孝元天皇
孝元天皇(こうげんてんのう、孝霊天皇18年 - 孝元天皇57年9月2日)は、『古事記』『日本書紀』に記される第8代天皇(在位:孝元天皇元年1月14日 - 同57年9月2日)。大日本根子彦国牽尊(おおやまとねこひこくにくるのみこと)・大倭根子日子国玖琉命(古事記)。
「ヤマトネコ」という称号は7代孝霊・8代孝元・9代開化、少し離れて22代清寧の諸天皇(『古事記』)に見え、『記・紀』の編纂が最終段階に入った7世紀末から8世紀初めに存在した持統・文武・元明・元正の諸天皇(『日本書紀』・『続日本紀』)の称号にも見える。このことは、7,8,9代の天皇の称号を、後世の『記・紀』編纂最終段階に存在した天皇の称号に似せて造作したという疑いが濃厚である。テンプレート:要出典
いわゆる欠史八代の1人で、実在しない天皇と捉える見方が一般的であるが、実在するとする説もある。(欠史八代の実在説を参照)
系譜
孝霊天皇の太子。母は、皇后細媛命(ほそひめのみこと、くわしひめのみこと)。
- 皇后:欝色謎命(うつしこめのみこと。欝色雄命の妹)
- 妃:伊香色謎命(いかがしこめのみこと。物部氏の祖・大綜麻杵の女、後に開化天皇の皇后・崇神天皇の母)
- 妃:埴安媛(はにやすひめ。河内青玉繋の女)
- 武埴安彦命(たけはにやすひこのみこと) 邪馬台国と戦った狗奴国の卑弥弓呼という説もある。
系図
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皇居
都は軽境原宮(かるのさかいはらのみや。奈良県橿原市見瀬町の牟佐坐神社が伝承地)。
事績
特に記録されていない。孝霊天皇36年1月に立太子、同76年2月に孝霊天皇が崩御すると、翌年1月に即位した。在位57年で崩御。『古事記』に57歳、『日本書紀』に116歳。
陵・霊廟
陵(みささぎ)は、奈良県橿原市石川町にある劔池嶋上陵(剣池島上陵、つるぎのいけのしまのえのみささぎ)に治定されている。公式形式は山形。中山塚1-3号墳(円墳2基、前方後円墳1基)に比定される。
また皇居では、皇霊殿(宮中三殿の1つ)において他の歴代天皇・皇族とともに天皇の霊が祀られている。
在位年と西暦との対照
当天皇の在位について、実態は明らかでない。『日本書紀』に記述される在位を機械的に西暦に置き換えた年代については「上古天皇の在位年と西暦対照表の一覧」を参照。