厚沢部町
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厚沢部町(あっさぶちょう)は、北海道南西部、檜山振興局南東部にある農林業を主幹産業とする町。地名の由来はアイヌ語であるが、「アッ・サム(楡皮・のそば)」「ハチャム(桜鳥)」といった諸説がある。
目次
地理
檜山管内南東部に位置。北に八雲町・森町、南に上ノ国町・木古内町、東に乙部町・江差町、西に北斗市と境界を有する。面積の約8割を山林が占める。
- 山: 太鼓山、二つ山
- 河川: 厚沢部川、安野呂川、鶉川、館川
- 湖沼:
隣接している自治体
人口
沿革
古くは松前藩の所領。1678年(延宝6年)同藩のヒノキ山開放により、この伐採のため本州から杣夫(そまふ)が渡来した。農業を副業として定着し、各河川流域の開墾が始められた。
- 1869年(明治2年)榎本武揚率いる旧幕府脱走軍が松前藩の居城、福山城を攻略したため、松前藩主らは築城途上の館城(現在の厚沢部町城丘)に避難したが、追撃してきた旧幕府軍の攻撃で落城。藩主らは海路対岸の津軽半島に避難した。官軍の攻撃で旧幕府軍が箱館・五稜郭で降伏し、松前の所領回復後も松前藩は館城を拠点として「館藩」と名乗り、1871年(明治4年)の廃藩置県の際には青森県に属した。
- 1872年(明治5年)北海道開拓使の管轄となり、1876年(明治9年)俄虫村戸長役場を設置。
- 1906年(明治39年)4月に二級町村制を施行し、村名を厚沢部村とした。
- 1960年(昭和35年)字名地番改正、1963年(昭和38年)3月に町政施行し現在に至る。
姉妹都市・提携都市
上海
経済
立地企業
- 札幌酒精工業株式会社厚沢部工場
農協
- 新函館農業協同組合(JA新はこだて)厚沢部支店・鶉支店・館支店
金融機関
- 江差信用金庫厚沢部支店
郵便局
- 厚沢部郵便局(集配局):市街地・鶉・木間内地区
- 館郵便局(集配局):館町・富里地区
- 鶉郵便局
宅配便
公共機関
警察
- 江差警察署厚沢部駐在所
教育
- 中学校
- 厚沢部、鶉、館
- 小学校
- 厚沢部、美和、鶉、館
交通
道路
バス
タクシー
- 檜山圏エリアに属する
タクシー会社
- 俄虫タクシー
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
文化財
史跡
- 松前氏城跡 館城跡
天然記念物
- 鶉川ゴヨウマツ自生北限地帯
厚沢部町指定無形民俗文化財
- 安野呂鹿子舞 - 滝野鹿子舞保存会
- 上俄虫鹿子舞 - 上里獅子舞保存会
- 土橋鹿子舞 - 富栄鹿子舞保存会
- 当路鹿子舞 - 当路鹿子舞保存会
名所
温泉
- うずら温泉:国道227号から1.5kmの田園地帯にあり、研修施設として研修室・宿泊施設・食事等が完備(有料)。入浴料400円。休館は月曜日。
- 館町いこいの家:道々上磯厚沢部線沿い館町市街地から約1kmにあり、地域住民の憩いの場として親しまれている。入浴料370円。休館は金曜日。
- 俄虫温泉:道々八雲厚沢部線沿い厚沢部市街地からは約1.2kmの所にあり、日本庭園を配した露天風呂が自慢。入浴料400円。
関連項目
その他
毎年夏まつりに商工会青年部によって、直径1 - 2メートル以上のメークインコロッケを作っている。メートル級の巨大コロッケを作ることになった先駆けである。
特産品等
- メークイン・光黒大豆(ひかりくろだいず)・大根など
- 土橋自然観察教育林(通称:レクの森)は2002年(平成14年)に「日本の遊歩100選」に選ばれた。
- 五葉松(ゴヨウマツ)と共に、ヒバの北限とトドマツの南限が混在しており、多様な植生が見られる。