宮城県農業短期大学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
テンプレート:大学 (廃止)学生募集は2004年度まで。2005年度より宮城大学食産業学部の設置により短期大学は学生募集を停止し、2006年3月31日廃止[1]。
目次
概要
大学全体
教育および研究
- 宮城県農業短期大学における教育
- 農業科:作物に関する学問と専門技術やその生産技術と経営管理技術を学ぶ学科となっていた。
- 園芸科:野菜・果樹・花など園芸作物の栽培方法や生産物の流通や経営管理などを学ぶ学科となっていた。
- 畜産科:家畜に関する理論や取扱に関する事柄を学ぶ学科となっていた。
- 農業土木科:農業における土木技術者を養成する学科で、カリキュラムの一つとして「測量実習」があった。
- 各学科とも卒業論文が必修となっていた。
学風および特色
- 宮城県農業短期大学には学科毎に研究室が設けられていた。
沿革
- 1875年 植物試験場が設置される。
- 1879年 勧業試験場が名取郡茂ヶ崎村(現仙台市太白区根岸町)に設置される。
- 1881年 宮城農事講習所となる。
- 1885年 宮城農学校が第一種農学校として文部省より設置認可される。
- 1901年 県立宮城農学校(現仙台市太白区根岸町)と校名改称。
- 1904年 宮城県立宮城農学校と校名改称。
- 1919年 宮城農学校と校名改称。
- 1948年 学制改革により宮城県農業高等学校に改組。
- 1952年 農業高等学校専攻科を発展改組して宮城県農業短期大学を設置。当時は長町にあった(現:宮城県仙台南高等学校)農業科(入学定員80名)を置く。
- 1962年 学科を増設。
- 畜産科
- 農業土木科
- 1972年 現在の太白区旗立 2 丁目に移転。
- 1975年 農業科を専攻分離。
- 農業専攻:入学定員 40 名
- 園芸専攻:入学定員 30 名
- 1980年 旧来の農業科園芸専攻を園芸科に移行。
- 1982年 農業科の専攻課程を廃止。
- 2004年 学生募集が最終となる。翌年度より宮城大学食産業学部に継承される。
- 2006年3月31日廃止[1]。
基礎データ
所在地
- 宮城県仙台市太白区旗立2-2-1
象徴
- 宮城県農業短期大学のカレッジマークは宮城の「M」と右側にウシ・左側に太陽・上部に植物の芽それぞれのイラスト、中央部に「MIYAGI AGRICULTURAL COLLEGE」の文字がしるされたものとなっていた[2]。
教育および研究
組織
学科
- 農業科
- 畜産科
- 農業土木科
- 園芸科
専攻科
- なし
別科
- なし
取得資格について
年度別学生数
- | 農業科 | 畜産科 | 農業土木科 | 園芸科 | 出典 |
---|---|---|---|---|---|
入学定員 | 40 | 40 | 40 | 40 | - |
総定員 | 80 | 80 | 80 | 80 | - |
1954年 | 男160 女2 |
- | - | - | [4] |
1955年 - 1957年 | ? | - | - | - | [5] |
1958年 | 男149 女1 |
- | - | - | [6] |
1959年 | 男158 女3 |
- | - | - | [7] |
1960年 | 男183 女6 |
- | - | - | [8] |
1961年 | 男175 女7 |
- | - | - | [9] |
1962年 | 男90 女10 |
男62 女3 |
男36 女1 |
- | [10] |
1963年 | 男86 女20 |
男62 女4 |
男57 女1 |
- | [11] |
1964年 | 男86 女25 |
男59 女1 |
男73 女2 |
- | [12] |
1965年 | 男113 女26 |
男66 女2 |
男78 女2 |
- | [13] |
1966年 | 男123 女34 |
男61 女3 |
男91 女1 |
- | [14] |
1967年 | 男121 女38 |
男57 女3 |
男84 女3 |
- | [15] |
1968年 | 男120 女43 |
男63 女6 |
男82 女5 |
- | [16] |
1969年 | 男120 女43 |
男63 女6 |
男82 女5 |
- | [17] |
1970年 | 男122 女26 |
男78 女11 |
男80 女4 |
- | [18] |
1971年 | 男115 女34 |
男72 女13 |
男82 女4 |
- | [19] |
1972年 | 男98 女50 |
男70 女15 |
男80 女1 |
- | [20] |
1973年 | 男108 女45 |
男70 女21 |
男79 女4 |
- | [21] |
1974年 | 男108 女45 |
男70 女21 |
男79 女4 |
- | [22] |
1975年 | 男108 女37 |
男65 女16 |
男78 女3 |
- | [23] |
1976年 | 男109 女42 |
男67 女19 |
男79 女6 |
- | [24] |
1977年 | 男110 女43 |
男70 女18 |
男80 女4 |
- | [25] |
1978年 | 男112 36 |
男67 女18 |
男82 女1 |
- | [26] |
1979年 | 男109 女36 |
男68 女18 |
男80 女2 |
- | [27] |
1980年 | 男75 女7 |
男59 女21 |
男82 女2 |
男38 女32 |
[28] |
1981年 | 男78 女4 |
男53 女23 |
男76 女3 |
男45 女36 |
[29] |
1982年 | 男81 女4 |
男54 女21 |
男73 女5 |
男44 女35 |
[30] |
1983年 | 男80 女6 |
男56 女19 |
男77 女4 |
男48 女34 |
[31] |
1984年 | 男81 女7 |
男64 女14 |
男77 女4 |
男53 女29 |
[32] |
1985年 | 男75 女8 |
男55 女17 |
男77 女5 |
男46 女35 |
[33] |
1986年 | 男67 女11 |
男56 女20 |
男80 女5 |
男40 女42 |
[34] |
1987年 | 男64 女15 |
男64 女19 |
男75 女6 |
男41 女44 |
[35] |
1988年 | 男62 女15 |
男57 女26 |
男73 女8 |
男35 女44 |
[36] |
1989年 | 男67 女12 |
男51 女30 |
男75 女8 |
男34 女45 |
[37] |
1990年 | 男65 女11 |
男56 女29 |
男72 女10 |
男36 女41 |
[38] |
1991年 | 男66 女16 |
男49 女33 |
男72 女12 |
男33 女47 |
[39] |
1992年 | 男58 女26 |
男44 女40 |
男67 女15 |
男33 女56 |
[40][41] |
1993年 | 男54 女24 |
男44 女40 |
男60 女16 |
男38 女55 |
[42] |
1994年 | 男54 女26 |
男39 女40 |
男62 女18 |
男36 女49 |
[43] |
1995年 | 男50 女27 |
男35 女41 |
男56 女25 |
男30 女51 |
[44] |
1996年 | 男63 女22 |
男34 女49 |
男48 女32 |
男34 女48 |
[45] |
1997年 | 男62 女18 |
男27 女57 |
男51 女31 |
男36 女50 |
[46] |
1998年 | 男58 女23 |
男19 女60 |
男58 女18 |
男32 女51 |
[47] |
1999年 | 男53 女29 |
男22 女56 |
男60 女20 |
男35 女47 |
[48] |
附属機関
- 附属農場
- 附属図書館:当時、床面積が350m²の鉄筋コンクリートとなっており、蔵書数は31,500冊程度となっていた[2]。
研究
- 『研究業績要覧』が発行されていた。
学生生活
部活動・クラブ活動・サークル活動
学園祭
スポーツ
- 「東北地区大学総合体育大会」へ参加していた[2]。
大学関係者と組織
大学関係者組織
- 宮城県農業短期大学の同窓会は「××会」と称し…
- 宮城県農業短期大学には生活協同組合があった。詳細は宮農マジック(宮城県農業短期大学生活協同組合)を参照。
大学関係者一覧
大学関係者
歴代学長
出身者
施設
キャンパス
学生食堂
- 宮城県農業短期大学の学生食堂(学食)は、大学生活協同組合により運営されていた[2]。
寮
- 宮城県農業短期大学の寮は、短大キャンパス内に程近い場所にあった[2]。
対外関係
他大学との協定
系列校
社会との関わり
- 過去には、有名人を招いた文化講演・演奏会が行われ、吉川団十郎・榊原光裕・さとう宗幸・ピーター・フランクル・アントン・ウィッキーなどが招かれている[2]。
卒業後の進路について
就職について
- 卒業生は農業改良普及員などの農学系公務員や地元の県庁・市町村役場・地域の農業指導者として活躍している[50]。
編入学・進学実績
- 農業科:弘前大学・茨城大学・岐阜大学・島根大学・富山県立大学・石巻専修大学ほか[50][51]。
- 園芸科:山形大学・宇都宮大学・酪農学園大学ほか[50][51]。
- 畜産科:北海道大学・帯広畜産大学・新潟大学・信州大学・佐賀大学ほか[50][51]。
- 農業土木科:岩手大学・三重大学・愛媛大学・高知大学・東北学院大学ほか[50][51]。
宮城県農業短期大学に関する書物
- 『宮城県農業短期大学五十年誌』(同編集委員会編)ほか多数。宮城大学図書館ほか所蔵。
参考文献
- 『全国学校総覧』昭和30年度版 -
- 文部省大学学術局編『教員養成課程認定大学短期大学一覧』
- 全国高等学校長協会編『教員養成課程認定大学・短期大学等総覧』(第一法規出版)
- 『全国短期大学一覧』1950年度版 - 1985年度版[52]
- 『全国公立短期大学協会三十年誌』(全国公立短期大学協会。1980年)
- 『全国短期大学高等専門学校一覧』(財団法人文教協会)昭和49年度版 -
- 『短大蛍雪』(全国短大&専修・各種学校受験年鑑シリーズ。旺文社)
- 『全国短期大学受験要覧』(廣潤社)1970年度版 - 1996年度版
- 『全国短期大学案内』(教学社)発行初年度版 -
- 『全国短期大学受験案内』(晶文社)昭和40年度版 -
- 『全国短期大学案内』(梧桐書院)1971年度用 -
- 『宮城県農業短期大学』:入学案内小冊子
脚注
関連項目
関連サイト
テンプレート:日本の公立短期大学 (廃止)- ↑ 1.0 1.1 平成23年度『全国短期大学高等専門学校一覧』245頁より。
- ↑ 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 2.5 2.6 2.7 2.8 2000年度用入学案内冊子より。
- ↑ 3.0 3.1 『教員養成課程認定大学短期大学一覧』(1955年)47頁より。
- ↑ 昭和30年度版『全国学校総覧』1370頁(以下、『総覧』と略する。)
- ↑ この年度における『総覧』が存在しないため。
- ↑ 昭和34年度版『総覧』16頁
- ↑ 昭和35年度版『総覧』14頁
- ↑ 昭和36年度版『総覧』18頁
- ↑ 昭和37年度版『総覧』18頁
- ↑ 昭和38年度版『総覧』21頁
- ↑ 昭和39年度版『総覧』22頁
- ↑ 昭和40年度版『総覧』22頁
- ↑ 昭和41年度版『総覧』25頁
- ↑ 昭和42年度版『総覧』26頁
- ↑ 昭和43年度版『総覧』26頁
- ↑ 昭和44年度版『総覧』28頁
- ↑ 昭和45年度版『総覧』28頁より。何故か昨年度と同数となっている。
- ↑ 昭和46年度版『総覧』28頁
- ↑ 昭和47年度版『総覧』28頁
- ↑ 昭和48年度版『総覧』29頁
- ↑ 昭和49年度版『総覧』30頁
- ↑ 昭和50年度版『総覧』32頁より。何故か昨年度と同数となっている。
- ↑ 昭和51年度版『総覧』34頁
- ↑ 昭和52年度版『総覧』34頁
- ↑ 昭和53年度版『総覧』34頁
- ↑ 昭和54年度版『総覧』35頁
- ↑ 昭和55年度版『総覧』35頁
- ↑ 昭和56年度版『総覧』37頁
- ↑ 昭和57年度版『総覧』37頁
- ↑ 昭和58年度版『総覧』38頁
- ↑ 昭和59年度版『総覧』38頁
- ↑ 昭和60年度版『総覧』38頁
- ↑ 昭和61年度版『総覧』43頁
- ↑ 昭和62年度版『総覧』43頁
- ↑ 昭和63年度版『総覧』44頁
- ↑ 昭和64年度版『総覧』47頁
- ↑ 1990年度版『総覧』48頁
- ↑ 1991年度版『総覧』48頁
- ↑ 1992年度版『総覧』49頁
- ↑ 1993年度版『総覧』50頁
- ↑ 『短大蛍雪 』(全国短大&専修・各種学校受験年鑑シリーズ、1992年9月臨時増刊号)131頁には「男202、女137(うち1年生男96、女74)」と表記されている。
- ↑ 1994年度版『総覧』51頁
- ↑ 1995年度版『総覧』53頁
- ↑ 1996年度版『総覧』55頁
- ↑ 1997年度版『総覧』56頁
- ↑ 1998年度版『総覧』58頁
- ↑ 1999年度版『総覧』51頁
- ↑ 2000年度版『総覧』55頁
- ↑ 鹿の行動、生理、生体を調査・研究するサークル活動
- ↑ 50.0 50.1 50.2 50.3 50.4 2000年度用入学案内冊子より一部引用。
- ↑ 51.0 51.1 51.2 51.3 『短大螢雪5月臨時増刊 短大・学科内容案内号』(旺文社。2000年5月)430ページより一部抜粋。
- ↑ 1979年度版以前は『短期大学一覧』