大国主
テンプレート:Sidebar with heading backgrounds 大国主(おおくにぬし)は、『古事記』『日本書紀』に登場する神である。
神話における記述
『日本書紀』本文によるとスサノオの息子。また『古事記』、『日本書紀』の一書や『新撰姓氏録』によると、スサノオの六世の孫、また『日本書紀』の別の一書には七世の孫などとされている。スサノオの後にスクナビコナと協力して天下を経営し、禁厭(まじない)、医薬などの道を教え、葦原中国の国作りを完成させる。だが、高天原からの使者に国譲りを要請され、幽冥界の主、幽事の主催者となり、顕界から姿を隠した[1]。すなわち、自決してこの世を去ったのであり、国譲りの際に「富足る天の御巣の如き」大きな宮殿(出雲大社)を建てて欲しいと条件を出したことに天津神が約束したことにより、このときの名を杵築大神ともいう[1]。
大国主を扱った話として、因幡の白兎の話、根の国訪問の話、ヌナカワヒメへの妻問いの話が『古事記』に、国作り、国譲り等の神話が『古事記』・『日本書紀』に記載されている。『出雲国風土記』においても多くの説話に登場し、例えば意宇郡母里郷(現在の島根県安来市)の条には「越八口」を大穴持命が平定し、その帰りに国譲りの宣言をしたという説話がある。
別称
大国主は多くの別名を持つ。このことについては、神徳の高さを現すという説[1]や、元々別の神であった神々を統合したためという説、等がある。
- 大国主神(おおくにぬしのかみ)・大國主大神 - 根国から帰ってからの名。大国を治める帝王の意
- 大穴牟遅神(おおなむぢ)・大穴持命(おおあなもち)・大己貴命(おほなむち)・大汝命(おほなむち『播磨国風土記』での表記)・大名持神(おおなもち)・国作大己貴命(くにつくりおほなむち)
- 八千矛神(やちほこ) - 須勢理毘売との歌物語での名。矛は武力の象徴で、武神としての性格を表す
- 葦原醜男・葦原色許男神(あしはらしこを) - 根国での呼称。「しこを」は強い男の意で、武神としての性格を表す
- 大物主神(おおものぬし)-古事記においては別の神、日本書紀においては国譲り後の別名
- 大國魂大神(おほくにたま)・顕国玉神・宇都志国玉神(うつしくにたま)- 根国から帰ってからの名。国の魂
- 伊和大神(いわおほかみ)伊和神社主神-『播磨国風土記』での呼称
- 所造天下大神(あめのしたつくらししおほかみ)- 『出雲国風土記』における尊称
- 幽冥主宰大神 (かくりごとしろしめすおおかみ)
- 杵築大神(きづきのおおかみ)
妻・子孫
大国主は色々な女神との間に多くの子供をもうけている。子供の数は『古事記』には180柱、『日本書紀』には181柱と書かれている。記においては以下の6柱の妻神がいる(紀では記にみえない妻神がさらに1柱おり、『出雲風土記』ではこれ以外にもさらに何人もの妻神が表れている)。 別名の多さや妻子の多さは、明らかに大国主命が古代において広い地域で信仰されていた事を示し、信仰の広がりと共に各地域で信仰されていた土着の神と統合されたり、あるいは妻や子供に位置づけられた事を意味している。
- スセリビメ - スサノオの娘。 最初の妻で正妻とされる。
- ヤガミヒメ - 根の国からの帰還後では最初の妻とされる。間にキノマタノカミが生まれた。
- ヌナカワヒメまたはヌナガワヒメ(奴奈川姫) - 高志国における妻問いの相手。間にミホススミ(『出雲国風土記』)もしくはタケミナカタ(『先代旧事本紀』)が生まれた。
- タキリビメ - 間にアヂスキタカヒコネとシタテルヒメの二神が生まれた。
- カムヤタテヒメ - 間にコトシロヌシが生まれた。
- トリトリ - ヤシマムジの娘。間にトリナルミが生まれた。『古事記』にはそれ以降の系譜が9代列挙されている。
信仰
国造りの神、農業神、商業神、医療神などとして信仰される。縁結びの神としても知られるが、なぜ縁結びの神とされるのかについては諸説があり、大国主命が須勢理毘売命を始めとする多数の女神と結ばれたことによるといった俗説が一般的であるが、神社側は「祭神が幽世の神事の主催神となられ、人間関係の縁のみならず、この世のいっさいの縁を統率なさっているためである[1]」として、男女の縁のみならず、広く人と人との根本的な縁を結ぶ神であるとしている。他にも、元々この信仰そのものが古くにはないものであり、民間信仰としての俗説が広まったためだとする説や、古くは因幡の白兎、迫害からの蘇生、死後の幽界の主催神へ、といった神話から呪術神としての性格を持ち合わせていたことから、これが転化したのではないかとする説もある。
この他にも、中世には武士や刀鍛冶などから武神、軍神としても広く信仰されていた。記紀神話には直接的な武威の表現は見られないが、武を象徴する別名があることや、スサノオの元から手にした太刀や弓を用い国を広く平定したことなどから、そうした信仰になったと考えられる。このため武士政権が崩壊した明治以降現在も、武術家や武道家などから信仰されている。また江戸期には全国的な民間信仰の広まりにより、「大国」はダイコクとも読めることから同じ音である大黒天(大黒様)と習合していき、子のコトシロヌシがえびすに習合していることから、大黒様とえびすは親子と言われるようになった。このため比較的歴史の浅い神社などでは、大黒天が境内に祀られていることが多い。
また前述の呪術的、あるいは武力的な神格を用いて、所出不明の神などが祀られていた神社などの祭神に勧誘される場合も多く散見される。小さな集落などでは時に氏子などが断絶するなどで廃社となった神社もあり、こうした場合に本来の祭神が誰なのか不明となることが多く、こうした神社を復興させる際に本来祀られていた神の祟りなどを鎮めるといった意味合いから、こうした神格を持つ大国主命が配されることがある。
大国主を祀る主な神社
大国主を祀る神社は多い。
- 出雲大社(島根県出雲市)
- 大前神社(栃木県真岡市)
- 大國魂神社(東京都府中市)
- 大神神社(奈良県桜井市)
- 出雲大神宮(京都府亀岡市)
- 気多大社(石川県羽咋市)
- 気多本宮(石川県七尾市)
- 八桙神社(徳島県阿南市)
ほか、全国の出雲神社で祀られている。 また北海道神宮(北海道札幌市)をはじめ北海道内のいくつかの神社では、「開拓三神」として少彦名神と共に祀られている。