リンゼイ・グーリン
テンプレート:Infobox baseball player リンゼイ・タイソン・グーリン(Lindsay Tyson Gulin, 1976年11月12日 - )は、アメリカ合衆国ニューヨーク州サフォーク郡出身のプロ野球選手(投手)。台湾球界での登録名は、格林。
目次
来歴・人物
アメリカ球界時代
MLBドラフトでニューヨーク・メッツから16巡目で指名を受けて契約。
高校時代は、オーバースローから140km/h前半のキレの良いストレートと大きく割れるカーブを駆使した投球スタイルで、完全試合1回、ノーヒットノーラン2回を達成するなどメジャーのスカウトも注目する本格派左腕だった。しかし、マイナーリーグでは1Aより上に上がることができず、シアトル・マリナーズのジェイミー・モイヤーの投球を参考にして現在のスタイルを編み出した。その後、AAA級までトントン拍子に昇格しノーヒットノーランを達成した。
当時福岡ダイエーホークスの監督だった王貞治が2003年の日本シリーズで阪神タイガースと戦った際に、ジェフ・ウィリアムスや吉野誠のような左のサイドスロー投手に苦しめられたことから、「ウィリアムスみたいな投手が欲しい」とスカウトに要望を出したことがきっかけだったが、どういうわけか投球スタイルが正反対といっていいグーリンを獲得することとなった。
ダイエー時代
テンプレート:Byにダイエーに入団後は後述ののらりくらりとした投法で日本の打者も翻弄し、前半戦で6勝をマーク。2004年6月7日の王の監督通算1000勝目となった試合で勝利投手となっている。後半戦も先発ローテーション投手として活躍し二桁勝利も見えていたが、8月に左手親指付近に打球が当たるというアクシデントで離脱し、8勝止まりだった。強打を売りにしていた近鉄には強く、8勝のうち4勝が近鉄からだった。その反面ロッテは苦手としており、4試合に登板し0勝2敗だった。
テンプレート:Byは、トニー・バティスタ、ホルベルト・カブレラ、ペドロ・フェリシアーノが加入したため、外国人枠の関係で活躍の場を奪われ、一軍登板はなかった。モチベーションの低下もあり、二軍でも防御率5点台後半という不振にあえぎ、そのままシーズンオフに戦力外通告を受けた。横浜ベイスターズなどが獲得への興味を示したが、本人の意向もありアメリカ球界に復帰した。
ダイエー退団後
シアトル・マリナーズとマイナー契約を結びメジャーのキャンプに招待選手として参加したが(このとき日本でバッテリーを組んだ城島健司と再会している)、メジャー昇格はならなかった。
その後、アメリカ独立リーグのアメリカン・アソシエーションに加盟しているリンカーン・ソルトドッグスに入団し、テンプレート:By前期は7勝1敗、防御率1.66、69奪三振の成績でハーラートップの成績を挙げ、ソルトドッグスの前期優勝に貢献している。後期も好調で、トータルでは13勝2敗、防御率2.10、104奪三振とエースとして活躍した。プレーオフでも第1戦に登板し9回2失点で完投勝利を記録している。
テンプレート:Byは、ミルウォーキー・ブルワーズとマイナー契約を結んだ。同年は主に傘下AA級のハンツビル・スターズでプレーし、テンプレート:ByはAAA級のナッシュビル・サウンズに昇格し、AAA級のオールスターゲームに選出されている。テンプレート:ByもAAA級で年間を通して先発で起用されたがメジャー昇格はならなかった。
テンプレート:Byは、台湾・中華職業棒球大聯盟(CPBL)の興農ブルズと契約。登録名は「格林」。しかし、結果を残せず、5月5日に戦力外通告を受けた。
テンプレート:Byは、5年ぶりにソルトドッグスに復帰した。9試合に先発したが1勝7敗防御率5.94と不振でシーズン途中に解雇され、同年限りで現役引退。
プレースタイル
右足をインステップ気味に大きく一塁方向に踏み出し、状況によってスリークォーターとサイドスローを使い分ける不思議な投球フォームから、平均120km/h台後半のストレートと、110km/h前後のカーブ・チェンジアップのみで相手打者を翻弄する軟投派投手。
彼の登板時は四死球、ヒットでランナーは次々塁上を賑わすものの得意の牽制・併殺でチェンジにする事が多々あった。投手としての技術が優れていないとできない投球であり、その意味で軟投派ピッチャーの成功例といえた。類稀な投球スタイルで「魔術師」とも呼ばれた。
詳細情報
年度別投手成績
テンプレート:By2 | ダイエー | 17 | 17 | 0 | 0 | 0 | 8 | 3 | 0 | -- | .727 | 446 | 99.2 | 126 | 11 | 35 | 1 | 4 | 69 | 2 | 3 | 49 | 47 | 4.24 | 1.62 |
テンプレート:By2 | 興農 | 6 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | .000 | 73 | 15.1 | 22 | 1 | 7 | 0 | 1 | 9 | 3 | 0 | 10 | 10 | 5.87 | 1.89 |
NPB:1年 | 17 | 17 | 0 | 0 | 0 | 8 | 3 | 0 | -- | .727 | 446 | 99.2 | 126 | 11 | 35 | 1 | 4 | 69 | 2 | 3 | 49 | 47 | 4.24 | 1.62 | |
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CPBL:1年 | 6 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | .000 | 73 | 15.1 | 22 | 1 | 7 | 0 | 1 | 9 | 3 | 0 | 10 | 10 | 5.87 | 1.89 |
記録
- NPB
- 初登板・初先発:2004年4月2日、対千葉ロッテマリーンズ1回戦(千葉マリンスタジアム)、7回4失点(自責点2)
- 初奪三振:同上、1回裏に波留敏夫から見逃し三振
- 初勝利・初先発勝利:2004年4月6日、対大阪近鉄バファローズ3回戦(大阪ドーム)、6回3失点
背番号
- 63 (2004年 - 2005年)
- 26 (2010年)