伊藤茂
テンプレート:政治家 伊藤 茂(いとう しげる、1928年3月2日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(8期)、運輸大臣(第67代)、日本社会党政策審議会長(第12代)、社会民主党副党首・幹事長・政策審議会長を歴任。
来歴
山形県出身。東京大学経済学部卒業。大学在学中に日本社会党に入党し、恩師大内力東大教授の勧めにより党本部に勤務する。社会党本部職員時代は安保改定阻止国民会議事務局次長、党中央執行委員、国民運動局長を歴任。
1976年、第34回衆議院議員総選挙に社会党公認で旧神奈川1区から出馬し、初当選。社会党内では元社会党委員長の勝間田清一に師事した。1981年、日本社会党委員長選挙で現職の飛鳥田一雄の再選に協力し、主流派に加わった。
1986年、土井たか子委員長の下で政策審議会長に就任。竹下内閣発足後はリクルート事件や消費税の導入をめぐって自民党への風当たりが強まり、社会党の政権担当能力が問われる中、党の政策の責任者である政策審議会長の立場からマスコミに登場する機会が多かった。
日本共産党を除いた野党4党による連合政権の樹立を目指し、公明党の坂口力政策審議会長、民社党の米沢隆政策審議会長、社会民主連合の菅直人らと連携したが、1990年の第39回衆議院議員総選挙では、社会党が公明、民社の票を奪う形で議席数を伸ばしたため、野党共闘は不調に終わり、連合政権協議も頓挫した。
1991年、土井委員長が辞任し、後任には田邊誠が就任した。伊藤は田邊執行部でも政策審議会長に留任し、社会党シャドーキャビネットの副総理に就任する。
1992年の第16回参議院議員通常選挙で社会党が惨敗したため伊藤は政策審議会長を辞任したが、副委員長に就任。1993年、田邊委員長の辞任により党執行部が総辞職し、伊藤も副委員長を退任した。
1993年、宮澤改造内閣への内閣不信任決議案可決により実施された第40回衆議院議員総選挙では、社会党は獲得議席70の惨敗に終わるものの自民党も過半数を割り込み、非自民・非共産8党派による細川連立政権が発足。伊藤は細川内閣で運輸大臣に任命され、初入閣。翌1994年4月、金銭スキャンダルで追い込まれた細川護煕首相が電撃辞任し、伊藤も運輸大臣を退任。
1996年1月、日本社会党の社会民主党への改称に伴い、村山富市党首の下で党政策審議会長に就任。同年9月、佐藤観樹社民党幹事長が離党し旧民主党結成に加わったため、後任の幹事長に就任。小選挙区制導入後初めて実施された第41回衆議院議員総選挙では神奈川8区から出馬するも4位で落選(当選者は新進党の中田宏)し、重複立候補していた比例南関東ブロックで復活し、8選。1999年9月、幹事長を退任し、社民党副党首に就任。2000年の第42回衆議院議員総選挙には、村山前党首共々出馬せず、政界を引退した。
2013年2月、社民党本部移転のため取り壊しが決まった三宅坂の旧社民党本部(社会文化会館)の「お別れ会」に同党名誉党首である村山富市元首相と共に参加した[1]。
人物
- 伊藤は社会党右派に属しており、社会主義・共産主義ではなく、むしろヨーロッパの社会民主主義への志向が強かった。そのため社会党の左傾化を憂い、「めざすべきはウラルの向こうにあったのに、社会党はウラルの手前で処理しようとした」という言葉を残している。
- ソビエト連邦からアメリカ合衆国に亡命した、KGBスパイであったスタニスラフ・レフチェンコは、伊藤が「グレース」というコードネームを持つKGBの工作員であったと証言している(レフチェンコ事件)[2][3]。
著書
- 単著
- 『動乱連立 その渦中から』中央公論新社、2001年
- 『私たちの生きた日本 その「小さな歯車」の記録』明石書店、2004年
- 共著
脚注
- ↑ 社民が旧党本部でお別れ会=村山元首相「低迷歯がゆい」2013年2月27日 時事ドットコム
- ↑ テンプレート:Cite book
- ↑ テンプレート:Cite journal
関連項目
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|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
佐藤観樹
|style="width:40%; text-align:center"|社会民主党幹事長
第2代 : 1996年 - 1999年
|style="width:30%"|次代:
渕上貞雄
|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
結成
|style="width:40%; text-align:center"|社会民主党政策審議会長
初代 : 1996年
|style="width:30%"|次代:
及川一夫
|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
嶋崎譲
|style="width:40%; text-align:center"|日本社会党政策審議会長
第12代 : 1986年 - 1991年
|style="width:30%"|次代:
早川勝
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