伊那路 (列車)
伊那路(いなじ)とは、東海旅客鉄道(JR東海)が飯田線豊橋駅 - 飯田駅間で運転している特急列車である。
なお本項では、愛知電気鉄道が運転していた「天竜号」とともに、飯田線で運転されていた優等列車の沿革についても記述する。
目次
概要
特急「伊那路」のルーツはとなる列車は、臨時列車として1992年12月に豊橋駅 - 飯田駅間で運転を開始した急行「伊那路」である。飯田線豊橋駅発着の急行としては1983年7月に急行「伊那」が廃止されて以来約10年ぶりで、利用客が伸び悩む飯田線の活性対策として運転されたものであった。利用客の増加もあり運転日も拡大されていったが、当時使用していた165系の老朽化が進んだことから、新型車両の投入をきっかけに、1996年3月16日に特急列車化されるとともに、定期列車として運転されるようになった。
時刻表などではJR東海が運行するほかの特急列車と同様に、「(ワイドビュー)」の冠が付けられている。
運行概況
2012年3月17日現在、豊橋駅 - 飯田駅間で1日2往復が運転されている[1]。全列車が豊橋駅で東海道新幹線「ひかり」と接続している。
停車駅
豊橋駅 - 豊川駅 - 新城駅 - 本長篠駅 - 湯谷温泉駅 - 中部天竜駅 - 水窪駅 - 平岡駅 - 温田駅 - 天竜峡駅 - 飯田駅
使用車両・編成
テンプレート:JRC 373 1Unit Limitedただし、飯田線のホーム有効長が短いため増結した6両編成では収まらないのに加えて、373系にはドアカット機能がないことから、事実上増結が行えない。このため多客時には臨時列車の増発で対応しているが、それでも混雑する。
担当車掌区
臨時列車
伊那路
特急「伊那路」81号・82号として運転していたが、のちに「ふれあい伊那路」として運行される事が多くなった。主に381系が使用されていたが、この列車の場合、4両編成が最短編成であり、グリーン車が連結されていた。
東海道本線名古屋駅まで延長運転もされたことがあり、初詣シーズンには豊川稲荷への初詣客輸送のため、飯田駅を早朝に出て豊川駅に向かう「初詣伊那路号」も運転されていた。また、定期列車も大垣駅発着で延長運転が行われていた(東海道線内は豊橋駅 - 名古屋駅間は原則特別快速停車駅と同じ停車駅、名古屋駅 - 大垣駅間は定期運転している「しらさぎ」号の停車駅に準じて運行されていた)時期があった。
しかし、2001年に381系の運用が終了してからは、快速列車として運行されるケースが多くなっている。
飯田線秘境駅号
2010年8月から11月の土曜・日曜・祝日を中心に、臨時急行「飯田線秘境駅号」が「伊那路」と同様に373系を使用し、豊橋駅 - 天竜峡駅間で運転された[2]。この列車はもともと、2010年のゴールデンウイーク時に運行した同名の団体専用列車をツアー客以外の一般の乗客も利用できるように急行列車としたもので、全車指定席となっている[3]。以降、4月・5月と8 - 10月の土曜・日曜・祝日を中心に運転されている[4][5]。
競合交通機関
豊橋駅と飯田駅を結ぶ高速バスは運転されていないものの、名鉄バス・信南交通が共同運行している名古屋市と飯田市を結ぶ高速バス中央道高速バス(名鉄バスセンター・栄 - 昼神温泉・飯田間)が競合している。
飯田線優等列車概略
天龍号
戦前、1935年(昭和10年)から1941年(昭和16年)頃まで、愛知電気鉄道が飯田線の前身となる豊川鉄道・鳳来寺鉄道・三信鉄道へ直通する観光臨時列車として「天龍号」が運行されていた。
1935年(昭和10年)4月10日に、神宮前駅 - 中部天竜駅間で行楽客向けに運転を開始した。この時は豊川線がまだ開通しておらず、伊奈駅 - 小坂井駅間に存在した小坂井支線(1954年廃止)を経由して運転していた。同社はその直後の8月1日に名岐鉄道と合併して名古屋鉄道(名鉄)となるが、臨時列車の運行は継続された。
使用される車両には、神宮前駅 - 吉田駅(現在の豊橋駅)間を走っていた愛電の最優等列車超特急「あさひ号」と同様に、天竜峡を描いたヘッドマークが取り付けられていた。
戦中の1941年(昭和16年)ごろ、行楽輸送が自粛されるようになったため運行を終了した。
伊那
飯田線で初めて運転された優等列車で、1961年3月から名古屋駅 - 辰野駅間で準急列車として運転を開始した。1962年4月から2往復に増発し、1964年3月に3往復の運転となって以降はしばらくこの体制が続いた。最長運転区間は、美濃赤坂駅 - 辰野駅間であったが、美濃赤坂駅 - 大垣駅間などで、末端区間では普通列車として運転されていた。1972年3月に「伊那」としては最盛期となる4往復が運転されていたが、中央自動車道の開通の影響で利用者が減少したため、1983年7月に廃止された。廃止後は、豊橋駅 - 天竜峡駅間で快速列車を2往復設定された。
列車名は、長野県南部の天竜川に沿って南北に伸びる伊那盆地が由来となっている。
飯田線優等列車沿革
戦後の展開
- 1956年(昭和31年)4月15日:名古屋駅 - 中部天竜駅間に臨時快速列車が運行開始。後に「天竜」(てんりゅう)と命名。80系を使用。
- 1961年(昭和36年)3月1日:名古屋駅 - 辰野駅間に準急「伊那」(いな)が運行開始。
- 1962年(昭和37年)4月27日:「伊那」が1往復増発され、2往復になる。
- 1964年(昭和39年)3月20日:「伊那」が1往復増発され、3往復になる。
- 1966年(昭和41年)3月5日:「伊那」が急行列車に変更。
- 1969年(昭和44年)10月1日:「伊那」の一部列車が6両に増結。
- 1972年(昭和47年)3月15日:「伊那」が1往復増発され、4往復になる。
- 1983年(昭和58年)7月5日:「伊那」が廃止。
国鉄分割民営化以降「伊那路」の復活
- 1990年(平成2年):臨時列車として「ナイスホリデー奥三河」が大垣駅(下りは米原駅始発) - 中部天竜駅間で運転開始。
- 同年にトロッコファミリー号も運行を開始しており、観光鉄道として飯田線を開発する機運が盛り上がる。また、中部天竜駅には佐久間レールパークがあることから、それへの集客のため、週末に快速「佐久間レールパーク号」「ナイスホリデー天竜・奥三河」が名古屋方面から直通運転された。
- 1992年(平成4年)12月29日:臨時列車として急行「伊那路」が運転開始。当時の停車駅は豊橋、豊川、新城、湯谷温泉、中部天竜、天竜峡、飯田であった。これにより、快速「ナイスホリデー天竜・奥三河」が廃止。
- 1996年(平成8年)
- 2007年(平成19年)3月18日:全車両禁煙となる。
- 2009年(平成21年)3月14日:豊橋発午前中2本、豊橋着午後2本のダイヤを、豊橋駅発着を午前・午後各1本ずつに改正。これにより飯田駅で夜間滞泊を実施。
- 2013年(平成25年)9月:台風18号の影響により、全区間で運休となる。
- 2013年(平成25年)10月10日:運転を再開。
脚注
参考文献
- 寺本光照『国鉄・JR列車名大事典』中央書院、2001年。ISBN 4-88732-093-0。
- 今尾恵介・原武史『日本鉄道旅行歴史地図帳 -全線・全駅・全優等列車- 7号・東海』新潮社、2010年。ISBN 978-4-10-790041-8。
関連項目
テンプレート:JR東海の在来線列車- ↑ 『JR時刻表』2012年3月号、交通新聞社。
- ↑ テンプレート:PDFlink - 東海旅客鉄道ニュースリリース 2010年9月10日
- ↑ 【社長会見】飯田線夏のレジャー向け臨時列車の運転について - 東海旅客鉄道ニュースリリース 2010年6月17日
- ↑ テンプレート:PDFlink - 東海旅客鉄道ニュースリリース 2011年1月21日
- ↑ テンプレート:PDFlink - 東海旅客鉄道ニュースリリース 2011年5月20日