ノックは無用!
『ノックは無用!』(ノックはむよう)は、1975年1月18日から1997年9月27日まで関西テレビ (KTV) で毎週土曜 12:00 - 13:00 (JST) に生放送されていたトーク番組。
本項では、一時的に改題されていた『ロックは無用!』についても記載する。
概要
元漫画トリオの横山ノックと上岡龍太郎が司会を務めた番組である。ノックたちがゲストに迎えた人物のエピソードを聞きだしていくという、オーソドックスなタイプのトーク番組であるが、トークだけでなく特徴的なコーナーも設けていた。また、観客は女性のみに限定されていた。
番組セットの背景には、成瀬國晴筆のその時その時の旬の人物のイラストが描かれたボードが置かれていた。音楽は、その印象に残る関西的なメロディからしばしばキダ・タローの作曲であると誤解されるが、宝塚歌劇団の劇中音楽を中心に活動する高橋城が担当したものである。
1997年9月27日、その5日後に関西テレビの社屋が西天満から扇町へ移転するのが決まっていたことや、当時大阪府知事だったノックが公務等の都合でこれ以上出演するのは厳しかったことなどから、この日の放送をもって22年9か月間の歴史に幕を閉じた。
出演者
司会は、長らく横山ノックと上岡龍太郎のコンビで行われていたが、ノックが大阪府知事選挙に出馬した1995年3月およびその翌月の知事就任以降は桑原征平(当時関西テレビアナウンサー)が司会を代行。後に桂雀々が後任を務めた。
横山ノックの選挙期間中の対応
ノックの参院選や大阪府知事選の選挙運動期間中は、カルーセル麻紀、桑原征平などが上岡とともに代打司会を務め、タイトルも公職選挙法対策として、「ロックは無用」と一時的に改題されていた。CM前のジングルも錠をかける効果音の後に「ロックは無用!」と上岡のタイトルコールで流れていた(通常はドアのノックを2回する効果音の後に「ノックは無用!」とノックのタイトルコールで流れていた)。
主な内容
番組の構成の順番に記す。
- 司会者の自己紹介とオープニングトーク
- 早口言葉 - 魅惑の変身に挑戦する人を選ぶコーナー。「#魅惑の変身」の節で詳述。
- タイトルコール - ノックが「横山ノックの」と叫ぶと、全員で「ノックは無用!」と叫んでいた。ノックの知事選出馬による降板後は、いきなり「ノックは無用!」と叫んだ。
- トークコーナー
- 魅惑の変身、エンディング - 番組末期には、「テレフォンプレゼント」(時間の都合などにより「はがきプレゼント」になる場合もあった)が新設された。まず、オープニングにその日にプレゼントされる賞品が発表され、「魅惑の変身」披露後に、電話番号が発表され(のちに、その日の末尾制限も同時に発表されていた)、視聴者がその指定された番号にダイヤルする。そして、電話が繋がった視聴者に上岡が応対するが、「関西テレビです」としか言わず、それの返答および合言葉として「ノックは無用!」と返事をしないとクイズの解答権が得られない。そして、上岡から「今日○番目に登場した△△さんは誰でしょう?」(その際、答えとなるゲストの顔が映し出されている)というクイズに正解してやっと賞品獲得となる。はがきの場合にはクイズは同じで、それをはがきで応募するものであり、翌週のオープニングで正解と当選者を発表する流れであった。
他に、ノックが府知事になって数回のみ「今日の知事さん」というコーナーも行われていたが、登場がわずかに1回だけで自然消滅した。最終回には、長男の山田一貴とともにゲストとして出演し、最後には、自ら最後の呼び込み(「○○さん、どうぞ〜っ」)をした。そのゲストとして司会者席にいた雀々とゲストの一貴が出演した。
トークコーナー
番組のメインコーナー。毎回6組が出演する。ゲストにはそれぞれのトークエピソードになぞらえて、「失敗屋さん」「自慢屋さん」「仲良しさん」「フットライトさん」「こりごりさん」などと称し紹介。この際に発する上岡の立て弁な紹介ぶりも際立った。
- トップバッターは、番組のツカミとして関西のお笑い芸人が彩りに。また、製作局である関西テレビが阪急東宝グループ(当時、現・阪急阪神東宝グループ)の一員ということもあり、宝塚歌劇団のスターも多く登場した。ちなみに前週などであまりにも豪華なゲストを呼び過ぎると、数か月に一度の割合で、ゲスト全組が関西在住の芸人やタレントで固められ、いわゆる予算調整が図られることがあった。テンプレート:独自研究範囲(例・「リリアン 、リリアン、リリアン、ぜーんぶリリアン(予算調整の回には必ずと言っていいほどリリアンが出ていたため)」など。笑福亭鶴瓶の指摘)。テンプレート:誰範囲2。東京からのゲストが来れない時のピンチヒッターとして先述のリリアン、カルーセル麻紀などを呼び、番組初期の視聴率向上に貢献したことから、「困った時のニューハーフ」と番組末期に語っていた(TBS『上岡龍太郎がズバリ!』も同様)。
- 東京のタレントは“キャンペーン活動”を兼ねてよく出演した。また土曜日というのは比較的、関西ではローカル・全国ネットに関わらず多くの番組が制作されていたので、早朝のラジオを皮切りに、朝8時台のネットワイドショーを経て、さらには日曜、月曜早朝に至るまでの一種の“コース”としてこの番組も利用された。
魅惑の変身
観客の一般女性を、ゴージャスに変身させてあげようという企画。番組のオープニングで、変身する女性を決定する。
まず観客から3人が抽選で選ばれ、彼女たちには視聴者からハガキで寄せられたオリジナルの早口言葉を言ってもらう。残りの観客全員の審査(拍手の多さ)によって最も上手く言えたとされる1名が、番組で用意した豪華衣装に変身できる。
また、早口言葉に挑戦する女性を上岡が抽選する際にはお約束があった。それは、横にいる横山ノックがその頃のヒット曲を歌うのだが、どの曲もタイトルを聞いただけでノックが適当にでっち上げたオリジナル曲と化していた。また、最後に、笑いに包まれた(早口言葉を練習する)スタジオを「やかましなぁ!」と一喝し、オチをつけるとともに番組の進行を促すという流れであり、ノックのお茶目振りを見せ付けた。これはノック降板後も桑原や雀々に引き継がれた。
そして、番組の最後に変身の結果が披露される。変身のコーディネートにはルリ落合、ヘアメイクには村上京子がそれぞれ当たったが、何しろ装飾品の一品一品が豪華であったため、結果的には近畿方言で言うところのいわゆる「ゴッタ煮」に近い結果をもたらし、苦笑を招く変身のほうが多かった。しかし、これも視聴者や観客には暗黙のお楽しみであり、むしろ「しっかりした」変身の時の方が稀有と言われていた。変身前に上岡が「どんな変身をご希望ですか?」と訪ねるのが通例であったが、あまりに突飛な変身が続いたせいもあり、「そのまま着て帰れるものを…」と答える人が続出。これも会場の苦笑を誘った。
また、身につけたその衣装や装飾品は「すべて貴女の物です」と、変身した女性にプレゼントされた(数十万円相当であった。最高額は百数万円)。まれにトークの時間が押してしまい、使用した商品とその総額の紹介ができずに女性が登場しただけで終わることがあった。
同コーナーでは変身した人が登場する前に、衣装や装飾品を提供した企業を紹介する時間があり、上岡が提供企業を紹介した後に社名を横山ノックが復唱する(ノックの後に観客が唱和する)のだが、かつらの提供をしていたフォンテーヌの場合にはノックが独特に「ふぉん、て〜ぬ」(ジェスチャーつき)と発音したことから、一躍有名になった。
関西以外のネット局
- 東京12チャンネル(現・テレビ東京) - 番組初期に、番販という形で遅れネットで放送。関西テレビのキー局であるフジテレビで放送する枠が無かった措置とされる。東京12チャンネルがFNS準キー局の関西テレビ製作のバラエティ番組を放送したのは、この『ノックは無用!』と『花の新婚!カンピューター作戦』(一時期フジテレビ・チバテレビ・テレ玉で放送されたこともあった)の2本だけである。また、関西テレビではテレビ大阪(TXN系列局第一号)が開局する直前の1982年2月28日までの間、他の在阪局と同様にテレビ東京の一部番組が番販扱いで放送されたことがある。
- テレビ神奈川
- 東海テレビ
- 岡山放送
- テレビ新広島 - 1980年代後半まで時差ネットで放送されていた。
- テレビ西日本
- サガテレビ - 番組スタート当初から関西テレビとの同時ネットで放送されていたが、1990年半ばにネット打ち切り。
- テレビ長崎
- テレビ大分 - 1970年代の一時期のみ同時ネットが行われていた。
備考
- 番組前期には、観客はその後の13:00 - 14:00に生放送の『ノンストップゲーム』とセットで鑑賞するシステムとなっていた。したがって東海テレビなど、2つ続けてネットしない局からすれば珍しい部類に入る。また、一時期うつみ宮土理司会の『遠慮は無用!』でもノンストップゲームと同じように鑑賞するシステムとなっていた。
- まだデビューして間もない頃の今田耕司、東野幸治、ハリガネロックらの芸人が出演するコーナーも設けられ、テンプレート:いつ範囲貴重映像として他の番組で取り上げられることもある。
- 番組終了から3か月後の1997年12月27日と1999年7月17日の2回にわたって復活特番を放送。ノックと上岡のかつてのコンビが復活し、前者の放送では90分スペシャルとして放送され、魅惑の変身コーナーではスペシャルコーディネーターとして桂由美が出演。花嫁衣裳のコーディネートを務めた。後者は「大変身スペシャル」として、午後3時半から6時までの2時間半にわたって放送された。
- 後年、番組はクリアビジョン制作で放送。表記はフジテレビで使われたものではなく、日本テレビと読売テレビで使われたものだった。
- 関西地区では、中期にはP&Gの提供で、末期には呉羽化学工業(現・クレハ)筆頭の複数社提供で放送されていた。東海テレビではスポンサーの1つにディノスがあったが、フジ系ながらフジサンケイグループではない東海テレビでは珍しい。