ロシア連邦国歌
テンプレート:出典の明記 テンプレート:独自研究 テンプレート:Infobox anthem ロシア連邦国歌(ロシアれんぽうこっか、テンプレート:Lang-ru-short)は、ロシア連邦の国歌。日本ではソビエト連邦国歌と同様に「祖国は我らのために」の通称で知られる。
1944年に制定されたアレクサンドル・アレクサンドロフ (Александр В. Александров) 作曲の「ソビエト連邦国歌」 (Государственный гимн СССР) の曲に、同じく「ソビエト連邦国歌」の作詞者セルゲイ・ミハルコフ (Сергей В. Михалков) が新たに歌詞をつけ、2001年1月1日からロシア連邦の国歌に定められた。法律によりテレビ、ラジオなどの放送では1日に二度(放送開始時と終了時、もしくは午前0時と午前6時)、国歌を流すことが義務付けられている。
概要
ロシア連邦、即ちソ連崩壊後のロシアでは、脱ソビエト化を推し進めていたボリス・エリツィン大統領によりミハイル・グリンカ作曲の「愛国歌」が暫定国歌に定められたが、この曲には歌詞が無くメロディーのみが演奏されたため、一向に定着せず公式の国歌として法定化する事も出来なかった。そこで1993年に愛国歌に歌詞を公募したものの、やはり良い作品が選定出来ずに尻すぼみに終わってしまい、同年12月11日に無歌詞のまま大統領令を発布してしまった[1]。一方、議会で影響を保持していた共産党は、ロシアの誇りを呼び興す事が出来るとして、スターリン時代の1944年当時にそれまで使用されてきた「インターナショナル」に代わって国歌に定められた「ソビエト連邦国歌」の復活を要求してエリツィン大統領と対立していた。
エリツィンにかわって大統領となったウラジーミル・プーチンは、共産党への懐柔及び「強いソ連」の時代と「現代ロシア」のイメージを重ね合わせた「強いロシア」を強調して国民の人気を得るべく、2000年末にソビエト連邦国歌のメロディを復活させる国歌法を制定した。こうして、ソビエト連邦国歌は、ロシア連邦国歌として復活した。
大国に相応しい荘厳なメロディーの国歌の復活は多くの国民に歓迎された。また図らずもミハルコフは国歌を同曲で3度作詞する事になった。
しかし、ソ連国歌の旋律の復活は、プーチン政権の豊富な資源を背景とした大国主義的政策もあいまって、諸外国には、「ソビエト連邦の復活」「冷戦時代の再来」という印象でも受け取られている。特に、ソビエト連邦崩壊後、ロシアと一定の距離を置く姿勢を見せていた旧ソ連構成国(特にウクライナやモルドバ、グルジア、エストニア、ラトビア、リトアニア)や旧ワルシャワ条約機構加盟国の中には、「ロシアが再度の併合ないしは衛星国化を狙っている」という気持ちからロシアへの不信感が強まっている国もあり、そのように受け取られる傾向が強い。
歌詞
ロシア語原詩(キリル文字表記) | ラテン文字化[2] | 邦訳例 |
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Россия — священная наша держава, |
Rossija - svjaščennaja naša deržava, |
ロシア、聖なる我らの国よ |
От южных морей до полярного края |
Ot južnyh morej do poljarnogo kraja |
南の海より極地の果てへと |
Широкий простор для мечты и для жизни.[3] |
Širokij prostor dlja mečty i dlja žizni |
夢が為生きるが為,遮らぬ自由を |
メディア
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