ドロンズ
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テンプレート:混同 ドロンズは、マセキ芸能社に所属していたお笑いコンビ。2003年に解散。
メンバー
来歴
1995年にお笑いコンビ「ドロンズ」を結成。1997年に「進め!電波少年」で、猿岩石に続く「南北アメリカ大陸縦断ヒッチハイク」に挑戦。
もともと「D.R.U.G.(ドラッグ)」というコンビ名でデビューしていたのだが、前記企画の時にこのコンビ名だと麻薬の流通が盛んな地域を縦断する際に支障をきたすということで、ヒッチハイクの旅を告げる前にドロンズと改名させられた。
その後は石本はドロンズ石本としてタレント活動、大島は俳優業の傍ら、ちりとり鍋の店「ちりとり鍋 大島」の店長(オーナー)として活躍。石本ものちに馬肉専門の店「馬肉屋たけし」を開業する。店はともに恵比寿にある。
現在も交流があり、プライベートでは一緒に食事をすることも多く、誕生日等のイベントでは互いの店で打ち上げをする仲。解散前に比べると頻度は大きく落ちるが、まれに仕事でも共演することがある。
南北アメリカ大陸縦断ヒッチハイク
日本テレビ系『進め!電波少年』にて、ドロンズが挑戦したヒッチハイクだけで南北アメリカ大陸を縦断しようという企画。1996年11月3日にチリのブンタアレナスから出発、1997年12月31日にアラスカのエンド・オブ・ザ・ロードでゴールを果たす。
エピソード
- ドロンズは当時『進め!電波少年』の前説を担当していたが、企画開始は前説中にカンペを見て初めて知らされた。なお、番組ではパスポートを本人に内緒で取得した演出が採られている。(実際には、パスポートの申請には本人の自書が必須であり、通常、本人が窓口で受け取ることを求められる)
- アルゼンチンでは、スペイン語を勉強するために小学校で子供たちと一緒に授業を受けるシーンがあった。
- アルゼンチンでは実は一度ギブアップを宣言している。しかし同行ディレクターと話し合いの結果ギブアップを撤回し、旅を続けることとなった。
- 羽田惠理香が、番組のスペシャルの企画で家族や友人の手紙や食糧を届けるためドロンズの家族と共にアルゼンチンを訪れている。
- ウルグアイでは地元のギャング団に暴行を受け、盗難の被害に遭った。
- ペルーでは一ヶ月近くの間『リサス・イ・サルサ』(es:Risas_y_salsa)というテレビの人気バラエティ番組に出演し、コントなどを披露した。
- 1997年4月22日、在ペルー日本大使公邸占拠事件の解決の際に、ドロンズは当時のフジモリ大統領に手紙を手渡ししている。このシーンはペルーのテレビのニュースでも報じられた。
- コロンビアからパナマに向かう際、危険地帯がありどうしても先に進めない危機に立たされたが、船をヒッチハイクすることができ、道を切り開いている。電波少年の同様の企画に参加していた猿岩石も朋友も危険地帯でのみ飛行機を使用しているが、完全にヒッチハイクと徒歩のみでゴールしているのはドロンズのみであると言える。
- 遠藤久美子が番組のスペシャルの企画でゴール地点のゲートの修復をするためアラスカを訪れた。その際に大島が入院していた病院に見舞いに訪れるシーンがあった。遠藤はドロンズゴールの際も再度アラスカに出向いている。
応援歌
- 前田はブラジルでドロンズ(この時リオのカーニバルに参加していた)と合流し、途中までドロンズの旅に同行している。ヒッチハイクも野宿も共に行った。帰国後、応援歌としてこの曲を作った。また、ドロンズがゴールする際にも前田はアラスカに出向き、ドロンズの目の前で「君だけのTomorrow」をオーケストラバージョンで披露している。
関連書籍
- ドロンズ日記 Part1(1997年5月10日)
- ドロンズ日記 Part2(1997年7月18日)
- ドロンズ日記 Part3(1997年10月21日)
- ドロンズ日記 Part4(1997年12月24日)
- ドロンズ日記 Part5(1998年1月30日)
- 全ドロンズ(インタビューと劇画で構成)(1998年3月3日)
出演
テレビ番組
- 進め!電波少年(日本テレビ、1996年11月 - 1997年12月)
- 雷波少年(日本テレビ、1998年4月 - 1999年9月)
- BANG! BANG! BANG!(フジテレビ、1996年1月 - 9月)
- DAIBAッテキ!! (フジテレビ、1998年10月 - 1999年3月)
- DAIBAクシン!!GOLD (フジテレビ、1999年4月 - 1999年9月)
関連項目
外部リンク
- DAIBAッテキ!! プロフィール(当時のプロフィール)
- ウリナリ解散総選挙 プロフィール(当時のプロフィール)