ヴィッテルスバッハ家

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テンプレート:Royal houseヴィッテルスバッハ家(Haus Wittelsbach)は、ドイツバイエルン地方を発祥とするヨーロッパの有力な君主、諸侯の家系。バイエルンの君主バイエルン公選帝侯)、バイエルン王)の家系として有名だが、その他にもプファルツ選帝侯(ライン宮中伯)ブランデンブルク辺境伯(選帝侯)スウェーデン王の家系として続いていた。また神聖ローマ皇帝ギリシャ王も一族から出ている。プファルツ系その他の全ての家系を含めて「バイエルン家」(フランス語:Maison de Bavièreなど)とも呼ばれる。

長い歴史を有する家系であるが、三十年戦争におけるプファルツ選帝侯フリードリヒ5世とバイエルン公マクシミリアン1世に顕著なように、同族内でしばしば内紛を繰り返し、ハプスブルク家ホーエンツォレルン家に遅れを取ることになった。

ヴィッテルスバッハ家の君主

ドイツ・中欧

バイエルン公―選帝侯―王

1180年オットー1世バイエルン公となって以来、1918年まで約740年にわたって君臨してきた。バイエルン公は1623年選帝侯となり、1806年にはバイエルン王となっている。

歴代君主はバイエルン大公バイエルン国王を参照。

ライン宮中伯―プファルツ選帝侯

1214年にバイエルン公ルートヴィヒ1世ライン宮中伯となって以来、1777年まで約560年続いた。1356年金印勅書選帝侯の1人に正式に定められ、以後はプファルツ選帝侯と呼ばれる。1329年以降はバイエルン公の家系とプファルツ選帝侯の家系に分かれたが、プファルツ選帝侯カール4世フィリップ・テオドールがバイエルン選帝侯を継承することで再統合され、同時にプファルツの選帝侯位は消滅した。

歴代君主はライン宮中伯を参照。

ブランデンブルク辺境伯―選帝侯

1320年から1373年まで、ルートヴィヒ4世をはじめとする4人のバイエルン公がブランデンブルク辺境伯を兼ねた。1356年にブランデンブルク辺境伯は選帝侯となっている。その後、神聖ローマ皇帝カール4世の息子ヴェンツェル(後の皇帝)がブランデンブルク選帝侯位を獲得した。

歴代君主はブランデンブルク統治者の一覧を参照。

神聖ローマ皇帝・ドイツ王

2人の神聖ローマ皇帝、1人のドイツ王が出ているが、いずれも世襲化は果たせなかった。

ハンガリー王

下バイエルン公オットー3世アールパード朝断絶後に短期間ハンガリー王に即位している。

ボヘミア王

プファルツ選帝侯フリードリヒ5世、バイエルン選帝侯カール・アルブレヒト(神聖ローマ皇帝カール7世)の2人が、いずれもハプスブルク家を追い落とす形でボヘミア王即位を宣言したが、ともに短期間で反撃を受けて王位を奪回された。

北欧

カルマル同盟

プファルツ選帝侯家の分家プファルツ=ノイマルクト家の出身でデンマーク王家の血を引くクリストファ・ア・バイエルン(クリストファ3世)が1440年1441年1442年カルマル同盟下のデンマークスウェーデンノルウェーの王に相次いで選ばれている。クリストファは1448年に死去し、子供がなかったため1代で断絶した。

スウェーデン王(プファルツ朝)

プファルツ系の傍系の出身でヴァーサ家のスウェーデン王女を母とするプファルツ=クレーブルク公カール・グスタフ(カール10世)が、従妹クリスティーナ女王とスウェーデン元老院の承認により、1654年にスウェーデン王位を継承した。以後、ウルリカ・エレオノーラ女王が1720年に退位するまでにスウェーデン王家として4代続いた。これをプファルツ朝と呼ぶ。

歴代君主はプファルツ王朝を参照。

その他

ネーデルラント

神聖ローマ皇帝ルートヴィヒ4世マルガレーテ・フォン・ホラントとの結婚により、ネーデルラントの諸伯領(ホラント伯エノー伯ゼーラント伯など)の共同統治者となり、その子孫は14世紀から15世紀にかけてバイエルンと共にこれらの所領も治めたが、ジャクリーヌ・ド・エノーからブルゴーニュフィリップ善良公へ譲られた。

ギリシャ王

1832年ギリシャ独立戦争の結果、オスマン帝国から独立を果たしたギリシャに、欧州列強はバイエルン王国の王子オットーを初代国王として送り込んだ。オットーはギリシャ王オソン1世 として即位したが、1862年に革命で退位した。以後はグリュックスブルク家がギリシャ王家として王制廃止まで続いた。

ジャコバイトの王

最後のバイエルン王であるルートヴィヒ3世の妃マリア・テレジアジャコバイトの女王「メアリー3世」であった。そのため、2人の子であるループレヒト以降はジャコバイトの支持による名目上のイングランド王・スコットランドの王位も兼ねることになった。ループレヒトの孫である現当主フランツは、バイエルン王家の家長であると同時にジャコバイトの王「フランシス2世」でもある。

その他の主な人物

括弧内は生没年

系図

祖家

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  •  :シェイエルン伯
  •  :バイエルン宮中伯

ダッハウ伯家

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関連項目

参考文献

  • K.Bosl,Handbuch der Historischen Stätten - Bayern, Alfred Kröner, 1961., p.851

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