京王3000系電車
テンプレート:鉄道車両 京王3000系電車(けいおう3000けいでんしゃ)は、京王電鉄井の頭線用の通勤形電車である。1962年(昭和37年)から1991年(平成3年)にかけて東急車輛製造で製造され、2011年(平成23年)まで運用された。京王で初めてオールステンレス車体を採用した。1996年(平成8年)から2011年12月にかけて全車廃車され、その一部は各地方私鉄に譲渡された。
概要
本系列は、主に緑色の車体(「グリーン車」)でおなじみだった井の頭線の旧型車両(1000系列)の置き換えを目的に製造された。
最大で5両編成29本(145両)が富士見ヶ丘検車区に在籍していたが、1996年(平成8年)以降1000系の導入で廃車が進み、2004年(平成16年)11月に未更新車が全廃。以後はリニューアル工事を行った5両編成14本(70両)が在籍していたが、京王電鉄は全車両をVVVFインバータ制御車両に統一する方針であり、本系列は導入予定のATCに対応させないことから、2008年(平成20年)から2009年(平成21年)にかけて追増備された1000系に置き換えられ、2011年12月をもって運転を終了し、全廃された。
本系列は京王初のオールステンレス車体で、日本国内の鉄道車両では東京急行電鉄の初代7000系に続いて2番目に採用された。ステンレス車両の製造には、東急車輛がアメリカのバッド社から導入した技術が用いられ、一部車内には同社からのライセンス技術により製造された旨の銘板が取り付けられていた。
京王の営業用車両では最後まで運転台のマスコンハンドルとブレーキハンドルが個別に設置され、電磁直通制動を装備する18.5m車体の片側3扉車両であった。乗務員室の内装は緑色である。2003年(平成15年)ごろより1000系と同等の電子警笛が追設された。営業最高速度は90km/h(かつては80km/h)であるが、速度計は140km/h表示で、ATS照査速度表示スペースはない。乗務員室と客室の仕切り窓は3か所であり、中央が乗務員室仕切り扉である。遮光幕などについては京王電鉄#車両を参照。
特徴
前面形状は、2枚窓のいわゆる「湘南形」を採用した。
製造の難しいステンレス車で単調となりがちな前面にFRPを用いたが、これは日本では初めての試みであった。このFRP部分にパステルカラーの着色をし、編成ごとに変えて変化を持たせたため、レインボーカラーの電車として人気があった。ステンレスとプラスチックの電車ということで「ステンプラカー」の愛称がある。ただし、2008年時点で京王に残る車両はすべて更新改造(後述)時にFRP部分を普通鋼に変更しているため、本来の意味での「ステンプラカー」は各地方私鉄に譲渡された非更新の初期車のみである。
乗務員室直後部分にも座席があり、乗務員室仕切り部分の一部にも座席モケットが張られている。
正面色一覧
テンプレート:Ambox-mini 編成番号と車体色の対応は下表の通りであり、「第n編成の車体色はnを7で割った余りに対応する」という規則がある。
この規則は基本的に1000系にも引き継がれている。
編成番号 | |||||
---|---|---|---|---|---|
1.ブルーグリーン | 01 | 08 | 15 | 22 | 29 |
2.アイボリー | 02 | 09 | 16 | 23 | |
3.サーモンピンク | 03 | 10 | 17 | 24 | |
4.ライトグリーン | 04 | 11 | 18 | 25 | |
5.バイオレット | 05 | 12 | 19 | 26 | |
6.ベージュ | 06 | 13 | 20 | 27 | |
0.ライトブルー | 07 | 14 | 21 | 28 |
製造年による変化
4両編成から5両編成へ
第15編成までは4両編成で落成したが、輸送力の増強に伴い、後にデハ3100形を1両組み込んで5両化された。そのため、編成中のこの車両のみ装備や性能が異なる場合がある。また、第16編成以降は5両編成で落成している。なお、デハ3101 - 3115の車体は第10 - 13編成とほぼ同じである。
狭幅車体片開き3ドアと広幅車体両開き3ドア
客用扉は、最初に落成した第1・2編成のみ片開きであったが、第3編成以降は両開きとなった。5両化に際して連結したデハ3100形は第3編成以降と同じスタイルであり、第1・2編成では形態の異なる車両が1両挟まることとなった。
扉(片開き扉をD、両開き扉を'D'、乗務員室扉をdと表記)と窓(数字で表記)の配置は狭幅片開き車がd1D3D3D2で、車体長も含めて先行形式の旧1000系や京王線の5000系、さらには京浜急行電鉄旧1000形や京成電鉄旧3000形などと同一である。この窓配置を始めたのは2700系が最初であると言われている。また、広幅両開き車はd1'D'2'D'2'D'2で、東急の初代7000系(車体長は異なる)などと比較して両端の扉が窓1枚分中央に寄り、車端が長いのが特徴である(いずれも先頭車で表示)。特に後者の窓配置は珍しく、他社では京阪電気鉄道6000系以降に見られる程度である。ただし、窓の形状は異なるが車端が長いという点では、横浜市営地下鉄ブルーラインの車両や京成3700形、伊豆箱根鉄道5000系なども該当する。
冷房化
第13編成までは非冷房で落成し、第14・15編成が新製冷房車(試作冷房車)、第16編成以降が量産冷房車としてそれぞれ増備された。第1 - 13編成は1971年(昭和46年) - 1973年(昭和48年)ごろに冷房化され、同時期にデハ3100形(新製冷房車)を組み込んで5両化された。5両化と冷房改造は前後して進み、5両化が先で残る4両が後で冷房改造されたケースもあった。
改造冷房車の中間車は編成ごとに冷房改造後の室内の天井形態にも違いがある。先頭車はすべて冷房吹き出し口とファンデリア(換気扇)の併用だが、中間車はファンデリアの代わりに補助送風機としてのラインデリアを装備したものがある。
軽量構造化
第20編成以降は軽量ステンレス構造となり、車体構造が一部異なるが、車体外板は従来通りのコルゲート加工なので一見して分からない。変更点は、室内ドアの隅柱などの工作や化粧板の継ぎ目の押面の位置などである。外板のコルゲートの本数は1本少ないため、側窓下のコルゲート部までの隙間が大きい。後年、側窓とコルゲート部の間に側面帯を追加したが、第19編成まではコルゲートの上端2本に貼付された。
東急車輛での強度試験に車体を供出したデハ3054号と踏切事故により修繕したクハ3758・デハ3108・デハ3058号の4両も同構造の車体がほぼ新製され、手摺り・側ドア・パイプ棚・冷房風洞は可能な限り再利用したが、デハ3054号の風洞は新製車と同等とされた。第8編成の客用扉は破損した数枚以外再利用したが、窓ガラスの支持方式がHゴムのものと、デハ3100形用の押さえ金支持式、破損不足分の第28・29編成と同等の新製客用扉が復旧の際にランダムに取り付けられた。したがって、1両の中に複数の形態のドアが混在する。これらの車両にも窓下に帯を追加したが、連結相手に合わせてコルゲート上に貼付されており、帯の位置が低い点が完全新造車と異なる。
制御・制動方式
全編成とも電磁直通空気制動を装備するが、以下の点で異なる。
第1 - 9編成
第10 - 15編成
落成当時は抵抗制御・回生制動(東急7000系・7200系と同方式)であったが、1985年(昭和60年)ごろに界磁チョッパ制御に改造された。
上記以外
5両化用のデハ3100形と第16編成以降は界磁チョッパ制御・回生制動。
各編成の概要
第1・2編成
1962年度に投入した18m片側3扉車。扉は1,200mmの片開き扉で、主電動機は直流直巻で出力は100kW。発電制動、強制通風式抵抗器、窓割などは旧1000系と同様で、車体幅も以降の編成より狭い2,700mmである。MT比2M2Tの4両編成で登場し、後に広幅のデハ3100形を組み込んで5両化した。M車(電動車)・T車(付随車)ともパイオニア形台車 (PIII-703) を装着していたが、M車用PIII-703はTS-801Aに交換された。第1編成と第2編成では正面の手摺りの配置が一部異なり、第2編成の手摺りの配置は後の第3編成以降に踏襲される。井の頭線が本系列に統一された1984年(昭和59年)ごろからは平日朝ラッシュ時のみに限定使用していたが、1996年に廃車された。営業運転終了時には先頭車の前面に投入年を記載したヘッドマークを装着して運用された。
2編成とも非冷房で登場し、改造により冷房装置を搭載するとともに新製冷房車のデハ3100形(両開き車)を挟んで5両編成となったため、片開き車と両開き車が混在する編成となった。先頭車が分散式[1](4台/両)、中間車が集中式(1台/両)となっている。なお、登場時は第1編成がサイクルファン(扇風機)、第2編成がファンデリアという違いがあった。
第3 - 9編成
1963年度から投入した車体長18.5m・車体幅2,800mmの片側3扉車。扉は先に投入された第1・2編成より幅が100mm広い1,300mmの両開き扉となり、以後はこの仕様で新製した。主電動機の出力は100kW。発電制動式。M車・T車ともパイオニア形台車 (PIII-703) を装着していたが、後にM車用PIII-703はTS-801Aに交換され、1985年以降はTc車(制御車)もTS-821Aに交換された。この第9編成までが客用扉の窓ガラス支持がHゴムである。1996年 - 1998年(平成10年)に廃車された。こちらも非冷房で登場し、改造により冷房装置を搭載した。
第10 - 13編成
1967年(昭和42年)度に投入した。主電動機は直流複巻で出力120kW、歯車比が5.60から6.07に変更され、回生制動を採用した。台車はM車はTS-801を、Tc車は第1 - 9編成から捻出されたPIII-703を改造して使用した。Tc車は1985年以降にTS-821Aに交換された。このグループは第13編成が後述の第14・15編成とともに延命のための車内のみの簡易更新工事を1998年度に実施した。2000年(平成12年)に第10編成が、2003年(平成15年)に第11編成が、2004年に第12・13編成がそれぞれ廃車となった。こちらも非冷房で登場し、改造により冷房装置を搭載した。
第14・15編成
1969年(昭和44年)度に投入した。4両で新製された最後のグループである。扉と主電動機の出力、台車などは第10 - 13編成と同じである。このグループ以後は新製時から冷房装置を搭載する。2004年3月に第15編成が、同年11月に第14編成がそれぞれ廃車となったため、オリジナルタイプおよび(前面が普通鋼にリニューアル改造されていない)「ステンプラカー」は消滅した。
冷房装置は5000系にも使用された6台/両の分散式(冒頭の写真参照)だが、後から組み込んだデハ3114・3115は集中式を1台搭載していた。
第16 - 19編成
1975年(昭和50年)度から投入した(16・17編成が1975年製、18編成が1977年製、19編成が1979年製)。扉と主電動機の出力、台車などは第10 - 15編成と同じである。このグループより5両編成で新製され、すべての電動車が界磁チョッパ制御となる。また、デハ3000形のパンタグラフ搭載位置が、吉祥寺方から渋谷方に変更されている。第19編成では初めて側面にも行先表示器が設置された。このグループは2008年から2009年にかけて廃車されている。
冷房装置は、第16・17編成は先頭車が分散式[1]、中間車が集中式を採用したが、第18編成からは全車集中式とされた。
第20 - 29編成
本系列の最終グループ。軽量車体構造が使用された。第20 - 27編成は1983年(昭和58年)度から1984年度までに最後まで残った1000系列(いわゆる「グリーン車」)の置き換え、第28・29編成は1987年(昭和62年)度の列車増発のためにそれぞれ投入された。扉と主電動機の出力などは第10 - 19編成と同一である。台車はM車がTS-801B、T車がTS-821。事故廃車が発生したため、1991年に同一番号でクハ3722号を1両新製した。冷房装置は全車集中式を搭載し、カバーはステンレス製となった。
2008年から廃車が開始され、各編成のうち中間車2両は解体、残る3両は伊予鉄道向けの改造・譲渡が進んでいる。2011年4月1日時点では第28・29編成が在籍していた[2]。
その後2011年12月をもって営業運転を終了し、同年11月3日から12月4日まで記念イベントを実施する予定であることが発表され[3]、最後まで残った第28編成を使用して同年11月3日、6日、13日の3日間ヘッドマークを装着して営業運転し、同年11月20日に富士見ヶ丘検車区において事前応募者のみによる展示会を実施した後、記念イベント終了後の同年12月10日に伊予鉄道に向け搬出された[4]。
その他の変化
雨樋の設置
第1 - 15編成には水切りのみで雨樋がないが、第16 - 19編成にはさらに雨樋を装備する。第20編成以降では車体構造の変更に伴い水切りがなくなり、雨樋のみになる。
行先表示の変遷
井の頭線伝統の隷書体・縦書きの手動式正面行先表示器を装備し、通常時は始発・終着駅併記であった。1979年(昭和54年)に落成した第19編成以降は電動式となり、前述したように側面にも行先表示器を設置した。この電動式行先表示器では正面は終着駅名のみの表記とされたが、一部編成の急行のみ両端駅併記が表示された時期があった。1982年(昭和57年) - 1986年(昭和61年)にかけて第3 - 15編成についても側面行先表示器の設置および正面の電動化が施工された。1988年(昭和63年)のダイヤ改定後は急行と各停の種別変更が吉祥寺駅で頻繁に行われるようになったため、後に急行・回送表示板を廃止し正面表示器の字幕を急行表示入りのゴシック体横書き(当初は丸ゴシック体、後に京王CI化によりゴシック体に交換)に改めた。この時点では各停は正面・側面とも行先のみの表示であった。その結果、第28・29編成の縦書き表示は短期間に留まった。2002年(平成14年)ごろに正面・側面とも「各停」表示が追加された。第1・2編成は廃車されるまで側面行先表示器が設置されていなかったが、正面行先表示器はその他の編成と同様のデザインに変化していた。
装飾関係
登場当時は編成ごとのテーマカラーが先頭車前面のみであったが、後に側面の窓下にも前面と同一色の帯が入れられた。その後のCIマーク制定後には先頭車端部の窓上にマークを貼付し(旧来の社紋との並存時期もあった)、さらに2002年ごろには前面にも貼付した。排障器(スカート)は後付け設置である。
冷房装置の交換も頻繁に行われ、集中型は鋼製のキセからステンレス製に、さらに6000系の廃車発生品を流用したものや1000系に搭載されたものを設計変更したものなどが存在する。
略記表記
製造当初は上り渋谷寄り先頭車クハ3750形がTc1、以下デハ3050形がM1、デハ3000形がM2、クハ3700形がTc2とされていたが、現在は下り吉祥寺寄り先頭車のクハ3700形がTc1とされ、以下デハ3000形がM1、デハ3050形がM2、デハ3100形がM、クハ3750形がTc2となっている。
運用
系列による区別はなく1000系と共通で運用されたが、駅での旅客案内の都合上、ある程度はどの列車にどちらを充当するかは決まっていた。また、渋谷・吉祥寺の両駅では足元の緑色の乗車位置目標が、それ以外の駅では緑色の3扉車乗車位置が本系列となっていた。
また、1000系の登場時にMT比の低さから空転が多かったため、雨天や降雪時の運用には優先的に本系列を投入していたことがあった。
リニューアル改造
第16編成以降は、1000系の投入と並行してリニューアル工事が実施された。施工第1号は第17編成で、同系列の投入より半年程早く登場した。
抵抗制御の第1 - 9編成が運用終了したころ、第13 - 15編成も延命のために追加として車内の簡易改造工事(化粧板と床の張り替え)が行われた。第11・12編成は座席のモケット張り替えのみ、第10編成は廃車まで原型の配色の車内を保っていた。
正面
- 窓が側面まで拡大された。
- ワイパーを電気式に換装した。
- 先頭車前面カラーマスクをFRPから普通鋼製に変更。このため本系列の特徴であった「ステンプラカー」ではなくなった。
側面
- 正面のカラーマスクの色に合わせたラインは2色化された。
- 連結部に転落防止幌を設置。第16編成以降は縦どいに貼り付けるように一般的な形状のものを設置。屋上昇降用ステップを廃し、妻面にはしごを追加。第10 - 15編成では雨樋がないため、ステップ兼用の外幌は互い違いに噛み合わさる形状のものを設置。
車内
- 座席はえんじ色モケットから1000系に準じたピンク色のバケットシートに変更した。
- 壁面化粧板はオレンジ色から明るい白色へ、床材も黄土色から、白色、ブラウンのフットライン付きへと張り替え、大変明るくなった。化粧板および床の模様は1000系と同じものを採用する。
- ドア付近上部のつり革は第9編成まで新製時より装備しており、第10編成以降と5両化の際の増備車では省略されていた。1985年ごろに第1 - 9編成のドア上部のつり革と取り付け金具を撤去し、しばらくの間は手すりのみが設置されていた。その後、第10編成以降については枕木方向に短いつり革を設置するとともにドア付近上部にも設置された。この時点では第1 - 9編成がすでに廃車されていた。
譲渡
本系列は、これまでに廃車となった車両のうち47両(2009年8月24日現在)が京王重機整備で改造の上、下記に譲渡されている。下記のほか、銚子電気鉄道に8両[5][6]譲渡されることが計画されていたが、資金難から伊予鉄道から3000系の代替対象となる800系4両を譲受する[7]ことに変更されている。
このほか、廃車により発生した冷房装置・パンタグラフ・側面方向幕の一部が高松琴平電気鉄道の車両で使用されている。また、運用目的以外では2004年にデハ3063が群馬県内の企業に譲渡された。2013年10月、クハ3719は京王れーるランドで保存・一般公開をはじめた。
北陸鉄道
- 北陸鉄道へは、1996年、1998年、2006年の3次にわたって2両編成6本(計12両)が譲渡された。
- 浅野川線には車体幅が狭い第1・2編成の先頭車4両を含む2両編成5本(10両)が在籍しており、狭幅車は8800番台、広幅車は8900番台と区分されている。
- 石川線には第11編成の先頭車が譲渡され、2両編成1本が在籍している。
- いずれも正面色は譲渡時にパステルカラーからオレンジに変更されており、下回りは浅野川線用の8000系が京王時代の中間車(デハ3000・3050形)の主要機器が流用されている2M編成であるのに対し、石川線用の7700系は同線の主力形式である7000系(旧・東急7000系)と仕様を統一するためJRおよび西武鉄道の廃車発生品を流用した1M1T編成とされた。
上毛電気鉄道
- 上毛電気鉄道へは、1998年から2000年にかけて2両編成8本(計16両)が譲渡された。
- 下回りは京王時代のものが使用されているが、MT比は北陸鉄道浅野川線のものとは異なり1M1Tである。また、中間車両にオリジナルのものとほぼ同じ形態の運転台が設置された編成が存在する。改造種車によって冷房装置が分散式と集中式に分けられており、両者を混用した編成は存在しない。
- 正面色は当初エメラルドグリーンだったが、後に色違いの正面色も登場している。
岳南鉄道
- 岳南鉄道へは、1996年に7000形3両、2002年に8000形2両の計5両が譲渡された。
- 7000形は、デハ3100形を両運転台に改造したもので、正面色は朱色である。1両編成3本(3両)が在籍。
- 8000形は、中間電動車(デハ3100+デハ3000)に松本電気鉄道(現在のアルピコ交通)3000系と同様の6000系廃車発生品のワンハンドルマスコンを採用した運転台を新設して2両編成にしたもので、正面色は緑色である。2両編成1本のみの在籍。「がくちゃんかぐや富士」の愛称がある。
- 両形式とも先頭車の前面に白色の帯が入り、側面にも正面色と同じ帯が入っている。また、松本電気鉄道と同様に先頭車前面下部への行先表示器の設置は行わず、窓の左上に行先表示器を新設した。
松本電気鉄道(アルピコ交通)
- 松本電気鉄道(現在のアルピコ交通)へは、1999年から翌年にかけて2両編成4本(8両)が譲渡された。すべて中間電動車デハ3100形(モハ3000型)デハ3050形(クハ3000型)から改造されたものである。全車ワンマン運転に対応している。
- 3001-3002・3003-3004・3005-3006・3007-3008と編成を組む。奇数番号がモハ3000型、偶数番号がクハ3000型となっている。
- クハ3000型のうち、3004・3008の前寄りには霜取り用パンタグラフが設置され、3002・3006の同部分にはパンタ台のみが設置されている。
- 新設された前頭部には、オリジナルの更新車と同じくパノラミックウインドウを採用している。また、先頭車前面下部への行先表示器の設置は行わず、窓の左上に行先表示器を新設した。運転台は6000系の廃車発生品のワンハンドルマスコンを採用している。
伊予鉄道
付記
脚注
参考文献
テンプレート:京王電鉄の車両- ↑ 1.0 1.1 「私鉄の車両 17 京王帝都電鉄」(ネコ・パブリッシング)では集約分散式とされている
- ↑ 「大手私鉄車両ファイル 車両配置表」 『鉄道ファン』2011年9月号(通巻605号)付録、交友社
- ↑ 京王井の頭線3000系車両の引退を記念し「ありがとう3000系フェスタ」を実施します - 京王電鉄ニュースリリース 2011年10月14日
- ↑ 京王3000系、ついに全廃に - 交友社『鉄道ファン』railf.jp 鉄道ニュース 2011年12月11日
- ↑ 2008/8/19 朝日新聞夕刊東京本社版7面
- ↑ 07年度 銚子電気鉄道 安全報告書
- ↑ テンプレート:PDFlink - 銚子電気鉄道のニュースリリース
- ↑ 8.0 8.1 新型鉄道車両(3000系)安全祈願祭
- ↑ 『鉄道ファン』2009年3月号(通巻575号)
- ↑ 伊予鉄道株式会社|新型鉄道車両(3000系)の導入について