大阪府立高津高等学校

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テンプレート:日本の高等学校 大阪府立高津高等学校(おおさかふりつこうづこうとうがっこう、英称:Osaka Prefectural Kozu High School)は、大阪府大阪市天王寺区餌差町にある公立高等学校

概要

1918年に11番目の府立中学校として創立。中等教育機関の入学難を緩和させるため、大阪府が大正中期に新設した旧制中学校5校のひとつ。校内にある「高津宮址碑」は、大阪市歌の冒頭にある「高津宮」の起源と伝えられ、校名もこれに由来する。

校章は旧制中学の「中」を表す六稜に山桜紋。天王寺(二本線)、市岡(三本線)、今宮(四本線)と、大阪市内の府立中学校は校章の左右に創立順を表すラインを付していたが、当校はラインをやめ山桜の花弁(五枚)で「市内第五中学」であることを表している。現校舎の正面に付いている校章も、「中」の中縁取りを埋めていない旧制高津中学時代のデザインである。

校歌は、当時の生徒で現ジャズピアニストの大塚善章(29期)が作曲したものである。一番に上町台地の校舎から眺める「山(生駒山)」、二番に校是のキーワード「自由」が愛と平和の間に、そして三番に校章の「星(六稜)・桜」がそれぞれ歌い込まれている。なお高津の校名は、三番になるまで登場しない。旧制高津中学校校歌は、高木及言が作詞、永井巴が作曲した。冒頭に「高津宮跡」があるが、やはり校名は歌われていない。

服装も自由で制服などは特に定められていない。生徒会は自治会執行部と称し、役員は年2回の選挙で選出する。

教育目標として、強靭な知性、みずみずしい感性、品格ある人間性、を掲げる。進路指導に力を入れ、生徒に対する進路指導プログラムとして「進路週間」「進路講演会」のほか、進学のための「早朝講習」「夏季・冬季集中講習」などを実施している。7月の「進路週間」では有名な大学・企業の説明会があり、生徒の進路を選択する指針にする。11月の「進路講演会」では社会で活躍する著名なOB・OGが卒業後の将来について夢を語る。「土曜自習室」ではOB・OGの個別指導が受けられる。また通常授業のほかに自由参加の、ゼロ時限と呼ばれる「早朝講習」や「夏季・冬季集中講座」などが実施され、受験勉強が強化される。

「記念祭」と称して、体育祭文化祭を実施し、最後にフォークダンスファイヤーフォークでしめくくる。記念祭の実施は、秋(9月下旬)であるが、5月頃に生徒実行委員会が発足し、クラブ・クラス毎に準備活動を始める。記念祭のほかに、年に2回、自治会執行部が中心となって実施するクラス対抗の校内大会があり、主に球技を行っている。各クラスにおける討論の結果を反映させ自治会が種目を決定する。当日の運営も自治会の手で行う。

1987年に放送されたNHK朝の連続テレビ小説はっさい先生』の舞台である“(架空の)上本町中学”のモデル校になり、当時はまだ旧校舎が残っていた高津高校でロケも行われた。

沿革

1918年3月28日の文部省告示第38号により、大阪府立第十一中学校が大阪市に設置されることが認可された。設置当初は正式な場所は決まっておらず、大阪市北区北野茶屋町・心華小学校[1]を仮校舎として設置された。

1919年3月28日の文部省告示第70号により大阪府立高津中学校と改称し、直後の1919年4月に大阪市東区東高津北之町(当時)の現在地に校舎が竣工して移転している。1922年には大阪府の学校では初めてとなる、鉄筋コンクリート校舎が竣工している。

1934年9月21日室戸台風では木造校舎が倒壊したが、校内での人的被害はなかった。

1945年3月13日深夜から3月14日未明にかけての第一次大阪大空襲では、校舎や倉庫などを焼失している。また5月22日6月5日の空襲でも校舎に被害を受けている。空襲で被災した校舎は1948年2月に復旧した。

1948年の学制改革により、全日制普通科・定時制普通科を併設する大阪府立高津高等学校が発足した。同年4月28日付で近隣の大阪府立清水谷高等学校(旧制清水谷高等女学校)と生徒・教職員を交流し、男女共学となった。

1956年新入生より、英語科について進度別のクラス編成をおこなうことにした。しかし反対もあり、1959年に通常のクラス編成へと戻されている。また同時期には、選択科目としてドイツ語が開講された。

1969年から1970年にかけては学園紛争の影響を受け、一部生徒が学校を封鎖する騒ぎも何度か発生している。

校舎老朽化に伴う建て替え工事により、1992年には新校舎が完成した。2002年度から2006年度にかけての5年間、大阪府教育委員会からエル・ハイスクール事業の指定を受けた。また2008年には スーパーサイエンスハイスクールの指定を受けている。

2009年には大阪府教育委員会の進学指導特色校事業の対象校になり、2011年度より従来の普通科に加えて文理学科を併設した。

定時制

1934年に夜間中学校が併設されたことが、定時制の起源となる。夜間中学校は1948年の学制改革により、大阪府立高津高等学校定時制となった。

しかし1995年、大阪府の定時制高校再編策により、高津高校を含む府立高校6校の定時制(高津・市岡今宮勝山守口佐野)が募集停止となることが発表された。学校関係者は他の対象校の関係者とも連携しながら廃校反対運動を起こしたが、廃校の方針が決まり、1996年以降の新入生募集を停止した。在校生が卒業した1999年3月に閉課程となった。なお、同時期に開設された大阪府立桃谷高等学校定時制課程が、高津・勝山の両校定時制課程の実質的な後継校として位置づけられている。

年表

高等学校関係者一覧

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部活動

交通

参考文献

脚注

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関連項目

外部リンク

  • 貧困による不就学が地域で目立っていたことを背景に、地域の篤志家の手によって1909年に私立夜間小学校として創立。敷地が阪急電鉄の高架化工事のために立ち退きになり1924年一時廃校し、旧校の財産を大阪市に移管して現在の北区長柄西1丁目・関西大学天六キャンパス南隣で1925年市立学校として再開。1946年廃校。