モロゾフ
テンプレート:Infobox モロゾフ株式会社(テンプレート:Lang-en-short)は、兵庫県神戸市東灘区に本社を置く洋菓子メーカーである。
ロシア菓子が専門で、ドイツ菓子メーカーユーハイムと並び、神戸二大ブランドの一つとして有名。
概要
神戸市の六甲アイランドに本社を構え、菓子販売店舗を中心に、カフェ、レストランを全国に展開している。店舗数は2011年現在で912店ある。代表的な商品は、チーズケーキ、プリンなど。バレンタインデーにチョコレートを贈る習慣を始めた会社のひとつとしても有名。
ガラスの器(1973年までは陶器であった)に入ったプリンは高級品として知られ、食べ終わった後の空き瓶がガラスコップの代用品として再利用される事が多い[1]。このことは、「関西人の家庭には必ずモロゾフのプリンの容器がある」として探偵!ナイトスクープでもネタとして取り上げられた。また、吉本新喜劇の小籔千豊が、ネタで「そんなに使わないのについつい取って置いてしまう」物の代名詞として、しばしばギャグのネタにしている。当のモロゾフ社自身も、食べた後の容器はリサイクルするか何かの容器に再利用することを紹介している[2]。なお、試験的に一時プラスチック製の容器に変更したこともあったが、売り上げが落ちたため、ガラス製容器に戻したという[1]。
笛吹市の洋酒メーカーの「モンデ酒造」の前身「モロゾフ酒造」とは関連はない。
モロゾフ家との関係
元々は、白系ロシア人であるモロゾフ一家が、神戸で経営していたチョコレート店であった。その後モロゾフ家は、神戸の材木商である葛野友槌(現モロゾフの初代社長)から出資を受けて、1931年に神戸モロゾフ製菓を設立した。だが、葛野友槌は会社の会計帳簿をモロゾフ親子側に一切見せなかったため、モロゾフ家は不審を抱くようになり、最終的に両者の問題は裁判まで持ち込まれた。モロゾフ側は日本語が不自由だったため、結果的に裁判で追い出された形となった。モロゾフ一家はモロゾフ洋菓子店から去るだけではなく、「モロゾフ」や類似した商号を使用して菓子販売をすることを禁じられ、同様の事業をすることも禁じられた。モロゾフ家にとって厳しい条件であったが、条件を飲まなければロシアへ強制送還すると言われたため、判決をのまざるを得なかった。
ちなみに、モロゾフを離れたモロゾフ家は紆余曲折を経て、戦後「コスモポリタン製菓」を再度設立している。ちなみにモロゾフ家が商標権を放棄せざるを得なかった経緯については『大正十五年の聖バレンタイン—日本でチョコレートをつくったV・F・モロゾフ物語』(川又一英著 PHP研究所・1984年刊 ISBN 4569212409)に詳しく記されている。 テンプレート:See also テンプレート:See also
会社の現況
株主優待
- 毎年1月31日付及び7月31日付の株主名簿に記載・記録されている1000株以上保有の株主に優待券1冊(10枚綴)を進呈。優待券1枚につき1050円(税込)までの現金購入及び飲食に対して20%割引を実施
- 毎年7月31日現在で、1000株以上を3年以上継続保有の株主に対して、年1回2000円相当の自社商品を進呈
沿革
- 1931年(昭和6年)8月8日 - 神戸モロゾフ製菓株式会社設立。
- 1936年(昭和11年)8月 - モロゾフ製菓株式会社に商号変更。
- 1972年(昭和47年)8月 - モロゾフ株式会社に商号変更。
- 1974年(昭和49年)9月 - 大阪証券取引所第二部上場。
- 1983年(昭和58年)8月 - 東京証券取引所第二部上場。
- 1984年(昭和59年)7月 - 大阪証券取引所・東京証券取引所第一部指定。
- 2011年(平成23年) - 3月11日の東日本大震災にて仙台工場(仙台市若林区)が被災。5月末での工場閉鎖と仙台営業所の移転を決定。
関連項目
- ヴァレンティン・フョードロヴィチ・モロゾフ
- フョードル・ドミトリエヴィチ・モロゾフ
- コスモポリタン製菓
- ゴンチャロフ製菓 - 同じく神戸のロシア菓子店。
- ナガサキヤ - 廃業に伴い、同社のウイスキーボンボンなどを継承。