奥宮健之

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:参照方法 奥宮 健之(おくのみや けんし、1857年12月27日安政4年11月12日) - 1911年明治44年)1月24日)は、自由民権運動で活躍した日本社会運動家。幸徳事件大逆事件)で処刑された12名の1人。

経歴

土佐国土佐郡布師田村に生まれる。父の奥宮慥斎(ぞうさい、1811-1877)は、藩内一流の陽明学者で山内容堂侍講であった。健之は11、12歳ころ東京に出て、英学を修めた。明治14、15年頃、三菱会社に入ったが、自由党が結党されると会社をやめ入党した。馬場辰猪とともに土佐の二俊秀と称された。

1882年(明治15年)、嚶鳴会に対決するものとして、馬場、大石正巳西村玄道らと国友会を結成した。浅草井村楼での演説のために東京府下の演説が禁じられたので、講釈師の鑑札を受けて芸名「先醒堂覚明」で席亭に出、講談に託して自由民権を説いたが、席亭主人とともに罰せられ、健之は集会条例違反で軽禁錮1ヶ月に処せられた。それに続き、人力車夫を糾合する「車会党」を結成する。東京馬車鉄道の敷設で失業した車夫に着目し、竹内綱の抱えの三浦亀吉という親分を説得、周旋させ、集まった者にはいくらでもを飲ませるというビラをまき、1882年(明治15年)10月4日、神田明神境内で人力車夫大懇親会を開いたのである。300余名が集まった。懇親会はさらに1、2回開かれたが、健之は出席しなかった。これは巡査暴行したとされ、石川島監獄に収容されていたからである。

健之の投獄で車会党は自然消滅状態となった。1883年(明治16年)出獄し、鹿児島におもむく途中、名古屋市に立ち寄った際に、名古屋事件に係わった。愛知県内の一部自由党員は板垣退助の演説、星亨の遊説などにもあおられ、政府転覆の陰謀に狂奔していた。軍資金を得るべく富豪強奪の凶行に出たのは1884年(明治17年)8月であった。しかし目的を達することはできず、帰途、警官と衝突、その幾人かを斬った。10月、健之が自由党大会のために大阪に行っている間に、同志が白昼、大草村役場に斬り込み、国税を強奪した。一味はつぎつぎに検挙され、健之は官憲の目を逃れつつ、各地を転々としていたが、1885年(明治18年)1月、東京で縛され、名古屋に護送された。未決勾留中は脱獄も試みた。

1887年(明治20年)5月、判決が言い渡されたが、一味の国事犯としての扱いはなされず、強盗殺人事件として死刑数名、健之は無期徒刑であった。小菅集治監(現在の東京拘置所に所在)、宮城集治監と転々として、1889年(明治22年)秋、北海道の樺戸集治監に移された。ここでも脱獄を試みた。これにさきだって板垣、片岡健吉林有造らは、自分たちが憲法発布の寛典にもれたことを遺憾とし、国事犯に準じて特赦復権に浴したいと運動していたが、板垣が第2次伊藤内閣内相の地位についたのでついに1896年(明治29年)7月、同志らとともに釈放された。1910年(明治43年)、幸徳秋水から爆弾の製法を聞かれたことにより幸徳事件(大逆事件)で逮捕され、死刑判決の言い渡しを受け、1911年(明治44年)1月24日、刑死。享年53。墓は、東京都豊島区の都営染井霊園にある。

著作史料

  • 阿部恒久編『奥宮健之全集』上(著書・論稿)、弘隆社、1988年5月。ISBN 4-906287-07-7
  • 阿部恒久編『奥宮健之全集』下(翻訳・関係文書)、弘隆社、1988年5月。ISBN 4-906287-07-7

参考文献

  • 阿部恒久「奥宮健之訳『共和原理』の原著者について」、『彷書月刊』第2巻第2号(通巻第5号 / 特集=奥宮健之)、1986年1月。
  • 絲屋寿雄『奥宮健之』(『紀伊國屋新書』B-51)、紀伊國屋書店、1972年9月。
  • 絲屋寿雄『自由民権の先駆者-奥宮健之の数奇な生涯』、大月書店、1981年10月。
  • 絲屋寿雄「奥宮健之の妻・吉田さが」、『彷書月刊』第2巻第2号(通巻第5号 / 特集=奥宮健之)、1986年1月。
  • 梅森直之「歴史的経験としての「近代」-奥宮健之『獄裏之我』を中心に」、『初期社会主義研究』第8号(特集=冬の時代)、1995年7月。
  • 大野みち代「身辺の奥宮健之資料」、『彷書月刊』第2巻第2号(通巻第5号 / 特集=奥宮健之)、1986年1月。
  • 都築久義「尾崎士郎の自画像」、『彷書月刊』第2巻第2号(通巻第5号 / 特集=奥宮健之)、1986年1月。
  • 中島丈博「奥宮健之の滑稽と悲惨」、『彷書月刊』第2巻第2号(通巻第5号 / 特集=奥宮健之)、1986年1月。
  • 長谷川昇「名古屋事件と奥宮健之」、『彷書月刊』第2巻第2号(通巻第5号 / 特集=奥宮健之)、1986年1月。
  • 山泉進「奥宮健之と幸徳秋水」、『彷書月刊』第2巻第2号(通巻第5号 / 特集=奥宮健之)、1986年1月。テンプレート:Asbox