到達不能極
到達不能極(とうたつふのうきょく、テンプレート:Lang-en-short, PIA)とは、陸上で最も海から遠い点、または海上で最も陸から遠い点である。「不能」とあるが、あくまで地理的に定められた点であり、物理的には「到達できる」(到達例がある)ため、日本では到達困難極(とうたつこんなんきょく)ともいわれる。到達不能点、到達困難点ともいわれる。
目次
陸上の到達不能極
ユーラシア到達不能極
ユーラシア大陸の到達不能極が、海洋から最も遠い地球上の陸地である。海まで2645kmあるテンプレート:Coordであるとされてきた。この地点は中国の新疆ウイグル自治区のウルムチから北におよそ320kmほど離れている。正確な地点には、1986年6月27日にニコラス・クレーンとリチャード・クレーンが到達した。
しかし、オビ湾が河川扱いで陸の一部として求められた地点であるため、地図の表示と同じく海洋に含めて計算し直した2007年の研究[1]では、誤差範囲内にある2地点が到達不能極であると示された。EPIA1 テンプレート:CoordとEPIA2 テンプレート:Coordはそれぞれ海まで2510±10kmと2514±7km離れている[1]。いずれも新疆にあるが、前者はカザフスタンとキルギスタンの国境に近いKokirqin Shan山近くの標高2000mを上回る山中で以前の地点から435km離れている。後者はウルムチの北174kmで以前の地点から156km離れている[1]。
南到達不能極
テンプレート:Coordは南極大陸で最も海から遠い点で、南極点から463km離れた標高3718mの地点である。1958年12月14日、ソ連の南極探検隊が雪上車を使用して到達し、テンプレート:仮リンクを建てた。基地には、モスクワの方向を向くレーニンの胸像がある。基地は機能していないが歴史的建造物として保護されている。英国人4人の「チームN2i」が日本時間の2007年1月20日に徒歩で到達した[2][3]。徒歩での到達はかなり難しいとされていた。
南極大陸の氷床は常に動いているため、氷床の上にある到達不能極基地は正確な到達不能極からずれている。しかし、前述のチームN2iの冒険に際し、ギネス・ワールド・レコーズはソ連の探検隊の実績を鑑みて、(スポーツの一種としての)冒険に関してなら、到達不能極基地は南到達不能極であるとした[4]。
他の大陸の到達不能極
- 北アメリカ大陸
- テンプレート:Coord、海洋から1650km[1]、アメリカサウスダコタ州のテンプレート:仮リンクとテンプレート:仮リンクの間
- 南アメリカ大陸
- テンプレート:Coord、海洋から1517km[1]、ブラジルのテンプレート:仮リンク付近
- アフリカ大陸
- テンプレート:Coord、海洋から1814km[1]、中央アフリカ共和国・南スーダン・コンゴ民主共和国の3国国境付近でテンプレート:仮リンクの町付近
- オーストラリア大陸
- テンプレート:Coord[5]またはテンプレート:Coord[1]、海洋から920km、いずれもアリススプリングス付近
日本の到達不能極
長野県の佐久市(旧臼田町)には日本列島で最も海から遠い地点、いわば日本の到達不能極がある。海からおよそ115km離れている[6][7]。
海上の到達不能極
北到達不能極
(テンプレート:Coord)は北極海で最も陸から遠い点で、エルズミーア島とゼムリャフランツァヨシファから共に 1094km 離れている。北極点からは661km離れている。1927年、ヒューバート・ウィルキンスが飛行機で到達した。また、1958年にはロシアの砕氷船が、1968年にはウォーリー・ハーバートが犬ぞりで、それぞれ到達した。浮いた氷の上にあるため、恒久的な目標物はない。
太平洋到達不能極
「ネモ船長の点」[1]とも呼ばれる陸地から最も遠い海洋の点は 南太平洋のテンプレート:Coordにあり、北にあるピトケアン諸島のデュシー島、北東にあるイースター島の属島テンプレート:仮リンク、南にある南極のマリーバードランドテンプレート:仮リンク沖のテンプレート:仮リンクの、最寄りの陸まで2690km離れている[1]。チャタム島はさらに西、チリ南部はさらに東にある。偶然ではあるが、太平洋到達不能極から陸までの距離と、ユーラシア到達不能極から海までの距離は、ほぼ同じである。
脚注
関連項目
- 地理極
- 世界一の一覧#地理
- トリスタン・ダ・クーニャ:世界で一番孤立している有人島。南大西洋にある。