帷子ノ辻駅
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帷子ノ辻駅(かたびらのつじえき)は、京都市右京区太秦帷子ヶ辻町にある京福電気鉄道の駅。駅ナンバリングはA9(嵐山本線)、B1(北野線)。
付近の地名は「太秦帷子ケ辻町」(うずまさかたびらのつじちょう 「かたびらがつじ」とは読まない)だが、駅名「帷子ノ辻」の表記には「ケ」ではなく「ノ」を用いる。
利用可能な鉄道路線
駅構造
単式・島式ホーム各1面の計2面4線の地上駅。単式~島式ホーム間は構内踏切や地下道で行き来できる。改札口は1番ホーム(単式)に面した南側地上にある。有人改札のみで自動改札機は設置されていないが、ICカードの簡易処理機が手押し車に載せられた状態で置かれている。
かつては地下に改札口と駅務室があったが、2011年にバリアフリー化の為に駅南側地上に移設された。旧改札口には、入場のみ可能なゲートが設置されている。
地上にあるプラットホーム全体を建物が覆っているため、一見橋上駅舎のように見える。この建物は京福電鉄所有のビル「ランデンプラザ帷子」であり、テナントにはスーパーマーケットの「フレスコ」、衣服の安売り店「オンセンド」、100円ショップ「ダイソー」等がある。なおかつてのテナントはジャスコ帷子ノ辻店だった。もともと線路の北側にのみ店舗入り口があったが、駅南側に新設の改札口が設置されたために、改札口のすぐ前に階段のみの店舗入り口が作られている。
現在、ランデンプラザ帷子の南に接して存在したスーパーマーケット「京都厚生会」(ポロロッカ (企業))の跡地は京都銀行帷子ノ辻支店となっている。
のりば
1 | ■嵐山本線(下り) | 嵐山 方面 |
2 | ■嵐山本線(上り) | 四条大宮方面 |
3 | ■北野線 | 北野白梅町方面(閑散期は留置車置き場) |
4 | ■北野線 | 北野白梅町方面 |
■嵐山本線(下り) | 嵐山方面(行楽期運転の北野白梅町からの直通列車) |
- 単式ホームに1番線があり、2番線と相対している。
- 島式ホームの両側に2番線と4番線があり、2番線の東方に切り欠き式ホームの3番線がある。
- 2~4番線は同一ホーム上で乗り換えできる。
- 1番線と他のホームの乗り換えには、構内踏切または地下道を通る必要がある。
- 北野線は通常は4番線を使用する(4番線の嵐山方には、通常、レールに車止め用の物が設置され、嵐山方面との行き来は行われていない)。ただし、行楽期の昼間時間帯に運転される北野白梅町~嵐山直通列車は、配線の関係上、上下方向とも4番線発着となり、その間は北野線折り返し列車は3番線を使用する。
- 配線の関係上、四条大宮方面と北野白梅町方面の相互間をホーム上で折り返して直通運転することはできない。いったんホームを通り過ぎて嵐山方面へ進み、本線上に設置された渡り線を用いて折り返す。
駅周辺
- JR太秦駅(嵯峨野線)- 北へ約300mの距離。北西の山陰本線跨線橋(歩行者・自転車用)もしくは北東の同線踏切を渡り若干迂回することになる。
- 太秦病院
- 松竹京都映画
- 京都市立蜂ヶ岡中学校
- 京都府道112号二条停車場嵐山線
- 桓武天皇皇子仲野親王高畠墓(6世紀の前方後円墳。仲野親王(桓武天皇の皇子、9世紀に死去)の墓に治定されている。現在は宮内庁が管理。別名 片平大塚古墳、垂箕山(たるみやま)古墳)
- 蛇塚古墳(日本有数の巨大な横穴式石室が露出する6世紀の前方後円墳。)
歴史
- 1926年(大正15年)3月10日 嵐山電車軌道の駅として開業。
- 1918年(大正7年)4月2日 会社合併により京都電燈の駅となる。
- 1926年(大正15年)3月10日 北野線高雄口(現・宇多野)~帷子ノ辻間が開業。
- 1942年(昭和17年)3月2日 路線継承により京福電気鉄道の駅となる。
- 1973年(昭和48年)3月 帷子ノ辻駅ビル竣工
- 2011年3月12日 1番ホーム南側に地上改札口を設置し、地下改札口を閉鎖。1番ホームと2~4番ホームを結ぶ構内踏切を設置。
隣の駅
関連項目
外部リンク
- 帷子ノ辻駅 - 「嵐電オフィシャルサイト」より