比較できない)。
  • 電気指令式ブレーキとワンハンドルマスコンを採用する。
  • 非冷房車は、後に架線電圧の直流600Vを電源とする富士電機製直接駆動集中式冷房装置を搭載した。
  • 新製冷房車は東急同様の東芝製分散式冷房装置を搭載するが、全長の違いからパンタグラフを折りたたんだ際の面積を確保できず、7200系の菱形から下枠交差式としている。
  • 車体裾の突起(天秤梁)がない。
  • 連結面窓や仕切り窓のガラス支持方法はHゴムである。
  • 座席袖仕切りや荷棚形状が違う。

脚注

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参考文献

  • 宮田道一「新車インタビュー 東京急行電鉄7200・7500形」『鉄道ファン』72号、交友社、1967年。
  • 東京急行電鉄株式会社車両部車両課「東京急行電鉄デヤ7290形電気検測車」『鉄道ピクトリアル』550号、鉄道図書刊行会、1991年。
  • 久保敏「田園都市線開業から目蒲線終えんまで 東急7200系活躍の記録」『鉄道ファン』480号、交友社、2001年。
  • レールアンドテック出版「鉄道車両と技術」No.38「東京急行電鉄 軌道検測車サヤ7590形の概要」
  • 交友社「鉄道ファン」1998年7月号新車ガイド「東京急行電鉄サヤ7590形軌道検測車」(東京急行電鉄(株)交通事業本部車両部車両課)
テンプレート:東京急行電鉄の車両
  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 保育社カラーブックス 日本の私鉄「東 急」(1990年発行)記事。
  2. 2.0 2.1 交友社「鉄道ファン」2014年8月号付録大手私鉄車両ファイル2014記事。
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  5. 宮田道一著『日本の私鉄 (8) 東急』(保育社カラーブックス)による。
  6. 厳密には玉川線の一部である砧線も鉄道線であった。
  7. 『鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション15「東京急行電鉄」』P72
  8. 事業用車として新製されたサヤ7590を除く。
  9. 9.0 9.1 東急の鉄道線では配線の関係で、線区によって編成の方向が上下逆転する箇所はない。このため、渋谷向きは上り向き、桜木町向きは下り向きと同義となる。
  10. 鉄道図書刊行会「鉄道ピクトリアル」1996年10月号臨時増刊号新車年鑑93頁。
  11. 「デヤ7200・デヤ7290さよなら運転」(旧検測車)|鉄道・バス情報|東急電鉄 - 2012年2月16日閲覧
  12. 渡邉裕介 「東急『デヤ7200・デヤ7290さよなら運転』を実施|鉄道ニュース|2012年2月27日掲載|鉄道ファン・railf.jp」 交友社。
  13. [鉄道ジャーナル社「鉄道ジャーナル」2012年6月号148頁RAILWAY TOPICS「東急電鉄が総合検測車「TOQ i」記事。
  14. 川崎F:今回で見納め!旧検測車デヤ7200の展示 - J's GOAL、2013年11月9日配信
  15. 15.0 15.1 15.2 15.3 15.4 15.5 15.6 15.7 15.8 15.9 レールアンドテック出版「鉄道車両と技術」No.38「東京急行電鉄 軌道検測車サヤ7590形の概要」記事。
  16. 16.0 16.1 16.2 16.3 16.4 交友社「鉄道ファン」1998年7月号新車ガイド「東京急行電鉄サヤ7590形軌道検測車」記事。
  17. 「大井川鉄道に旧東急7200系2両 今冬デビュー見込み」静岡新聞NEWS - 2014年6月22日付