三遊亭歌笑

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三遊亭 歌笑(さんゆうてい かしょう)は落語名跡。当代は4代目。


3代目

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三代目三遊亭歌笑(1947年)

3代目三遊亭 歌笑1916年9月22日 - 1950年5月30日)は東京都西多摩郡五日市町(現:あきる野市)出身の落語家。本名:高水 治男。

生家は高水製糸工場の二男で地元の小学校卒業後、その後兵隊検査で極度の斜視であった為に丙種合格であったことに失望し上京。

柳家金語楼の芸をラジオで聴いたことで落語のファンになり門を叩くが断られ、金語楼から6代目春風亭柳橋を紹介される。だが、柳橋にも断られる。1937年9月、3代目三遊亭金馬に入門し金平の名をもらう。1941年1942年とも)に二つ目昇進、後に寄席に出演する為、寄席に背を向けていた金馬門を離れ、2代目三遊亭円歌門に移る。1941年(1942年とも)頃かつて師匠が名乗った歌笑に改名し、1947年10月に真打昇進。1948年に映画「音楽二十の扉」、1949年「ホームラン狂時代」に出演。

エラの張った顔が特徴で、極度の弱視で斜視である為目配りが必要な古典落語の道を諦め、自作の新作落語で活躍。特異な風貌や奇声と共に終戦直後の荒んだ世相に明るい笑いを提供。歌笑が一世を風靡する切っ掛けは坂口安吾中央公論の中で「歌笑文化」の一文を寄せた事である。この一件もあいまって日本劇場国際劇場等を満員にするほど人気が沸騰し、「爆笑王」、「笑いの水爆」と呼ばれ、一世を風靡。共に若手三羽烏と呼ばれた4代目柳亭痴楽9代目柳家小三治(後の5代目柳家小さん)ら同年代の若手落語家に多大な刺激を与えた他、4代目桂米丸や後に同じ「爆笑王」の名を拝命する初代林家三平といった駆け出しの落語家とも懇意にし、彼らの大きな目標となっていた。また、立川談志の少年期に影響を与えた一人とされており、歌笑の急逝(後述)を知った談志は生まれて初めて他人のために涙を流したという。

得意ネタは、七・五調で演じる「歌笑純情詩集」の他に「迷作集」「妻を語る」テンプレート:要出典範囲等があった。SPレコードは現在確認されているもので「我が生い立ち記」「音楽花電車」「妻を語る」「音楽風呂」「スポーツショウの巻」の5枚が残されており、この5枚は2010年現在、全てCD化されている。趣味は川柳であった。

人気絶頂時の1950年、雑誌「夫婦生活」の大宅壮一との対談が終わり帰る途中、夕暮れの銀座松坂屋前の路上横断中、アメリカ軍ジープに轢かれて事故死。先天性弱視が災いしたといわれる。享年32。真打としてはわずか2年半に終わった。また、人気絶頂の最中の突然の死であったため、多くの予定スケジュールが残された。この時穴埋めの代演としてフル回転することになったのがライバルでもあり親友であった柳亭痴楽で、痴楽は「歌笑純情詩集」のテイストを折り込んだ新作落語「痴楽綴方狂室」をかけ、これで名を売って行くことになる。

師匠の円歌は歌笑の事故死当日、巡業先の和歌山県で仕事をしていた。一緒に来ていた3代目江戸家猫八が当時の人気者歌笑の物真似をするのをたまたま客席にまわって観ていた円歌には、声だけでなく表情や仕草までもがまるで歌笑の生き写しのように見えたという。翌日、円歌は移動先の奈良の旅館で歌笑の死を知らされたが、まさに歌笑が車に轢かれた時刻に猫八は舞台で演じていたのだった。そのことを知らされた時の円歌を見ていた浪曲師の相模太郎は、人の顔色がこれほどまでに激変するものなのかと思ったそうである。心から念仏を唱えたと、円歌は後に高座で語っている。

墓所は荒川浄閑寺にあり記念の(揮毫は武者小路実篤)が建立されている。生まれ故郷の五日市にも碑がある。

渥美清が映画(「おかしな奴1963年)TVドラマ(「おもろい夫婦1966年10月6日?翌年3月30日)の中で歌笑を演じている。

近年は風間杜夫が昭和の爆笑王ドラマスペシャル「林家三平ものがたり おかしな夫婦でどうもすいませーん!」(テレビ東京・国際放映、2006年8月20日)の中で歌笑を演じた。

4代目

4代目三遊亭 歌笑1939年5月26日 - )は東京都西多摩郡五日市町(現:あきる野市)出身の落語家。落語協会所属。本名:高水 勉。出囃子は『大名行列』。3代目歌笑とは親戚(叔父甥、当代4代目の母の弟が3代目)。

  • 幼少期から叔父の落語に親しむ。
  • 1958年4月2代目三遊亭円歌に入門して歌寿美(かすみ)を名乗る。
  • 1961年10月二つ目に昇進し、4代目歌笑を襲名。

弟子に大須くるみ(三遊亭笑くぼ)がいる。(現在も、師匠の世話をしながら、独自で活躍中。)

  • 東京に戻る

過去に数度脳梗塞を患って倒れたことがある。

現在(2011年)も、闘病しながら、地方の寄席を開催中。

幼い頃から可愛がってくれていた叔父の突然の死に衝撃を受け『俺が遺志を継がなきゃ!!!!!!!』と考えた事が入門動機である。

得意ネタは若い頃は新作落語をやっていたが近年は古典落語に力をいれ、主にお酒の噺「うどんや」「野ざらし」「吝気の火の玉」「親子酒」等、新作では円歌の「呼び出し電話」等の電話シリーズ、「旅行カバン」等、叔父譲りの『歌笑純情詩集』は彼しか出来ないネタとして有名である。

尚、元妻は池袋で「きたかみ」という演歌スナックを経営している。

脚注

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参考文献

  • 「昭和の爆笑王 三遊亭歌笑」岡本和明 新潮社 2010年

外部リンク