崎戸町
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
テンプレート:Infobox 崎戸町(さきとちょう)は、かつて長崎県西彼杵郡にあった町。
2005年(平成17年)4月1日に、西彼杵郡西彼町、大瀬戸町、西海町、大島町と対等合併し、西海市となり消滅した。
地理
長崎県の西彼杵半島北西沖の離島である蛎浦島と西隣の崎戸島、さらに五島列島の中通島との間にある江島、平島を行政区域とした。町役場は蛎浦島に立地していた。
現在はいずれも西海市の一部となっている。
地名
- 蠣浦郷(かきのうら)
- 本郷
- 平島(平島村時代は大字なし)
- 江島(江島村時代は大字なし)
隣接市町村
- 大島町(橋でつながっている)
歴史
元々は捕鯨を中心としたひっそりとした漁村であったが、1880年代の終わりに本郷芋島付近で漁夫によって炭塊(石炭)が発見されたことをきっかけに、炭鉱産業の村へと様変わりしていった。石炭が「黒いダイヤ」と呼ばれた採掘の最盛期には、人口は2万5000人余りまで増加し、映画館から病院、商店街が広がる町は活況を呈した。なお最盛期には年間100万トンを出炭していた。
2003年、炭鉱労働者のアパートの廃墟群が映画『バトル・ロワイアルII 鎮魂歌』の撮影で使われたことなどをきっかけとして、島の懐古的雰囲気が静かなブームとなる。
年表
- 江戸時代までは大村氏の領地であった。
- 1868年(明治元年) - 長崎府の管轄に属する。
- 1869年(明治2年)- 長崎県の管轄に属する(長崎府が長崎県に改称)。
- 1871年(明治4年)- 廃藩置県により大村県に属し、間もなく大村県は長崎県に統合される。
- 1874年(明治7年)4月 - 学制に基づき、蠣浦小学校と崎戸小学校の2校を創立。
- 1879年(明治12年)7月 - 郡区町村編制法の制定により、西彼杵郡に属する。
- 1885年(明治18年)7月 - 区制を改定し、黒瀬村と崎戸村を統合し、戸長役所を黒瀬村に設置。
- 1890年(明治23年)4月 - 町村制の施行により、黒瀬村と分離し、嘉喜浦郷と本郷の2大字をもって「崎戸村」を組織。当時の戸数は240戸、人口1,000人余り。
- 崎戸村役場を蠣浦郷に設置する。
- 1907年(明治40年)11月 - 資本金500万円で九州炭坑汽船株式会社が創設され、石炭採掘に着手。
- 1930年(昭和5年)4月1日 - 昭和小学校を創立。
- 1931年(昭和6年)10月1日 - 鉱業の発展にともない、人口が急増し町制を施行し、「崎戸町」となる。当時の人口は17,639人。
- 1940年(昭和15年) - 九州炭坑汽船が三菱鉱業に合併。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 崎戸中学校を創立。
- 1954年(昭和29年)4月1日 - 浅浦小学校を創立(昭和小学校から分離独立)。
- 1956年(昭和31年)9月1日 - 町村合併法により江島村、平島村を編入。人口25,195人。
- 1961年(昭和36年)- 中戸大橋の完成により、大島と蛎浦島がつながる。
- 1967年(昭和42年)- 崎戸橋の完成により、崎戸港(蛎浦島)の入り江が結ばれる。
- 1968年(昭和43年)
- 1971年(昭和46年)- 本郷橋の完成により、崎戸島と蛎浦島がつながる。
- 1999年(平成11年)11月11日 - 大島大橋の開通により、本土(西海町中浦北郷)と大島町経由でつながる。
地域
教育
合併直前の2005年(平成17年)3月時点で、小学校3校、中学校3校。
- 崎戸町立崎戸中学校
- 崎戸町立崎戸小学校
- 崎戸町立江島小中学校(小中併設校)
- 崎戸町立平島小中学校(小中併設校)