東北学院榴ヶ岡高等学校
東北学院榴ケ岡高等学校(とうほくがくいんつつじがおかこうとうがっこう)は、宮城県仙台市泉区にある私立の高等学校。通称は学院榴(がくいんつつじ)や榴(つつじ)や学院榴ケ岡や榴ヶ岡と呼ばれるが、地元民には一般的に学院榴と呼ばれることが多い。キリスト教(プロテスタント、福音主義:日本基督教団)系の学校である。東北学院高等学校の兄弟校であるが、同高校とは異なり、男女共学・私服制の高校である。
もともとは、東北学院高校の榴ケ岡校舎という位置づけだったが、1972年に独立し、今日に至る。
概要
仙台市北東部、泉区天神沢の東北学院大学泉キャンパス内に位置する私立の高等学校(普通科)である。校名である榴ケ岡は、榴岡公園の一角に前身の東北学院高等学校榴ケ岡校舎が設置されたことに由来し、榴ケ岡高校として独立後もそのまま使用している。以前は東北学院高校と同じ男子校であったが、1995年に共学化された。近年は生徒数が増大しすぎて、教室が間に合わなくなるケースも見られる。
学校の標語は東北学院高校と同じく、D・B・シュネーダーが制定した「LIFE LIGHT LOVE」(聖書より取られた、略して3L精神)である。
ほかの東北学院(大学・高校)に比べると設備がかなり貧弱であり、学院高校が羨ましいというのが生徒の共通意見があったが、老朽化に伴い、学校施設の改築が徐々に行われている。一方で学院高校は別学(男子校)であるため、共学である榴ケ岡高校をうらやむようである。
男子校時代には特に学習面においてスパルタ教育の方針が強かった。そのことが大学進学実績に貢献し仙台一高・仙台二高の滑り止めとしての地位を保っていたが、共学化された1995年以降は低迷している。 間違われがちだが校名は榴"ヶ"岡ではなく榴"ケ"岡である。
沿革
- 1886年 - 押川方義・W.E.ホーイが宮城県仙台区に仙台神学校を創立。
- 1891年 - 仙台神学校を東北学院に改称。
- 1948年 - 新制高等学校の設置。
- 1959年 - 東北学院高等学校榴ケ岡校舎の設置。
- 1972年 - 榴ヶ岡校舎が東北学院榴ケ岡高等学校として独立。同年8月、現在地(当時の住所は泉市市名坂字天神沢)に移転。
- 1995年 - 男女共学化に移行。
交通案内
- 交通アクセス
- 仙台市地下鉄南北線利用
- 泉中央駅より徒歩約30分
- 地下鉄+宮城交通バス利用
- 泉中央駅4番ポールより、以下のバスに乗車
- 高玉町経由東北学院大学泉キャンパス行き
- 東裏経由東北学院大学泉キャンパス行き(朝・夕のみの運行)
- (ノンストップ)東北学院大学泉キャンパス行き(朝・夕の学校開校期間のみ運行)
- 永和台・松森団地循環線
- 泉中央駅4番ポールより、以下のバスに乗車
なお、2月3日の入試日は朝に学院大泉キャンパス行きの直通バス(ノンストップ)が大幅に増発され(それでも混雑するので場合によっては泉中央からなら徒歩の方が早い)、夕方は本来は進入できない泉キャンパスの中までバスが乗り入れ、学院大泉キャンパス内の試験場の前の道路から泉中央駅行きの臨時バスが発車される。
主な卒業生
- 鈴木邦男(1962年卒、1期生) - 政治活動家、一水会元代表
- 鈴木繁雄(1962年卒、1期生) - 仙台市議会議長、聖和学園理事長
- 菊池健次郎(1965年卒、4期生) - 多賀城市長
- 石川達(1967年卒、6期生) - 精神科医、東北会病院院長、アルコール使用障害治療の権威
- 菅原秀(1967年卒、6期生) - ジャーナリスト、翻訳家
- 福井弘文(1971年卒、10期生) - 東北放送元アナウンサー
- 荒木飛呂彦(1978年卒、17期生) - 漫画家
- 永沢光雄 (1978年卒、17期生) - ノンフィクション作家、ルポライター
- 田代廣孝 (1978年卒、17期生) - 映画監督
- 平間至(1982年卒、21期生) - 写真家
- 桐田穣(1987年卒、26期生) - RKB毎日放送元アナウンサー
- 丹野研太(2005年卒、44期生) - プロサッカー選手(FCみやぎ→セレッソ大阪→大分トリニータ→セレッソ大阪)