朝日新聞テレビ夕刊
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『朝日新聞テレビ夕刊』(あさひしんぶんテレビゆうかん)は、1965年5月から1979年3月までテレビ朝日(1977年3月まで日本教育テレビ(NET))系列で放送されたANN日曜夕方の全国ニュース枠の番組である。
平日に放送されていた夕方のワイド基幹ニュース「朝日新聞製作・NETニュース→ANNニュース・協力朝日」(1970年1月にANN結成のため改題)→「ANNニュースレーダー」(1975年に腸捻転解消により全国ネットに昇格。それまでは同名のローカルニュース)の日曜日の補完番組であった。1979年4月、月 - 土曜に放送されていた『-レーダー』に統合されて終了した。
放送時間
- 1965年5月 - 1965年9月 18:30 - 18:55(25分)
- 1965年10月 - 1968年9月 18:00 - 18:25(25分)
- 1968年10月 - 1979年3月 17:30 - 17:55(25分)
司会者
- 1965年5月 - 1976年3月:木谷忠、今津弘、有馬真喜子(以上朝日新聞編集員)他、シフト勤務か?
- 1976年4月 - 1979年3月:吉岡晋也(NETテレビ→テレビ朝日アナウンサー。1978年9月まで『ANNニュースレーダー』土曜担当を兼務。同番組に統合後も続投)
ネットしていた局
特に記載事項がない局は開始から終了まで。
- NET→テレビ朝日(制作・幹事局)
- 北海道テレビ(1968年12月開局から番組終了まで)[1]
- ミヤギテレビ(当時NNNとANNのクロスネット ※1970年10月開局から1975年9月まで。[2]) → 東日本放送(1975年10月開局から終了まで)
- 福島中央テレビ(1970年4月開局から1971年9月まで ※福島テレビとのネット交換により、夕方ニュースをNNNに統一したために打ち切り)
- 新潟総合テレビ(1975年4月から番組終了まで)
- 静岡けんみんテレビ(現:静岡朝日テレビ)(1978年7月開局から番組終了まで)
- 名古屋テレビ(ANN単独加盟となった1973年4月1日から番組終了まで、中京テレビとのダブルクロスネット時代までは未ネット[3])
- 福井放送(当時ANN未加盟局(※現在はNNNとのクロスネット)。全国放送終了後も「ANNニュースレーダー」の日曜日放送分を、タイトル差しかえで継続[4]
- 朝日放送(ANNに加盟した1975年4月から番組終了まで、以前の加盟局毎日放送は『毎日新聞テレビ夕刊』を放送していた関係で未ネット[3])
- 広島ホームテレビ(1970年12月開局から番組終了まで)
- 瀬戸内海放送(1975年4月から番組終了まで。1969年4月開局から1975年3月までは毎日放送の毎日新聞テレビ夕刊をネットしていた。[3])
- 九州朝日放送
- 鹿児島テレビ(1969年4月開局から番組終了まで)
脚注
- ↑ タイトルは『HTB日曜テレビ夕刊・協力 朝日新聞』に改題して放送。
- ↑ この間『NNN日曜夕刊』は未放送
- ↑ 3.0 3.1 3.2 東海地方では1973年3月の変則クロスネット解消まで、近畿地方では1975年3月30日の腸捻転ネット解消までは、それぞれ放送されなかった。このうち近畿地方・毎日放送では毎日新聞テレビ夕刊で全国ニュースも自社制作し、瀬戸内海放送、岡山放送(当時テレビ岡山。かつ当時NET・CXとのクロスネット関係にあった)にネットして補完放送していた。これは大阪のテレビ局が新聞社との資本関係が明確であるためによるもので、この3局は提供新聞社が異なる企画ネット番組の状態であった。OHKは大阪地区のネット整理後も「朝日―」のネットとはせず、FNN(フジテレビジョン)製作の「FNNテレビ日曜夕刊」のネットを開始する。また当時は瀬戸内海準広域圏は確立されていなかった。
- ↑ これはFBCの資本に朝日新聞社があるための処置であった。