峠下駅
峠下駅(とうげしたえき)は、北海道留萌市大字留萌村字峠下にある北海道旅客鉄道(JR北海道)留萌本線の駅である。電報略号はトタ。
歴史
- 1910年(明治43年)11月23日 - 国有鉄道留萠線深川駅 - 留萠駅間開通に伴い開業[1][2]。一般駅。
- 1931年(昭和6年)10月10日 - 線路名を留萠本線に改称、それに伴い同線の駅となる[2]。
- 1977年(昭和52年)5月25日 - 貨物取扱い廃止。
- 1984年(昭和59年)2月1日 - 荷物取扱い廃止。同時に出札・改札業務を停止し、閉塞扱いの駅員のみ勤務する無人駅となる。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR北海道に継承。
- 1997年(平成9年)4月1日 - 線路名を留萌本線に改称、それに伴い同線の駅となる[2]。
- 1998年(平成10年)3月 - タブレット閉塞から特殊自動閉塞化に伴い完全無人化。
駅構造
相対式ホーム2面2線を有する地上駅で、深川駅 - 留萌駅間においては唯一の列車交換可能な交換駅となっている[3]。互いのホームは千鳥式に配置され、駅舎側ホーム西側と対向側ホーム東側を結んだ構内踏切で連絡している[3]。駅舎側(南側)が下り線、対向側ホームが上り線となっている(番線表示なし)[3]。そのほか上り線の深川方から分岐し対向側ホーム外側の増毛方に至る行き止まりの側線を1線[3]、また上下線各々に安全側線を有している[3]。1983年(昭和58年)4月時点では下り線の増毛方から分岐し駅舎西側のホーム切欠き部分の貨物ホームへの貨物側線を1線有していた[4]が、1993年(平成5年)3月までに撤去された[3]。かつては蒸気機関車用の給水塔などの設備も存在したが、その面影は無くなっている[3]。
無人駅となっている。駅舎は構内の南側(留萌方面に向かって左手側)に位置し下り線ホーム中央部分に接している[3]。有人駅時代からの駅舎が残っている。外壁は茶色系の木製板張りで[5]、舎内には出札窓口や手小荷物受け渡し窓口が板で塞がれながらも残存している[5]。待合室には3畳ほどの畳敷きのスペースがある[6]。かつては地元住民の手により造花や水中花が飾られていた[4]。無人化後も保線詰め所としての役割があり、冬期は除雪担当の保線要員が使用する[6]。そのため舎内は綺麗に管理されている。トイレを有する[5]。ホームの停車位置は10mほど離れている。
駅名の由来
当駅の所在する地名より。地名は、アイヌ語の「ルシチ・ポク」(峠の下)の意訳に由来する[3][4][8]。石狩・天塩両国境附近の峠を指す[5]。
利用状況
駅周辺
北に天塩連峰、南に増毛山地[4]と、駅のすぐ前まで山が迫り、裏手は雑木林の沢になっている[4]。駅前には小さな川が流れている[6]。農家が1軒ある以外には人気は無い。恵比島駅との間にトンネルが2本ある。深川駅 - 留萌駅間のトンネルはこの2本のみである。
隣の駅
脚注
関連項目
外部リンク
テンプレート:留萌本線- ↑ 書籍『JR・私鉄全線各駅停車1 北海道630駅』(小学館、1993年6月発行)179ページより。
- ↑ 2.0 2.1 2.2 2.3 書籍『日本鉄道旅行地図帳 全線全駅全廃線 1 北海道』(監修:今尾恵介、新潮社、2008年5月発行)44ページより。
- ↑ 3.0 3.1 3.2 3.3 3.4 3.5 3.6 3.7 3.8 3.9 書籍『JR・私鉄全線各駅停車1 北海道630駅』(小学館、1993年6月発行)155ページより。
- ↑ 4.0 4.1 4.2 4.3 4.4 4.5 書籍『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』(小学館、1983年7月発行)196ページより。
- ↑ 5.0 5.1 5.2 5.3 5.4 書籍『北海道鉄道駅大図鑑』(著:本久公洋、北海道新聞社、2008年8月発行)171ページより。
- ↑ 6.0 6.1 6.2 書籍『すごい駅』(著:横見浩彦、牛山隆信、メディアファクトリー新書、2010年10月発行)26-27ページより。
- ↑ 書籍『秘境駅へ行こう!』(著:牛山隆信、小学館文庫、2001年8月発行)212ページより。
- ↑ 書籍『北海道の駅878ものがたり 駅名のルーツ探究』(監修:太田幸夫、富士コンテム、2004年2月発行)106ページより。