ジャンヌ・ダルク (ヘリ空母)

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セーヌ川を下るジャンヌ・ダルク(1999年7月)</small>
艦歴
発注 ブレスト海軍工廠
起工 1960年8月7日
進水 1961年9月30日
就役 1964年7月16日
退役 2010年5月27日
除籍
その後
性能諸元
排水量 基準排水量:10,575t
満載排水量:13,270t
全長 181.38m
172.0m(水線部)
全幅 24.0m
22.0m(水線部)
吃水 7.3m
全高 52.0m
機関 2軸推進
La Valle式重油専焼水管缶 4基
ラトー・ブルターニュ式ギャード・タービン 2基
最大
出力
40,000hp(29,420kw)
最大
速力
27.0ノット
航続
距離
15ノット/7,500海里(14,000 km)
行動
日数
90日
乗員 503人、士官候補生158人
兵装 10cm(55口径)単装両用砲
(2000年:2門)
4門
エグゾセ SSM単装発射機
(1974年)
6基
飛行
甲板
縦:62.0m×横:21.0m、エレベーター1基
搭載機 各種ヘリコプター 4~
8機
レーダー DRBV-22D対空レーダー 1基
DRBV-51対水上レーダー 1基
DRBN-34航法レーダー 2基
DRBC-32A火器管制レーダー 3基
ソナー DUBV-24 1基
その他 AN/SLQ-25 ニクシー

ジャンヌ・ダルク (Porte-hélicoptères Jeanne d'Arc, R97) は、フランス海軍ヘリ空母。起工・進水時の艦名は、ラ・レゾリュー(La Résolue)であったが、竣工時には退役するジャンヌ・ダルク (軽巡洋艦)からその名を引き継いだ。ジャンヌ・ダルクフランスの英雄の名前。

概要

平時は1957年度計画において、士官候補生193名を外洋航海において教育する練習艦任務に就き、有事には艦の後部がヘリ甲板を使用したヘリコプターによる対潜哨戒任務、また内部の格納庫と居住施設を利用した強襲揚陸戦や兵員輸送任務に就くヘリコプター巡洋艦として設計された。

艦形

本艦の船体形状は防空巡洋艦「コルベール」をタイプシップに採り、高速力の替わりに安定型の余裕のある船体形状としたて士官候補生の居住能力とヘリコプターの運用能力に重点を置いた。

中央部の艦上構造物には指揮・管制・情報施設を収めており、中央部に主マストと基部に発着艦管制所を持つ1本煙突を集中させている。

両舷側に候補生用の居住施設を持つ格納庫の内部にはヘリコプター格納庫、搭載機器、兵器の修理・点検のための工場を配置しており、整備なった艦載機は艦尾のエレベーターにより甲板上に上げられる。

搭載機はピューマガゼルなど4~6機であるが、有事には格納庫内部の候補生施設を撤去して最大8機を搭載可能。1974年からエグゾセミサイルの箱型の単装発射機を前部甲板上に並列に片舷3基ずつ計6基を搭載した。

公式にはヘリ空母であるが、全通甲板は備えておらず搭載機も多くないことから、ヘリ巡洋艦に分類されることも多い。

戦時には、リンクスを搭載して対潜水艦戦に、あるいはフランス陸軍のヘリコプターと兵員を搭載してヘリコプターによる揚陸作戦に従事する。

新造時は艦首と艦尾に2基ずつの「Model 1953 10cm(55口径)単装両用砲」を装備していたが、2000年の改装により艦尾側の2基は撤去されている。

艦歴

「ジャンヌ・ダルク」はブレスト海軍工廠にて1960年8月7日に起工、1961年9月30日に進水、1964年7月16日に就役する。

2009年3月にはアタランタ作戦に参加するため「D640 ジョルジュ・レイグ」と共にソマリア沖・アデン湾に展開している[1]

2009年12月に最終航海を始め、アフリカ大陸に南米のリオデジャネイロブエノスアイレスカリブ海のフランス領アンティル諸島、北米はアメリカ合衆国ニューヨークカナダを訪問した。2010年5月27日、13時30分にブレストに帰港。最終航海においてもフランス海軍士官学校の練習艦としての任務を全うした。

2010年に退役した。

ギャラリー

脚注

  1. La Jeanne d’Arc et le Georges Leygues rejoignent l’opération Atalanta

関連項目

参考図書

外部リンク

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