トヨタ・マークII
テンプレート:Otheruseslist マークII (MARK II)は、トヨタ自動車が1968年から2004年まで製造・販売していた高級乗用車である。
概要
1968年に、クラウンとコロナの中間に位置する車種として登場する。モデルチェンジごとにボディーの大型化と高級化が進み、1980年代後半には姉妹車のチェイサー、クレスタと共に、当時の高級車(ハイソカー)ブームの中心的存在として高い人気を集めた。また、信頼性や耐久性の高さから、タクシー、ハイヤー、教習車、社用車やパトロールカーといった業務用車両や特殊車両としても使用された。
尚、X80系以降を中心に販売台数の多さ(=中古車・中古部品が安価で容易に手に入る)、直6FRというパッケージングから走り屋(特にドリ車)からの需要も高い。2013年現在、後継モデルがマークXとして系統を継承している。
歴史
初代 T60/70型(1968年 - 1973年)
ピックアップを除き1968年 - 1972年 テンプレート:Infobox 自動車のスペック表 トヨペットブランドとしては最後に新規発売された車種である。ユーザーの上級志向化や、クラウンとコロナの中間モデルが要望されていたため、当初次期コロナとして開発していたT60系は、「コロナ・マークII」とし、コロナはマイナーチェンジに留め、フルモデルチェンジを2年延期した。車両型式はT60系(4ドアセダン)とT70系(2ドアハードトップ)で、コロナの型式を踏襲する(このため、コロナはこの番号が欠番になっており、T50系のあとはT80系に飛んでいる)。デザインはコロナの「アローライン」を継承しながらも、ひと回り大きくゆとりあるものとなった。ワイドバリエーションを誇り、4ドアセダン/2ドアハードトップ/バンに加え、ワゴン、さらにピックアップモデルまで用意されており、日産・ローレルを販売台数でリードした。なお、ワゴンとバンではリアのデザインが大きく異なる[1]。エンジンは1600ccの「7R」と1900ccの「8R」で共に水冷直列4気筒SOHC。それぞれにシングルキャブレター仕様とSUツインキャブレター仕様が用意された。当初設定された1600ccはコロナに設定された「ゴールデンシリーズ」からのキャリーオーバーであった。2代目(X10型)に移行後も、ピックアップは一度もフロントマスクの変更を行わないまま、1974年6月まで生産・販売された。
- 1968年9月 - 初代コロナ・マークII発売。
- 1969年9月 - ハードトップGSSを追加。エンジンは8R・1900ccをベースにDOHC化した「10R」(後に8R-Gに呼称変更)で最高出力140ps 最高速度200km/h。
- 1970年2月 - マイナーチェンジ。フェイスリフトを実施。1.6Lを1.7Lに増強。
- 1971年2月 - マイナーチェンジ(ピックアップ除く)。フロントマスクは、その形状から「イーグルマスク」と呼ばれた。
なお、「GSS」とはグランド・スーパー・スポーツの略。 テンプレート:-
2代目 X10/20型(1972年 - 1976年)
テンプレート:Infobox 自動車のスペック表 2代目はX10型(セダン・ワゴン・バン)・X20型(2ドアハードトップ)で、車両コードが"X"となる(マークXにも踏襲)。ボディは大型化された。スカイラインGTへ対抗すべく、スカイラインGTのアドバンテージであった6気筒に対抗し、クラウンから移植のM型6気筒エンジンを搭載したモデル「Lシリーズ」が登場。エンジンは4気筒1700(6R)/4気筒2000(18R)/6気筒2000(M)。HTには18R-G型DOHCのGSSが設定される。車名は「コロナマークII」ではなく「トヨタマークII」と表記されるようになったが、カタログにはコロナの名前が残っていた(『絶版日本車カタログ』三推社・講談社78,79頁参照)。
- 1972年1月 - フルモデルチェンジ。
- 1972年5月 - Lにツインキャブ仕様(125馬力)と2000GSL-EFI(電子制御燃料噴射)を追加。
- 1973年8月 - マイナーチェンジでフェイスリフトされ中期型へ。6気筒エンジンのLにもEFIエンジン搭載のLGを追加、既存のLのツインキャブ仕様はLXに改称。また6気筒Lシリーズに廉価版のLAと5速MTを装備したワゴンLを追加。1700cc車はエンジン拡大で1800ccの16R型に変更。
- 1974年8月 - 排ガス対策準備に備えてフロントノーズを55mm延長するマイナーチェンジで後期型へ。
- 1974年12月 - 1800ccにSTD(セダン)とGL(セダン/ハードトップ)追加。
- 1975年10月 - TTC-Cによる50年排ガス規制適合、乗用車の4気筒エンジン車は全車18R型・2000ccに統一。同時にDOHC・ツインキャブエンジン搭載のGSSは廃止、6気筒ツインキャブのLXはEFI化される。
- 1976年6月 - 4気筒2000は18R-U型で昭和51年排ガス規制適合。型式はセダン、ハードトップ共にC-RX15型。
- 『ウルトラマンA』に2ドアハードトップ・2000GSSが「タックパンサー」として登場した。
3代目 X30/40型(1976年 - 1980年)
テンプレート:Infobox 自動車のスペック表 デザインは当時のアメリカ車の「ヨーロッパ調セミクラシック」に影響される。先代まではボディタイプによって車両型式が異なったが、排ガス規制に伴い適合した規制内容によって型式が振られるようになったため、2/4ドアの違いなどは型式だけでは分からなくなった。単眼2灯式のシンプルなマスクを採用し、そこから通称「ブタ目」と呼ばれる。グリルとヘッドライトの間にあるランプは車両全幅を示してはいないが、法規上は車幅灯の扱いである。衝撃吸収バンパーは後期型のみのメーカーオプション。デビュー時点でのエンジンのバリエーションは6気筒が2600(4M-U)2000(M-U)2000・EFI(M-EU) 4気筒が2000(18R-U)。6気筒も51年排ガス規制適合となった。サスペンションは前輪がマクファーソン・ストラット(全車)、グランデ・LGツーリング・GSLが後輪セミトレーリング・アームの4輪独立懸架。他は4リンク(ワゴン、バンは後輪リーフサスペンション)。なお、4輪独立懸架車は4輪ディスクブレーキとされた。最上級グレード「グランデ」(grande)が登場。マークIIとしては初めての3ナンバーとなる2600ccの4Mを搭載したモデルもある(2600グランデ)。オート店で販売される姉妹車チェイサーが1977年に登場している。また、日本国外へ輸出される姉妹車クレシダの登場もこの代からである。
- 1976年12月 - フルモデルチェンジ。
- 1977年4月 - セダン1800を追加。エンジンは3T-UでTTC-Cにより51年排ガス規制適合。
- 1977年6月 - 6気筒2000・EFIのM-EUが53年排ガス規制適合となる。ハードトップ1800を追加。
- 1977年11月 - 1800の3T-Uが53年排ガス規制適合となる。
- 1978年2月 - 2600の4M-UをEFI化して53年排ガス規制適合(4M-EU)。同時に、2000・2600ともATを従来の3速からオーバードライブ付き4速に変更。
- 1978年8月 - マイナーチェンジ。フロントグリルの形状がセダン/バン/ワゴン(縦桟)とハードトップ(ブロックタイプ)で意匠変更[2]。前期型ではコンビネーションランプに一体化されていた後退灯が独立・大型化。フロントクリアランスランプもマークIIのマークが入ったデザインに。大型の衝撃吸収バンパーを2.6/2.0L車にオプション化。4速ATをM-EU搭載車にも拡大採用。車検証の車名が「トヨペット」から「トヨタ」へと変わったため、トランクリッドのモールも「
TOYOPET
」から「TOYOTA
」となる。 - 1978年9月 - 4気筒2000を従来の 18R-Uから 21R-Uに変更。53年排ガス規制適合となる。
- 1979年3月 - 6気筒2000・キャブレターのM-Uが53年排ガス規制適合となる。
- 1979年8月 - 1800にATを追加。
- 1979年9月 - ディーゼルを追加。エンジンは先にクラウンに搭載されていた4気筒2200ccのL型。マークIIのディーゼルはこれが初。4速ATも選べた。
- 1980年4月 - 一部変更。フロントグリルのマークが丸型→角型へ。特別色のツートーンを設定。
4代目 X60型(1980年 - 1984年)
テンプレート:Infobox 自動車のスペック表 デザインは直線基調のデザインとなり、2ドアハードトップは廃止され、センターピラーを持つサッシュレスの「4ドアハードトップ」が登場する。エンジンはアルミエンジンで直列6気筒の1G-EUと直列4気筒の21R-Uの2種類があり、5M-EU搭載の2800ccの「2800グランデ」も登場した。また、スポーツモデルとして、前期型に限り18R-GEU搭載の「GT」もあった。この代まで「コロナ」の名が残っていたが、車体にCORONAの表記はなく(リアクォーター窓枠に「CORONA MARKII」の表記あり)、ユーザーや新聞広告・CMでも「マークII」のみの名称で呼ばれるようになっていった。この4代目から、販売の主力がセダンからハードトップへ移行になった。モデル末期には黒の可倒式電動ドアミラーが新たに設定された。タクシー、教習車向けのLPG車はクラウンと同じM型LPGが搭載されていたが、1983年以降は1800ccをベースに(E-SX60-XEMRS、車検証上ではSX60改)、コロナLPG車と同じ2Y型LPGを搭載したモデルも教習車向けに生産・販売された。
この世代からビスタ店専売の姉妹車クレスタが登場し[3]、チェイサーと合わせて「マークII三兄弟」と呼ばれるようになる。
- 1980年10月 - フルモデルチェンジ。
- 1981年10月 - 2000cc直列6気筒ターボ(M-TEU)搭載モデル追加。
- 1982年8月 - マイナーチェンジ。内外装は大幅に変更。フロントワイパーアームがこれまでのむき出し式からフルコンシールド化され2000ccツインカム24(1G-GEU、160馬力(グロス値))搭載車の「グランデツインカム24」が登場。車種整理が行われ5M-EU搭載の「2800グランデ」は廃止。2000ccは6気筒エンジン仕様・4輪独立懸架に統一。それに伴い18R-GEU搭載の「GT」廃止。1800ccは13T-Uから新開発の1S-Uに変更され、ミッションも4速MT、3速ATから5速MT、4速ATになり、2400ccディーゼルターボ(2L-TE・オートマチック車のみ)も追加。
- 1983年2月 - ツインカム24に4速のECT(電子制御オートマチック)が追加。
- Toyota Mark2sedan 1983 Rear.jpg
セダン(後期型)
5代目 X70型(1984年 - 1997年)
バン、ワゴンを除き1984年 - 1988年 テンプレート:Infobox 自動車のスペック表 このモデルより正式に車名が「トヨタ・マークII」となる。通称 (猫目マークⅡ) ボディは先代と同じセダンとワゴン(3ヶ月遅れで登場)、ハードトップ。ハードトップは、F30型日産・レパード、S120系クラウンと同様にクリスタル・ピラーと呼ばれるブラックアウトされたCピラー周りの樹脂処理がスタイリングの特徴[4]。ハードトップが販売の主力で、セダンはタクシーや教習車としてよく使われた。搭載エンジンはディーゼルが2200ccのL型から2400ccのレーザー2L型へ変更した程度で基本的にX60系(後期)と同じである。ディーゼル、1800cc車はリアサスが4リンクリジッドであった。2500ccや3000ccなどの3ナンバー車は設定されなかった。ちなみにハードトップの「グランデ(1G-EU型エンジン搭載車)」は1985年度のグッドデザイン賞を受賞している。CM出演は九代目松本幸四郎。
- 1984年8月 - 登場。
- 1984年11月 - ワゴンをフルモデルチェンジ。エンジンは2000ccのレーザー1G-II のみ。
- 1985年10月 - チェイサー・クレスタと共に1G-GTEU型を搭載した「GT-TWINTURBO」が登場。これは日本初のツインカム・ツインターボエンジンである。この追加によりM-TEU搭載の「グランデ・ターボ」は廃止。トランスミッションには電子制御4速AT(ECT-S)と5速マニュアルが用意された。セダンモデルには「GT-TWINTURBO」は設定されなかった。同時に小変更が行われ、電動格納式ドアミラーが上級モデルに標準装備されると共にLG以下のグレードへフロント合わせガラスが採用される。
- 1986年8月 - マイナーチェンジで内外装を変更。1G-GEUエンジンの改良、サスのチューニングの見直し、インパネ右側吹出し口の形状変更、スイッチ類の見直し、リアヘッドレストの改良等を行う。セダンにも一部を除きフォグランプが標準装備された。タクシー仕様のLPGエンジンを1800cc2Y-PU型から2000cc3Y-PU型に換装。
- 1988年8月 - ハードトップ、セダン生産・販売終了。これに伴いワゴン(GX70G)・バン(YX76V、YX78V)はマイナーチェンジを行い、フェイスリフト及びエンジンを1G-FE(ワゴン)に変更し、インテリアカラーを変更。ボンネット・フロントフェンダー・バンパーをGX71クレスタと同様のパネルに変更、ロングノーズとなる。
- 1990年9月 - 上級グレードにLGグランデエディション追加。
- 1993年2月 - 一部変更でワゴンはルーフレール・マッドガードが装着され、バンは2Y-J型1800ccから3Y-E型4気筒2000ccに変更した。またテールゲートにトヨタマークが装着された。
- 1996年8月 - X90系マークIIセダンの一部改良に伴って全車種に運転席エアバッグが標準で装着され(オプションでエアバッグレスハンドル仕様もあり)、それまで使用されていたマークIIのロゴが入ったX70型ハードトップ仕様のハンドルからエアバッグ付きハンドルがX90型ハードトップと共通の物に、オプションのエアバッグレスハンドルはトヨタロゴが入った丸みを帯びた仕様に変更された。
- 1997年3月 - ワゴン・バン生産・販売終了(ワゴンはマークIIクオリスにモデルチェンジ。バンはカルディナバンに統合)。
- MARK2 GX71 GRANDE.jpg
ハードトップ(前期型)
- Toyota Mark II 70 Van 002.JPG
バン(後期型)
- Toyota Mark II Van 001.JPG
バン(リア)
6代目 X80型(1988年 - 1995年)
ハードトップ:1988年 - 1992年 テンプレート:Infobox 自動車のスペック表 この代よりガソリンエンジン搭載車が全てDOHC化される(2.0グランデ以下のグレードは4気筒、6気筒関わらず全てハイメカツインカム化)。ツインカム車へのスーパーチャージャー搭載(グランデG)やシャーシ性能の全面的な刷新が図られる。一部グレードにはオプションで運転席エアバッグが装着可能であった。モデルチェンジの度にボディサイズを拡大してきたが、この代でついに上位クラスのクラウンセダンと全長・全幅が全く同じ寸法となり、一時的ではあるが車格が追いついた格好となった。
スタイリングはX70系のキープコンセプトでありながら、やや丸みを帯びた滑らかなものとなった。ハードトップはX70系よりも車高が低くなっている。このため室内空間が犠牲となり、ハードトップの室内の広さは大人4人の長時間乗車に耐えうる最低限の寸法が確保されている程度のものであった[5]。セダンは法人需要が根強く、自動車教習所の教習車としても大量に投入されていた。また、居住性・性能向上の観点から小型タクシーのクラスアップが進められた1990年、地方を中心にコロナなどから切り換えたタクシー事業者も見受けられた。CM出演はX70型に続き九代目・松本幸四郎(前期のみ)。
- 1988年8月 - フルモデルチェンジ。
- 1989年8月 - 3000cc(7M-GE)車「3.0グランデG」が追加され、7年ぶりに3ナンバーモデルの復活となる。5ナンバー車との違いは、モールによる拡幅(1710mm)のみで、全長は変更なし。従来からの4輪ESC(ABS)の他にTRCも標準装備。
- 1990年8月 - マイナーチェンジ。2500cc(1JZ-GE、1JZ-GTE)車「2.5グランデ」「2.5グランデG」「2.5GTツインターボ」が追加され、入れ替わりに2000ccのツインターボ(1G-GTE)搭載モデル(GTツインターボ)と、スーパーチャージャー(1G-GZE)搭載モデル(グランデG)が廃止。2500ccと3000ccには大型バンパーが装着され、全長も3ナンバーサイズに(ハードトップは4760mm、セダンは4725mm)。内装は、前期ではグランデGのみの設定であったフロントセンターアームレストおよびスライド式コンソールボックスがグランデ系全車及びGRサルーンのAT車に設定拡大。1JZ-GTEを搭載するJZX81の2.5GTツインターボは4速ATのみの設定で、モデル末期には「ヤマハコンセプト」が少数販売。
- 1991年5月 - 国内累計販売新車登録台数300万台を記念して、ハードトップに特別仕様車の2.5グランデリミテッドと2.0グランデリミテッドを設定した。
主な内容は、「2.5グランデリミテッド」にはベースとなる、「2.5グランデ」を基に“15インチアルミホイール”、“専用外板色のホワイトパールマイカ”、“カラードドアハンドル”、“リミテッド専用エンブレム及びリヤゴールドエンブレム”、“ワイヤレスドアロックリモートコントロール”を装備。「2.0グランデリミテッド」には、「2.0グランデ」を基に同じく“15インチアルミホイール”と、“既設のホワイトのボディカラーのみ”の設定として“カラードドアハンドル”、“リミテッド専用エンブレム及びリヤゴールドエンブレム”、“カラードフロントスポイラー”に“エレクトロニック・ディスプレイメーター”と、ファブリックシートの材質をベース車よりグレードアップさせた、“スーパーラグジュアリーシート”の3点は、2.0グランデリミテッドのみ設定となる。
- 1993年2月 - ハードトップがX90系にモデルチェンジした後もセダンはX80系のまま一部改良を実施、グレードを整理したうえで継続生産・販売[6]。このときにトランクリッド中央のエンブレムを新CIに変更。
- 1995年12月 - タクシー・教習車向けの「コンフォート」の発表を機にセダンの生産・販売を終了[7]。コンフォートを始め、クラウンコンフォートと現行のクラウンセダンは本モデルがベースである。
- Toyota Mark2sedan 1988 Taxi.jpg
タクシー仕様(後期型)
7代目 X90型(1992年 - 1996年)
テンプレート:Infobox 自動車のスペック表 フルモデルチェンジで日本国内専用車になり、全車3ナンバーボディとなった。開発時期がバブル経済まっただ中だったため、2代続けてプラットフォームを一新したが、販売直前にバブルが崩壊。財政事情の悪化によりコストダウンを余儀なくされた。代表的な例としては、TEMSの設定グレードを3Lモデルのみに限定、パワーウインドウの駆動方式を従来のパンタグラフ方式からケーブル方式への変更など。搭載エンジンはガソリン車が3.0L 2JZ-GE、2.5L 1JZ-GE(GTE)、2.0L 1G-FE、1.8L 4S-FE。ディーゼル車が2.4L 2L-TE。グランデ系の下には「グロワール (groile) 」というグレードが設けられた。ただし、書体がグランデ系のものと酷似していたため見分けがつきにくかった。この代からスポーツモデルが「ツアラー(Tourer)」に改称[8]。全車3ナンバーサイズとなり、小型乗用車の寸法制約がなくなったことから車体寸法の縦横比の適正化と居住性の向上が図られた。またサイズが大きくなったにもかかわらず車重は先代に比べて最大で約100kgほど軽量化された、この代からフロントグリルのグレードエンブレムが廃止された。
90系以降、マークII3兄弟は海外への並行輸出が出始め、特に2000年代中盤にはロシアへ大量に輸出された。ただし、ロシアの関税が増税されたことから近年のロシアへの輸出の中心はマークXであるため、日本国内に残っている90系は近年のエコカー減税・補助金の影響もあり、廃車が相次いでいる。それでも今もなお地方の一般道を筆頭に見掛ける機会の多い車輌である[9]。
- 1992年10月 - フルモデルチェンジ。
- 1993年10月 - 四輪駆動(実用型四輪駆動)仕様の「グランデfour」「グランデG four」が追加される。四輪駆動方式の排気量は2500のみで、エンジンは1JZ-GEである。
- 1994年9月 - マイナーチェンジ。フロントバンパー下部の形状変更やテールランプ中央に黒色の横線が入るなどの内外装変更。
- 1995年9月 - 一部改良で運転席エアバッグを全車標準装備。
8代目 X100型(1996年 - 2000年)
テンプレート:Infobox 自動車のスペック表 バブル崩壊による厳しい経済情勢が依然続いていた時期でのモデルチェンジのため、フロアパネルはX90系のフロアパネルを流用し、コストダウンが図られた。その一方で安全性向上に力を入れ、衝突安全対策の施されたトヨタ独自規格の「GOA」や、運転席・助手席SRSエアバッグシステム・ABSを全車標準装備(先代のX90系は運転席エアバッグのみ1995年9月モデルから標準装備)。搭載エンジンは2JZ-GE、1JZ-GTE、1JZ-GE、1G-FE、2L-TE。X90系まで搭載された4S-FEは廃止となった。X90系で問題のあった居住性を改善し、デザインはかなり丸みのあった従来型を継承しつつ、大ヒットしたX70系やX80系を思わせる直線基調のものになった。ツアラー系はゲート式ATシフトレバー、レバー式パーキングブレーキ、カーボンパネル、ディスチャージヘッドランプが採用された。グランデ系とツアラー系の2シリーズ。MTはツアラーV(1JZ-GTE搭載)及びグランデ(1G-FE搭載)の2WDのみ設定されていた。この代も90系同様2000年代中盤にロシアへ大量に輸出された。また、このモデルはスポーティーさとラグジュアリーさを併せ持っているため、近年では走り屋仕様やVIP CAR仕様のベース車としての人気がある。しかし、近年のエコカー減税・補助金の影響で、発売当初から所有している100系オーナーの代替による廃車が相次いでいるが、90系同様、地方の道路を筆頭に見かける車種である。
- 1996年9月 - モデルチェンジ。
- 1998年8月 - マイナーチェンジ。フロントグリル・リアテールランプ・バンパー・ホイールのデザインを変更。標準装備のアルミホイールがチェイサー・クレスタと共通化される。グランデに搭載されている1G-FEがVVT-i及びダイレクトイグニッション化され出力向上。スーパーライブサウンドシステムにおいてはスピーカー数を7から6に変更。マークII誕生30周年特別仕様車「トラント (TRENTE、フランス語で"30"の意) 」を販売。CM出演は俳優の橋爪功(後期のみ)。
- 1996 Toyota Mark II 01.jpg
前期型リア
9代目 X110型(2000年 - 2004年)
テンプレート:Infobox 自動車のスペック表 マークIIとしての最終モデルとなったX110系は、それまでの4ドアハードトップから、クラウン(S170系)と共通シャシの4ドアセダンに移行した。姉妹車であったチェイサーとクレスタが廃止となる。その代わりヴェロッサが後継車として登場。歴代で最も背の高いボディ、厚みのあるヘッドライト、テールライトが歴代の横長型から一転して縦長になるなどにより歴代で最もボリュームあるデザインといえる。室内が広くなった事が高評価される一方で、販売台数は100系以前ほどの成功を収めることはなかった。グレード名には全車「グランデ」が付けられ、旧グランデ系は、上からターボ搭載の「2.5グランデG-tb」「2.5グランデG」「2.5グランデ」「2.0グランデ」で、3.0Lは廃止された。グランデのエンブレムはこれまでの筆記体から活字体に変更された、スポーツ系のツアラーの呼称は廃止され、「グランデiR-V」と「グランデiR-S」という呼称になった。エンジンは、1G-FE(VVT-i)・1JZ-FSE(VVT-i)・1JZ-GE(VVT-i)・1JZ-GTE(VVT-i)のラインナップである。この代から2.5Lモデルに搭載された1JZエンジンがドライブバイワイヤ化された。5速MTは2.5グランデiR-Vにのみ設定。先代のスカイフックTEMSに代わりインフィニティTEMSが採用された。この世代もロシア等へ大量に並行輸出された。そのため日本国内では100系以前に比べ販売台数が少なかったこともあり思ったより残存数が少なく、中古車市場では比較的高値で推移している。
- 2000年10月 - フルモデルチェンジ。
- 2002年10月 - マイナーチェンジ。ヘッドランプ・フロントグリル・リアコンビネーションランプが変更。またスポーツ系グレードは、グランデiR-V、グランデiR-Sから単に「iR-V」「iR-S」となり、新たに1G-FE搭載の廉価グレード「iR」が追加され、2.5グランデG-tbが廃止。グランデ系とiR系となった。特別仕様車として「レガリア」「35thアニバーサリー」「リミテッド」が登場した。
- 2004年10月 - 後継車「マークX」の登場にともない、生産・販売を終了。マークⅡは36年の歴史に幕を閉じた。ただし、ワゴンのブリットは継続生産・販売された。
- 2002-2004 Toyota Mark II.jpg
後期型(2002年10月 - 2004年10月)
ステーションワゴンモデル
マークIIクオリス(1997年 - 2002年)
テンプレート:Main 8代目(X100系)の販売時期にステーションワゴン車としてマークIIクオリス (MARKII Qualis) が追加販売された。カムリグラシア(6代目カムリ)をベースにしたFF車であった。実際に型式コードもカムリグラシアと同じくSXV20(2.2L)/MCV20(2.5L/3.0L)であった。
カムリグラシアには設定のないV6・3.0L(1MZ-FE:ウィンダム(レクサス・ES)と同じエンジン)モデルの設定がある。 テンプレート:-
マークIIブリット(2002年 - 2007年)
テンプレート:Main 2002年1月に、マークIIクオリスの後継車として「マークIIブリット(MARKII BLIT)」が発売された。ブリットは、クオリスと異なりセダンと共通シャシのFR車(又は4WD車)。形式コードは9代目のX110である。エンジンは、1G-FE(VVT-i)・1JZ-FSE(VVT-i)・1JZ-GE(VVT-i)・1JZ-GTE(VVT-i)のラインナップである。1JZ-GTE搭載モデルは2006年に廃止。 テンプレート:-
車名の由来
当時の小型セダン“コロナ”をよりスポーティに高級化した車 という開発コンセプトにより、端的にはその二次的車種という意味で“コロナマークII”と命名、上級車志向のコロナオーナーを意識し、ジャガーMk-IIなどの英国車のモデルチェンジやグレード変更によく使われる方法からこの車名が採用された[10]。
エンブレムはコロナと同一的コンセプト(中心から光を放つ)の意匠で、最終型まで世代ごとに デザインの変更を重ねながら用いられた。
取扱ディーラー
原則的にトヨペット店の取扱だが、東京地区では東京トヨタとの併売、大阪地区では大阪トヨタ(現在は名称変更で大阪トヨペット)が取扱っていた。
脚注
関連項目
- トヨタ・マークX
- トヨタ・チェイサー
- トヨタ・クレスタ
- トヨタ・クレシダ
- トヨタ・ヴェロッサ
- トヨタ・マークIIクオリス
- トヨタ・マークIIブリット
- トヨタ・クラウンコンフォート
- トヨタ・コンフォート
- トヨタ・コロナ
- トヨタ・クラウン (JZX110系(9代目)がJZS170系クラウン(11代目)とプラットホームを共有)
- ハイソカー
- トヨタ・M型エンジン
- トヨタ・G型エンジン (2代目)
- ヤマハ発動機
- トヨタ自動車
参考文献
- 『トヨタのデザインとともに』森本眞佐男 著 山海堂 ISBN 4-381-07510-2 第6章 デザイン課からデザイン部へ P140 マークII誕生のいきさつ
外部リンク
テンプレート:自動車 テンプレート:Toyopet Timeline テンプレート:トヨタ車種年表 (初期)
テンプレート:トヨタ車種年表de:Toyota Corona Mark II- ↑ ワゴンのコンビネーションランプは、セダンのそれに近いデザインの専用品。
- ↑ それまでは4気筒エンジン車が縦桟タイプと6気筒エンジン車がメッシュタイプ。
- ↑ 実際、クレスタが登場したのは3代目末期の1980年4月である。
- ↑ 特別仕様車「グランデ・リミテッド」ではクリスタルピラーが特別色(ファインベージュメタリックやブラウンメタリック)に塗られていたモデルも存在。
- ↑ この当時の上級乗用車はマークIIに限らず、居住性よりもスタイリッシュなデザインを重視する傾向が強かった。
- ↑ 自家用は1800GL / GRサルーン、2000グランデのみ。その他はタクシー・教習車向け。
- ↑ パトカー仕様はS150系クラウンに移行。
- ↑ ツアラーのみパーキングブレーキがレバー式である。
- ↑ 一部、90系のパトカーも白パト・覆面仕様共に存在した。白パトは岐阜県警で活躍した。パトカー交通警察DVD(三才ムック)参照。覆面パトカーは静岡県警察交通機動隊で活躍した。
- ↑ トヨタ博物館 コロナマークII RT62型