フィル・クラーク (内野手)
テンプレート:Infobox baseball player フィリップ・ベンジャミン・クラーク(Phillip Benjamin Clark, 1968年5月6日 - )は、アメリカ合衆国テキサス州クロケット郡出身の元プロ野球選手(内野手)。
ヤクルトスワローズでプレーしたジェラルド・クラークは実兄。
来歴
クロケット高校を経て、1986年のMLBドラフト1巡目(全体の18番目)でデトロイト・タイガースに指名され契約。テンプレート:Byにメジャーデビューを果たすが、翌テンプレート:Byにサンディエゴ・パドレスに移籍。同年は102試合に出場し、メジャー自己最高となる打率.313、9本塁打を記録。テンプレート:Byにボストン・レッドソックスに移籍するが、メジャーでは4月に3試合出場しただけに終わった。
テンプレート:ByにNPBの近鉄バファローズに入団。独特の低く構えた打法で広角に打ち分けた[1]。同年は一塁手としてベストナインを獲得。なお、この年記録した174安打は日本球界1年目の外国人選手としては当時の最多記録であった(テンプレート:Byに阪神のマット・マートンがこれを更新)。打率は.331を記録し首位打者のイチローに次いで2位だった[1]。
テンプレート:Byはシーズン48二塁打の日本プロ野球新記録(当時)およびシーズン81長打のパ・リーグ新記録(当時)を達成し、2年連続で一塁手としてベストナインを獲得。
テンプレート:Byはチームは最下位ながら、打率は.287となり3年連続3割とはならなかったが、指名打者としてベストナインを獲得。なお、中村紀洋が三塁手、タフィ・ローズが外野手で獲得しているが、最下位チームからのベストナイン3人選出は史上初。この3人で計100本の本塁打をこの年に放っている。
テンプレート:Byは序盤から不調で2割3分台前後にとどまっていた。7月9日の対オリックス戦(グリーンスタジアム神戸)で、戎信行から死球を受けて右前腕尺骨を全治6週間の骨折、精密検査のために帰米した。球団は当初次年度の残留の方針を表明したものの、2か月経っても手首の可動域が広がらず選手生命そのものが危うかったことや、たとえ復帰できても同年の不振などから、全盛期の活躍が見込めないと判断され、シーズン終了後に解雇となり、現役引退。
テンプレート:Byからはクリーブランド・インディアンス傘下のマイナーリーグで打撃コーチを務めている。
人物
性格は紳士で温厚であり、同僚で共に活躍し、審判の暴言等で退場を受けていたローズとは対象的で、死球や審判の判定に対して激昂することはほとんどなかった。しかし1998年4月の西武ライオンズ戦でローズがホーム突入時に捕手の伊東勤に無茶なタックルをし、それに怒ったデニーとローズが殴り合いなり乱闘に発展した際には、ローズに向かって暴言を連発していたデニーに対しクラークも激昂しローズと共にデニーに食ってかかり、プロ野球珍プレー・好プレー大賞でも流された。なお、この乱闘では、クラーク含め当事者のデニーもローズも退場にならなかった。
2000年は不調だったものの7月ごろから復活の兆しが見え始め、7月8日、骨折した9日と連続でホームランを打っていた。2割3分台前後だった打率は.258にまで上がっていて、骨折までの7月の月間打率は.424であった。
退場歴
1999年6月10日の対ロッテ戦の6回裏ではストライクの判定に激昂し、川口審判に暴言を吐き、唯一の退場処分を受けている。
詳細情報
年度別打撃成績
テンプレート:By2 | DET | 23 | 61 | 54 | 3 | 22 | 4 | 0 | 1 | 29 | 5 | 1 | 0 | 1 | 0 | 6 | 1 | 0 | 9 | 2 | .407 | .467 | .537 | 1.004 |
テンプレート:By2 | SD | 102 | 256 | 240 | 33 | 75 | 17 | 0 | 9 | 119 | 33 | 2 | 0 | 1 | 2 | 8 | 2 | 5 | 31 | 2 | .313 | .345 | .496 | .841 |
テンプレート:By2 | 61 | 160 | 149 | 14 | 32 | 6 | 0 | 5 | 53 | 20 | 1 | 2 | 0 | 3 | 5 | 1 | 3 | 17 | 1 | .215 | .250 | .356 | .606 | |
テンプレート:By2 | 75 | 108 | 97 | 12 | 21 | 3 | 0 | 2 | 30 | 7 | 0 | 2 | 0 | 2 | 8 | 1 | 1 | 18 | 3 | .216 | .278 | .309 | .587 | |
テンプレート:By2 | BOS | 3 | 3 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | .000 | .000 | .000 | .000 |
テンプレート:By2 | 近鉄 | 135 | 569 | 526 | 61 | 174 | 27 | 0 | 23 | 270 | 93 | 1 | 3 | 0 | 5 | 29 | 6 | 9 | 67 | 23 | .331 | .373 | .513 | .886 |
テンプレート:By2 | 135 | 587 | 531 | 68 | 170 | 48 | 2 | 31 | 315 | 114 | 0 | 1 | 0 | 4 | 45 | 10 | 7 | 75 | 19 | .320 | .378 | .593 | .971 | |
テンプレート:By2 | 134 | 573 | 509 | 79 | 146 | 32 | 0 | 29 | 265 | 84 | 4 | 3 | 0 | 7 | 52 | 6 | 5 | 64 | 20 | .287 | .354 | .521 | .875 | |
テンプレート:By2 | 66 | 274 | 252 | 31 | 65 | 9 | 2 | 10 | 108 | 33 | 0 | 1 | 0 | 1 | 14 | 1 | 7 | 27 | 13 | .258 | .314 | .429 | .742 | |
MLB:5年 | 264 | 588 | 543 | 62 | 150 | 30 | 0 | 17 | 231 | 65 | 4 | 4 | 2 | 7 | 27 | 5 | 9 | 76 | 9 | .276 | .317 | .425 | .743 | |
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NPB:4年 | 470 | 2003 | 1818 | 239 | 555 | 116 | 4 | 93 | 958 | 324 | 5 | 8 | 0 | 17 | 140 | 23 | 28 | 233 | 75 | .305 | .361 | .527 | .888 |
- 各年度の太字はリーグ最高
表彰
- NPB
- ベストナイン:3回 (1997年 - 1999年、1997年および1998年は一塁手部門、1999年はDH部門)
- 月間MVP:2回 (1997年9月、1998年9月)
- IBMプレイヤー・オブ・ザ・イヤー賞:1回 (1998年)
記録
- NPB
- 初出場・初先発出場:1997年4月8日、対千葉ロッテマリーンズ1回戦(大阪ドーム)、5番・指名打者として先発出場
- 初打点:1997年4月10日、対千葉ロッテマリーンズ3回戦(大阪ドーム)、8回裏に岸川登俊から犠飛
- 初安打・初本塁打:1997年4月11日、対日本ハムファイターズ1回戦(大阪ドーム)、2回裏に芝草宇宙からソロ
- 月間打点数パ・リーグタイ記録(1998年8月、35打点)
背番号
- 40 (1992年)
- 30 (1993年 - 1995年)
- 23 (1996年)
- 25 (1997年 - 2000年)
脚注
関連項目
外部リンク
テンプレート:Navboxes- ↑ 1.0 1.1 近鉄バファローズ球団史1950-2004、ベースボール・マガジン社、2012年、P80