ホーネット (CV-12)
USS Hornet(CV-12) | |
艦歴 | |
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起工 | 1942年8月3日 |
進水 | 1943年8月30日 |
就役 | 1943年11月29日 |
退役 | 1970年6月26日 |
除籍 | 1989年7月25日 |
その後 | 博物館として公開 |
性能諸元 | |
排水量 | 27,100トン |
全長 | 872 ft (266 m) |
艦幅 | 93 ft (28.4 m) |
全幅 | 147.5 ft (45 m) |
吃水 | 28.7 ft (8.8 m) |
機関 | 蒸気タービン4基 4軸, 150,000 shp |
最大速 | 33ノット |
航続距離 | 20,000 カイリ(15ノット時) |
乗員 | 士官、兵員3,448名 |
兵装 | 5インチ砲12基, 40 mmボフォース機銃68基 |
搭載機 | 90 - 100機 |
エレベーター | 中央2基、舷側1基 |
カタパルト |
ホーネット (USS Hornet, CV/CVA/CVS-12) は、アメリカ海軍の航空母艦。エセックス級航空母艦の4番艦。「The Grey Ghost」の愛称で呼ばれた。アメリカ海軍においてホーネットの名を受け継いだ艦としては8隻目にあたる。
艦歴
ホーネットは当初「キアサージ」という艦名で1940年9月9日に建造契約が行われた。1942年8月3日にバージニア州ニューポートニューズのニューポート・ニューズ造船所で起工する。1942年10月26日にホーネット (USS Hornet, CV-8) が南太平洋海戦で沈められ、キアサージはホーネットと改名された。1943年8月30日に進水し、1943年11月29日に初代艦長マイルズ・M・ブラウニング大佐の指揮下就役した。
第二次世界大戦
ホーネットはノーフォークを出航後バミューダでの整調航海を行い、1944年2月14日にマジュロ環礁で第20空母機動部隊に加わった。ニューギニア侵攻戦の航空支援を行った後、カロリン諸島の日本軍基地への大規模な航空攻撃を行い、その後マリアナ諸島攻略への準備を行う。
6月11日にホーネットはテニアンとサイパンへの攻撃を行う。翌12日にはグアムおよびロタ島への爆撃を行った。6月15、16日にはサイパン攻略支援のため硫黄島及び父島の日本軍基地への攻撃を行った。6月18日午後、日本海軍の第一機動部隊を迎え撃つための高速空母機動部隊に加わり、フィリピン海を通りサイパンへ向かう。マリアナ沖海戦は翌19日に始まり、ホーネットの艦載機は日本の空母艦載機が到来する前に地上基地の航空機をできる限り破壊するための攻撃を行った。
日本軍は四波に分かれてアメリカ軍空母に接近したが、そのパイロットは若く経験不足であった。対するアメリカ空母艦載機のパイロットはベテランが揃い、その違いが両者の優劣を決した。日本機はほとんどが撃墜され、後に「マリアナの七面鳥撃ち The Marianas Turkey Shoot.」と語られた。日本の第一機動部隊は空母飛鷹を失い、二隻の油槽船を破壊された。小沢中将の6月20日の戦闘日誌では、430機の航空兵力の内35機のみが運用可能であったとされる。
ホーネットはマーシャル諸島のエニウェトク環礁を起点にグアムから小笠原諸島までの日本軍に対する攻撃を行い、次にパラオ、フィリピン海域、沖縄および台湾への攻撃を行った。ホーネット艦載機は10月20日のレイテ島攻略戦で直接の支援を行った。レイテ沖海戦においてホーネットはサマール沖で日本海軍への攻撃を行い、敵艦隊にシブヤン海経由でボルネオへの撤退を行わせた。
続く数か月に渡って、ホーネットはフィリピン海域で敵艦及び地上基地への攻撃を行った。12月30日にホーネットはウルシー泊地を出港、台湾及び澎湖諸島空襲を行う。1945年1月3日には高雄沖にて、レイテ島への軍隊輸送・揚陸を成功させ帰路についていた日本陸軍船舶部隊のドック型揚陸艦(陸軍特種船)船団を攻撃。うち1隻の「神州丸」を大破・炎上させた(のち放棄され漂流中に潜水艦「アスプロ」の雷撃を受け沈没)。ウルシー泊地への帰還途中、ホーネット艦載機は22日に沖縄の写真偵察を行っている。
2月10日に再びウルシー泊地を出港、東京に対する大規模な攻撃を行った後、2月19日と20日の両日、硫黄島上陸部隊の支援攻撃を行っている。
関東地区の工業地帯および沖縄に対する激しい攻撃は継続された。4月1日にホーネット艦載機は沖縄上陸への直接支援を行う。4月6日に戦艦大和に対する攻撃を他の艦載機と共同で行いこれを撃沈している。続く二ヶ月にわたってホーネットは沖縄上陸部隊への直接支援攻撃と、日本の生産力を奪うため工業地帯への攻撃を継続した。6月4日、5日に台風の被害を受け、ホーネットは飛行甲板前方を約25フィート破損した。
ホーネットは第二次世界大戦中の戦功で7つの従軍星章を受章、殊勲部隊章を与えられる9隻の空母のうちの一隻であった。
台風の被害後、ホーネットはフィリピン経由でサンフランシスコに帰還し、1945年7月7日に到着した。オーバーホールは9月13日に完了し、復員兵輸送のマジック・カーペット作戦に参加のためマリアナ諸島とハワイに向けて出航した。ホーネットはサンフランシスコに1946年2月9日に帰港、1947年1月15日に退役し太平洋予備役艦隊入りする、
戦後
ホーネットは1951年3月20日に再就役し、ニューヨーク海軍造船所へ向けてサンフランシスコを出港、1951年5月12日に解役され攻撃航空母艦(CVA-12)へ艦種変更される。ジェット機に対応するために改装工事を受け、1953年9月11日にホーネットは攻撃空母として再就役した。ホーネットはカリブ海で訓練を行うためノーフォークを1954年5月11日に出港、8ヶ月間の航海に入る。
地中海とインド洋での作戦行動の後、ホーネットは南シナ海で第七艦隊に加わり1954年7月22日に発生したキャセイ・パシフィック航空機撃墜事件の生存者捜索を行った。7月25日、ホーネットの艦載機はフィリピン・シー (USS Philippine Sea, CVA-47) の艦載機と共に、中国人民解放軍の戦闘機二機を撃墜している。緊張緩和の後、ホーネットは1954年12月12日にサンフランシスコに帰還、サンディエゴで訓練を行った後、1955年5月4日に出港し極東で再び第七艦隊に加わる。
ホーネットは共産主義者に支配された北ベトナムから自由を求めて南ベトナムに避難する人々を支援し、第七艦隊と共に訓練を行った。1955年12月10日にサンディエゴに帰港し、翌月ピュージェット・サウンド海軍工廠に入り、ハリケーン・バウ化、同時発着艦を可能とするアングルド・デッキ追加などの改修を行った。
近代化オーバーホールが完了すると、ホーネットはカリフォルニア沿岸で作戦行動に入る。1957年1月21日にサンディエゴを出港し、7月25日まで第七艦隊に所属し極東で活動した。
1958年1月6日から7月2日まで同様の巡航を行った後、ホーネットは対潜水艦作戦支援空母(CVS-12)に艦種変更される。8月に転換改修のため再びピュージェット・サウンド海軍工廠に入った。1959年4月3日にロングビーチを出港、第七艦隊に合流し日本本土から沖縄、フィリピンにかけて対潜水艦戦戦術演習を行い、10月に本国に帰還、西海岸での演習を行う。
翌1960年からホーネットは第七艦隊に配属され、南ベトナム沖から日本本土、沖縄、フィリピンにかけて定期的な航海を行った。1966年8月25日にホーネットはアポロ計画の無人宇宙船回収作業を行う。宇宙船は93分間で地球の四分の三を飛行し、ウェーキ島付近に着水した。月への有人飛行を目指したアポロ宇宙カプセルは大気圏再突入時の熱で焦がされた状態でホーネットに回収された。ホーネットは9月8日にロングビーチに帰還するが、1967年3月27日に再び極東へ向けて出航する。約一ヶ月後に日本に到着、5月19日に佐世保に入港した。その後1967年の夏のほとんどをベトナム海域での作戦活動で過ごす。
1969年にホーネットは再びアポロ計画に参加し、7月には人類初の有人月面着陸を果たしたアポロ11号の乗組員と司令船を、12月には12号の乗組員と司令船を回収している。なお、アポロ11号の回収時には、ホーネットの格納庫甲板内において、当時のニクソン大統領が、移動式の隔離室に収容されたアームストロング船長以下計3名の乗組員と対面している。
また、アポロ11号の回収母艦としての任務に付く直前の1969年4月には、日本海上空で発生した北朝鮮空軍戦闘機による米軍の電子戦偵察機EC-121の撃墜事件に伴い、原子力空母エンタープライズを中心とする第七艦隊所属の艦艇で編成された特別任務部隊に参加している。
ホーネットは1970年6月26日に退役し、1989年7月25日に除籍された。1991年12月4日にホーネットは国定歴史建造物に指定された。1998年10月17日、カリフォルニア州アラミダで博物館として民間に公開され、1999年にはカリフォルニア州歴史建造物に指定されている。ホーネットは国家歴史登録財に#91002065として登録されている。