兵庫医科大学
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テンプレート:Infobox 兵庫医科大学(ひょうごいかだいかく、テンプレート:Lang-en)は、兵庫県西宮市武庫川町1-1に本部を置く日本の私立大学である。1972年に設置された。大学の略称は兵医(ひょうい)。 大阪大学医学部や神戸大学医学部出身の教授が多い。6年間の学費は3900万円程度。
目次
概観
兵庫医科大学は、兵庫県で医学部を擁する唯一の私立大学であり、1972年当地にあった武庫川病院を経営する精神科医森村茂樹が中心となって設立された医科単科大学である。
建学の精神
- 社会の福祉への奉仕
- 人間への深い愛
- 人間への幅の広い科学的理解
特色
古くから兵庫県の特別推薦入学制度がある。この制度は僻地の医師確保を目的とするもので、これによって入学した者には県から修学資金が貸与され、医師免許を取得後、県が指定する僻地医療機関に貸与期間の1.5倍にあたる期間勤務することで、返還が免除される。創立当初は毎年5名、その後1名の期間を経て現在毎年5名を養成している。[1][2]
沿革
- 1972年(昭和47年) - 兵庫医科大学・兵庫医科大学病院を開設、医学部を設置。
- 1978年(昭和53年) - 大学院医学研究科を設置。
- 1997年(平成9年) - 国立篠山病院を経営移譲され、兵庫医科大学篠山病院を開設。
- 2001年(平成13年) - 兵庫医科大学附属看護専門学校を開校。
- 2007年(平成19年) - 兵庫医療大学を神戸・ポートアイランドに開学。関西学院大学と学術交流に関する包括協定を締結。
- 2009年(平成21年) - 兵庫医科大学附属看護専門学校の学生募集停止。
基礎データ
所在地
- 西宮キャンパス(兵庫県西宮市武庫川町1-1)
- 篠山キャンパス(兵庫県篠山市黒岡5)
象徴
- 校歌は作詞・上野直蔵(同志社大学教授)、作曲・川澄健一(神戸女学院大学教授)によるもので1974年に制定された。
教育および研究
学部
- 医学部
- 学年あたりの定員は110名。自学自習に基づくグループ討論を行う「チュートリアル教育」と称するカリキュラムが1年次から4年次まで配されている。医師となることへの動機付けを具体化させることを目指し、1~2年次に早期臨床体験実習を行っている。また、解剖学、生化学などの科目別ではなく、臓器別のカリキュラムを導入しており、それぞれの臓器について解剖・生理・病理・治療などを一貫して学習する体制になっている。
大学院
- 医学研究科
附属機関
- 先端医学研究所
- 兵庫医科大学病院
- ささやま医療センター
- リハビリテーションセンター
- ささやま老人保健施設
- ささやま居宅介護支援事業所
学生生活
大学祭
醫聖祭と称し、毎年創立記念日(11月22日)前後に行われている。
大学関係者
- 理事長:新家荘平
- 学長:中西憲司
- 兵庫医科大学の人物一覧
施設
西宮キャンパス
篠山キャンパス
- JR篠山口駅西出口よりバスで約20分(二階町バス停下車)
対外関係
他大学との協定
- 同じく西宮市に本拠を置く関西学院大学との間で学術交流協定を締結している。
- 大学コンソーシアムひょうご神戸に参加している。
- 姉妹校に兵庫医療大学がある。
- 6年次の学外実習においては、本学と大阪医科大学・関西医科大学・近畿大学医学部の4大学間で、学生の相互受け入れを行っている。
出来事
- 2007年(平成19年)4月に、同大学病院の研修医が医師法に違反して、別の病院でアルバイト診療をしていたことが発覚。これを受け、厚生労働省近畿厚生局が、全国で初めて実態調査を実施したところ、大阪大学病院・大阪市立大学病院・神戸大学病院など大阪府・兵庫県内計26の病院で、計98人もの研修医のバイト診療が判明した[1]。
- 2005年のJR福知山線脱線事故で、負傷者の手当てを行った同大学病院の元看護師の35歳の女性が、2006年に心的外傷後ストレス障害(PTSD)と診断され、西宮労働基準監督署に労災申請したが却下されたため、「野戦病院並の環境下でPTSDになった」として、神戸地方裁判所尼崎支部に対し、労災認定を求め訴えを起こした[2]。
脚注
- ↑ 研修医 違法バイト98人 読売新聞 2008年1月29日
- ↑ 「脱線事故の看護でPTSD」元看護師が労災認定求め提訴 読売新聞 2008年11月18日