厚岸町
厚岸町(あっけしちょう)は、北海道釧路総合振興局管内の厚岸郡にある町。
町名の由来は、アイヌ語のアッケウシ(atkeusi オヒョウニレの皮をいつもはぐ所)から。アイヌ語でカキの意とするバチェラーの説は疑わしいとされる[1]。 かつて古くは東北海道アイヌ民族の中心都市であった。
地理
釧路総合振興局東南部に位置。 町南部は太平洋に面していて厚岸湾が入り込み、海沿いに漁村が点在する。 北部は丘陵地帯が広がり、酪農がおこなわれる。町面積の57%は森林。
夏季は濃霧に覆われる事が多く、気温は上がらない。 冬季の積雪は少ないが、平均気温は-5度と低い。
大黒島はかつては人が住んでいたが、戦時中に軍の監視基地が置かれたため、住民は退去。かつては、夏場の漁期に季節居住する漁民もいたが、現在は無人島で、島は特別天然記念物に指定され、コシジロウミツバメやゼニガタアザラシの繁殖地となっている。コシジロウミツバメの繁殖地としては最南端となっている。 天然記念物地域は、許可なしの立ち入りは禁止されている。
- 別寒辺牛川(べかんべうし)、ルークシュポール川、ポンルークシュポール川
隣接している自治体
人口
2009年9月末現在
- 総数10,993人(男5,229人、女5,764人)
- 世帯数 4,436世帯
歴史
天然の良港厚岸湾を有し、江戸時代は釧路・根室地方の中心地として栄えた。
- 1624年 - 1643年(寛永年間) 松前藩によりアッケシ場所が開設される。
- 1701年 アッケシ場所を分割し、キイタップ場所(現・浜中町)が開かれる。
- 1832年 タスマニアの捕鯨船と地元民や役人が交戦。
- 1890年(明治23) 太田屯田兵村が創設される。
- 1900年(明治33年)7月1日 4町7村が合併し、厚岸町となり、一級町村制が施行される。
- 1955年(昭和30) 太田村の南半分を編入合併。
経済
産業
街の歴史は江戸時代からと古く、周辺地域住民の商業、水産都市として発展している。
漁業(アサリ・カキ・昆布・海苔等)と酪農、林業が盛ん。特に北海道のカキの産地として知られ、町おこしも行う。
上尾幌地区ではかつていくつかの炭鉱があったが、現在は閉山している。 しかし、きのこの栽培もはじめており、毎年秋には「きのこ祭り」が行われる。
農協・漁協
- 釧路太田農業協同組合(JA釧路太田)
- 厚岸漁業協同組合
金融機関
郵便局
- 厚岸郵便局(集配局)
- 尾幌郵便局(集配局)
- 上尾幌郵便局
- 床潭郵便局
- 本厚岸郵便局
- 釧路太田郵便局
- 糸魚沢簡易郵便局
- 門静簡易郵便局
宅配便
公共機関
警察
消防
- 釧路東部消防組合消防本部
- 厚岸消防署
姉妹都市・提携都市
海外
1850年(嘉永3年)4月11日にクラレンスの捕鯨船イーモント号が末広沖で遭難、この際乗組員32名を救助した縁で1982年に姉妹都市締結された。
国内
江戸時代の北方探検家最上徳内が厚岸を蝦夷地調査時の拠点としていたことによる。 1991年(平成3年)7月15日に締結。
教育機関
大学・短期大学
- 国立大学
- 国立大学法人 北海道大学理学部付属厚岸臨海研究所
高等学校
- 道立高等学校
中学校
- 町立
- 厚岸、太田、真龍、高知
小学校
- 町立
- 厚岸、太田、真龍、床潭(とこたん)、高知
交通
鉄道
バス
かつては国鉄バス、JR北海道バスが厚岸自動車営業所を設置し、標茶駅方面や国泰寺方面へ運行していた。
道路
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
文化財
重要文化財
- 正行寺本堂
- 蝦夷三官寺国泰寺関係資料 - 国泰寺蔵・厚岸町海事記念館保管
登録有形文化財
- 正行寺鐘楼
史跡
- 国泰寺跡
天然記念物
- 大黒島海鳥繁殖地
道指定
- 太田屯田兵屋 - 道指定有形文化財
- 厚岸神岩砦跡及び竪穴群 - 道指定史跡
- 厚岸床潭沼の緋鮒生息地 - 道指定天然記念物
厚岸町指定文化財
- 仏牙舎利塔 - 国泰寺境内
- 鹿島稲荷神社祭神御堂
- 国泰寺什器書画古文書、厚岸湖牡蠣島弁天神社弁財天座像など有形文化財6件
- 厚岸かぐら - 厚岸かぐら同好会
- お供山チャシ跡群
- チカラコタン竪穴群
- ホロニタイ竪穴群
- 筑紫恋入口竪穴群
- 筑紫恋チャシ跡
- 色古丹松 - 国泰寺境内
- 老桜樹 - 国泰寺境内
- 逆水松 - お供山山頂、樹齢約400年のイチイ(オンコ)
- 太田屯田の赤松
- 太田屯田の桑並木
観光
- 愛冠岬
- 厚岸湖
- 厚岸味覚ターミナル「コンキリエ」厚岸コンキリエ
- あやめヶ原
- 国泰寺跡
- 厚岸道立自然公園
- 厚岸神社(神明宮) 最上徳内が建設したと言われる神社
- 厚岸町立真龍中学校 映画「僕等がいた」の高校時代のロケ地