大阪医科大学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
テンプレート:Infobox 大阪医科大学(おおさかいかだいがく、テンプレート:Lang-en)は、大阪府高槻市大学町2-7に本部を置く日本の私立大学である。1946年に設置された。大学の略称は大医(だいい)。 1927年に大阪高等医学専門学校として創立された。6年間の学費は3100万円程度。(なお、2009年度からは入試前期日程において、一次試験で100位以内の成績をおさめて入学した者には、初年度納入金のうち342万円が減免される新・特待制度を導入。)
目次
特色
教育機関として
- 関西大学や大阪薬科大学と学術交流協定を締結している。(なお、前述2大学と合同で、2010年に医・薬・工の連携を目的とした共同学部を設置する予定であったが、文科省の規定する省令と計画の間に乖離があり見直しが必要となったため、後に延期となった。)
- 高槻市と連携協力協定を締結している。
- 株式会社格付投資情報センターの学校法人としての格付けでは、A+(安定的)にランク付けされている(2006年9月30日現在)。
- 大学コンソーシアム京都や大学コンソーシアム大阪に参加している。
- 6年次の学外実習においては、本学と関西医科大学・近畿大学医学部・兵庫医科大学の4大学間で、学生の相互受け入れを行っている。
設備
- 旧看護専門学校校舎は、ウィリアム・メレル・ヴォーリズが設計したサラセン様式の旧校舎群のうちの現存する建物で、文化財保護法による国指定の登録有形文化財となっている。なお、この建物は2007年11月1日からは、大阪医科大学歴史資料館として一般公開されている。
沿革
- 1927年 大阪高等医学専門学校として設立
- 1946年 大阪医科大学(旧制)に
- 1952年 大阪医科大学(新制)に
- 1959年 大学院設立(医学研究科)
- 2009年 大阪医科大学健康科学クリニックを開設。
- 2010年 看護学部を開設。
出来事
- 本学法医学教室は、日本政府からキム・ヘギョン(日本の拉致被害者、横田めぐみの娘)と、キム・ヨンナム(韓国の拉致被害者)のDNA鑑定の依頼を受け、2人の間には97.5%の確率で血縁関係があるとの結果を出した。
- 2007年5月、エホバの証人信者の妊婦が帝王切開術を施行した際、分娩後の弛緩出血などにより大量出血し輸血の必要性を生じたが、宗教上の理由のために輸血が不可能であったため、数日後に死亡した。病院は術前に女性本人から、輸血を行わない場合に起きた事態については免責する旨の同意書を得ており、また容体が急変した際に家族に輸血の許可を求めたが、家族は本人の意思を尊重し輸血を希望しなかったという。その後、院内に事故調査委員会を設置、関係者に聞き取り調査などが行われたが、その結果、本事例については異状死とは判断されず、家族の希望もあり警察への届出は行われなかった。
- 2009年12月1日、オリエントコーポレーションと提携し、学納金を同社が立て替えることで、毎月分割で支払うことが可能な学費クレジット「ドクター奨学プラン」(医学部向け)及び「学費サポートプラン」(看護学部向け)の取り扱いを開始。[1]
- 性同一性障害(以下、GIDと記載。)と診断した大学院生に対し2006年5月に乳房切除を行った際、術後に左縫合部の全てと右縫合部の一部が壊死し脱落したため、大学院生が2007年3月に病院側の対応が不十分であったとして、大学に対し約3300万円の損害賠償を求め提訴していたが、2010年3月に大学側が一部説明義務違反を認め、原告に対し約330万円の賠償金を支払うこと、そして手術に関して話し合いの場を設けることや、今後のチーム医療における改善点を書面で知らせることなどを条件に和解が成立した。[2]
- 2011年1月、本学ジェンダークリニックにおいて、GIDと診断されている小学6年の男児に対し同年2月から抗ホルモン療法を開始することを決定。(当時、小児GIDに対する抗ホルモン療法は本邦初であった。)[3]
学外活動
キャンパス
- 本部キャンパス(高槻市大学町)
- 教養教育、専門教育、部活動(文化部)
- 本部北西キャンパス(高槻市八丁西町、旧YMCA)
- さわらぎキャンパス(高槻市沢良木町)
- 部活動(運動部)
- 本部西キャンパス(高槻市北園町、住友重機械工業社員寮跡地)
- 職員駐輪場
施設
- 大阪医科大学健康科学クリニック - 2009年6月にJR高槻駅前に開設。完全予約制・紹介制のクリニック、及び人間ドックに特化された施設である。その後、2011年5月に日本人間ドック学会の人間ドック・健診施設機能評価認定施設となった。
学部・学科
大学院
交通アクセス
大学関係者と組織
大学関係者一覧
- 理事長:植木實
- 学長:竹中洋
- 大阪医科大学の人物一覧
その他
系列校
- 本学さわらぎキャンパスの北側には、高槻中学校・高等学校が隣接している。
高槻中学校・高等学校は、1940年に当時の大阪医科大学理事長・藤堂献三が地元の希望に応え設立したもの(当時は旧制高槻中学校)。 数年前までは田中忠彌が本学と学校法人高槻高等学校(高槻中学校・高等学校の設置者)の理事長を兼ねていた。(田中忠彌の受章記念パーティーも大阪医科大学理事長並びに高槻中学校・高等学校長の両名が発起人となっている(田中忠彌理事長受章祝賀会(槻友会)))
近年では一部土地の譲渡なども行われた他、2011年4月からはかつて本学の学長を務めた植木實が学校法人高槻高等学校の理事長に就任している。
関連項目
出典
- ↑ 大阪医科大学と提携し2種類の学費クレジットを導入-オリエントコーポレーション[1]
- ↑ 乳房切除で皮膚壊死 和解…大阪医大 - 読売新聞[2]
- ↑ 性同一性障害、小6男児に抗ホルモン治療へ 大阪医科大 - 朝日新聞[3]
- ↑ 自走式カプセル内視鏡がヒトでの撮影に成功 - 大阪医科大学[4]
- ↑ 大阪医科大と薬科大、統合へ 経営基盤の強化はかる - 朝日新聞[5]
- ↑ 大阪医大と大阪薬科大が統合協議 - 日本経済新聞[6]
- ↑ 学校法人大阪医科大学と学校法人高槻高等学校の合併について - 大阪医科大学[7]