マティ・アルー

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テンプレート:Infobox baseball player マティ・アルーMateo Rojas "Matty" Alou, 1938年12月22日 - 2011年11月3日)は、ドミニカ共和国出身のプロ野球選手外野手)。

兄のフェリペ・アルーと弟のヘスス・アルーも元メジャーリーガー。また、モイゼス・アルーは甥にあたる。

来歴・人物

サンフランシスコ・ジャイアンツで最初の数年間は控え選手であったが、テンプレート:Byに同率首位で並んだロサンゼルス・ドジャースとの3試合制プレーオフ最終戦で代打勝ち越しセーフティバントを決め、ワールドシリーズ進出を果たす。

テンプレート:Byには、シーズン終盤の9月に弟ヘススがメジャーに昇格。当時の監督ハーマン・フランクスの計らいで、すでにレギュラーとして活躍していた兄フェリペとともに兄弟3人で外野を守った事がある。この時には、スター選手のウィリー・メイズがベンチに退いた。なお、マティは翌年パイレーツに移籍し、三兄弟がチームメイトとなったのはわずかな期間のみであった。

テンプレート:Byピッツバーグ・パイレーツにトレードされると、名コーチのハリー・ウォーカーから指導を受けた事が彼の野球人生において大きな転機となる。同年は打率.342で自身初タイトルとなる首位打者を獲得。しかも兄フェリペは打率2位になり、兄弟でのワンツーフィニッシュとなった。その後も打率5位以内に4回入るなどの活躍を見せる。

テンプレート:Byシーズン途中に太平洋クラブライオンズに入団し、来日。当時のチームメイト東尾修が「ピッチャー横を抜いて三遊間前へ転がすセーフティバントなど、初めて見た」と語るように小技もうまい一方、3打席連続アーチも放ったほどのパンチ力もある優れた選手だった。テンプレート:Byに退団し、帰国。

その後は母国ドミニカ共和国ウィンターリーグで監督を務める。

テンプレート:By11月3日、ドミニカ共和国で死去[1]テンプレート:没年齢

詳細情報

年度別打撃成績

テンプレート:By2 SF 4 3 3 1 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .333 .333 .333 .667
テンプレート:By2 81 217 200 38 62 7 2 6 91 24 3 2 1 1 15 2 0 18 4 .310 .356 .455 .811
テンプレート:By2 78 213 195 28 57 8 1 3 76 14 3 1 1 0 14 0 3 17 3 .292 .349 .390 .739
テンプレート:By2 63 80 76 4 11 1 0 0 12 2 0 1 1 0 2 0 1 13 1 .145 .177 .158 .335
テンプレート:By2 110 267 250 28 66 4 2 1 77 14 5 3 2 1 11 3 3 25 3 .264 .302 .308 .610
テンプレート:By2 117 351 324 37 75 12 2 2 97 18 10 2 8 0 17 2 2 28 15 .231 .274 .299 .573
テンプレート:By2 PIT 141 578 535 86 183 18 9 2 225 27 23 15 12 3 24 4 4 44 3 .342 .373 .421 .793
テンプレート:By2 139 584 550 87 186 21 7 2 227 28 16 10 3 1 24 1 6 42 3 .338 .372 .413 .785
テンプレート:By2 146 598 558 59 185 28 4 0 221 52 18 10 7 4 27 6 2 26 10 .332 .362 .396 .758
テンプレート:By2 162 746 698 105 231 41 6 1 287 48 22 8 1 3 42 9 2 35 5 .331 .369 .411 .780
テンプレート:By2 155 718 677 97 201 21 8 1 241 47 19 11 4 3 30 3 4 18 9 .297 .329 .356 .685
テンプレート:By2 STL 149 660 609 85 192 28 6 7 253 74 19 10 6 7 34 3 4 27 9 .315 .352 .415 .767
テンプレート:By2 108 431 404 46 127 17 2 3 157 31 11 4 1 1 24 2 1 23 12 .314 .353 .389 .742
OAK 32 136 121 11 34 5 0 1 42 16 2 1 1 2 11 1 1 12 1 .281 .341 .347 .688
'72計 140 567 525 57 161 22 2 4 199 47 13 5 2 3 35 3 2 35 13 .307 .350 .379 .729
テンプレート:By2 NYY 123 538 497 59 147 22 1 2 177 28 5 2 6 2 30 0 3 43 18 .296 .338 .356 .694
STL 11 12 11 1 3 0 0 0 3 1 0 0 0 0 1 1 0 0 2 .273 .333 .273 .606
'73計 134 550 508 60 150 22 1 2 180 29 5 2 6 2 31 1 3 43 20 .295 .338 .354 .693
テンプレート:By2 SD 48 88 81 8 16 3 0 0 19 3 0 0 1 1 5 1 0 6 3 .198 .241 .235 .476
太平洋 50 208 202 18 63 12 0 2 81 11 0 7 1 1 2 0 2 19 1 .312 .324 .401 .725
テンプレート:By2 123 500 458 49 129 32 1 8 187 45 7 2 10 2 28 3 2 33 9 .282 .324 .408 .733
テンプレート:By2 89 270 253 18 66 7 1 4 87 19 2 1 4 0 13 1 0 25 2 .261 .297 .344 .641
MLB:15年 1667 6220 5789 780 1777 236 50 31 2206 427 156 80 55 29 311 38 36 377 101 .307 .345 .381 .726
NPB:3年 262 978 913 85 258 51 2 14 355 75 9 10 15 3 43 4 4 77 12 .283 .317 .389 .706
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル

MLB

記録

MLB
NPB
  • 初出場・初先発出場:1974年7月26日、対ロッテオリオンズ後期1回戦(平和台球場)、2番・右翼手で先発出場
  • 初安打:1974年7月28日、対ロッテオリオンズ後期2回戦(平和台球場)、3回裏に村田兆治から右前安打
  • 初打点:1974年8月9日、対ロッテオリオンズ後期3回戦(宮城球場)、2回表に水谷則博から適時打
  • 初本塁打:1974年9月10日、対ロッテオリオンズ後期10回戦(草薙球場)、1回表に金田留広から先頭打者本塁打

背番号

  • 26 (1960年)
  • 41 (1961年 - 1965年)
  • 18 (1966年 - 1970年)
  • 17 (1971年 - 1972年途中)
  • 14 (1972年途中 - 同年終了)
  • 2 (1973年 - 同年途中、1974年途中 - 1975年)
  • 4 (1973年途中 - 同年終了)
  • 32 (1974年 - 同年途中)
  • 1 (1976年)

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ

  1. テンプレート:Cite web

関連項目

外部リンク

テンプレート:MLBstats

テンプレート:ナショナルリーグ首位打者 テンプレート:1972 オークランド・アスレチックス