フッター派
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フッター派(テンプレート:Lang-en-short)は、16世紀に生まれたキリスト教のひとつ「アナバプテスト」の流れを汲む一派。ハッターライト、ハッタライト、フッタライトとも表記する。
名称は、南チロル出身の創始者で、火焙りの刑に処されたヤーコプ・フッター(en:Jacob Hutter, de: ? - 1536年)に因む。
ヤーコプ・フッターは1533年からモラヴィア・アウステルリッツの再洗礼派のグループを指導し、数組の夫婦とその子ども達からなるコロニーに組織した。この組織は、財産共有など典型的な宗教的・キブツ的共同体主義に基づいていた。
迫害によりさらに東方やアメリカに移住した。この時移住したフッター派の町には、ドイツ語の名前がある。1974年の時点で、北米にはコミュニティーが229個所あり、このうちの64個所(約6000人)がアメリカ合衆国のサウスダコタ州・モンタナ州にある。隔絶的な生活、信仰と固有の文化に固執し、フッター派ドイツ語(de:Hutterisch, en:Hutterite German, eo:Huterita dialekto)を固持していることは、アーミッシュのようである。文化の同化をしないことは特に驚異的で、投票など政治活動にも参加しない。基本的に離婚は認めない。民族集団形成の過程にある文化集団と言われる。
略歴
- 16世紀半ば - モラヴィアに約2万人の信徒
- 16世紀-17世紀 - モラヴィアから追われ、スロバキア、ハンガリー、トランシルヴァニア、ワラキアなどへ移住。この時のコミュニティー; スロヴァキア・シャットマンスドルフ(Schattmannsdorf / Cseszte / Častá)[1] [2], トランシルヴァニア; ブラッショー・コロジュヴァール・ナジセベン等の大都市[3]
- 1770年 - ロシアへ移住
- 1870年 - ロシアで、若者徴兵の危機。サウスダコタ州へ移住。
- 第一次世界大戦 - アメリカでは若者が徴兵拒否者となったが、合衆国政府から弾圧を受ける。カナダへ移住。
日本のフッター派
- 新フッタライト大輪キリスト教会 (栃木県)
関連項目
- ヤーコプ・ヴィーダーマン (en:Jacob Wiedermann)
- メノナイト(メノー派)
- モラヴィア兄弟団(フス派、モラヴィア・ペンシルベニア州の隣人)
参考文献
- ペーター=リーデマン・著、榊原巌・訳 『フッタライト派信仰告白』 平凡社 1977
- 榊原巌・著 『殉教と亡命・フッタライトの四百五十年』 平凡社 1967
- ハンス=ゲオルク=フィッシャー・著、榊原巌・訳 『ヤコブ・フッター伝』 平凡社 1978
- ロバート=フリードマン・著、榊原巌・訳 『アナバプティズムの神学』 平凡社 1975