南ベトナム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
| |||||
公用語 | ベトナム語 | ||||
首都 | サイゴン | ||||
国家指導者 | 大統領、或いは主席 | ||||
面積 - 総計 - 水面積率 |
173,809km² N/A | ||||
人口 - 総計 - 人口密度 |
19,370,000人(1973年) 111.4/km² | ||||
GDP (PPP) | N/A | ||||
存在期間 - 誕生 - 消滅 |
ジュネーヴ協定の取り決め 1954年7月21日 1976年7月2日 | ||||
通貨 | ドン(徐々にピアストルから交換される) | ||||
時間帯 | UTC +7 | ||||
国歌 | 青年行進曲、南部解放 | ||||
国際電話番号 | 不詳 |
南ベトナム(みなみベトナム)とは、日本の降伏からベトナム社会主義共和国成立までの間(1945年9月2日~1976年7月2日)、北緯17度線以南のベトナム領域に存在したベトナム人国家の通称である。なお、1954年7月21日までは、領土を縮小されたフランス領インドシナの一角であった。
冷戦下の分断国家の一つ。反共主義を名目としていたが、実際はフランス政府やホワイトハウスに追随する政治家が指導した傀儡政権という色が濃い。対して、17度線以北には、共産主義を名目とするベトナム民主共和国(北ベトナム)が存在していた。
概要
北緯17度線でのベトナム分断は、第一次インドシナ戦争におけるフランスとベトミンの休戦協定として、1954年に締結されたジュネーヴ協定に基づいて実施された。
- 親仏政府・親米国家(1954年7月21日 - 1975年4月30日):ベトナム国、これに続くベトナム共和国。これらの国は、北ベトナムの共産党国家であるベトナム民主共和国に対抗し、ベトナムにおける唯一正統な国家であることを主張していた。→詳細は本記事、下記参照。
- 共産主義国家(1975年4月30日 - 1976年7月2日):南ベトナム共和国。この国は、南ベトナム領域のみを統治する臨時政府であることを主張し、ベトナムの再統一をベトナム民主共和国に一任していた。詳細は「南ベトナム共和国」を参照すること。
親仏・親米国家
南ベトナムとして、フランス政府やホワイトハウスと親密な国家が存在していた時期は、以下の通りである。
- ベトナム国(ベトナム語:Quốc gia Việt Nam)1948年5月27日注 - 1955年10月26日
- ベトナム共和国(Việt Nam Cộng Hòa)1955年10月26日 - 1975年4月30日
注:1948年から1949年までは、ベトナム臨時中央政府という名の暫定政府であった。
歴代元首
南ベトナムの指導者を参照。
関連項目
外部リンク
|
|