シラット
シラット(マレー語 Silat)は東南アジアで行われる伝統的な武術。現在はマレーシア、インドネシア、シンガポール、ブルネイ、ベトナムで盛んである。インドネシア語ではプンチャック(Pencak)という。
概要
拳法、武器術を含む武術であり、型や組手を通じて稽古を行う。インドネシアでは地域によって500以上の流派があり[1]、技術的にもかなりの違いがあるという[2]。
シラットには「稲穂の教え」(イルム・パディ)という基本思想があり、鍛練を積むに従って礼節や他人への思いやりを身に付け、心豊かに生きる事を理想としている[3]。また、「崇高な精神と品格を備える」、「同胞を尊敬し、友愛と平和を守る」、「常に前向きに考え行動し、創造性と力強さを持つ」、「真実、公正、正義を守り、試練や誘惑に立ち向かう」「常に自身の言動に責任を取る」という「5つの誓い」が存在する[4]。シラットを行う者は「プシラット」(pesilat)と呼ばれる[3]。
シラットにはインドネシア式やマレーシア式のものなど様々な種類があるが、インドネシアの西ジャワのプンチャック・シラット(インドネシア語 Pencak Silat)が有名であり、欧米の国々では人気がある。ブルース・リーの師匠であるダン・イノサントが学んだ事でも有名で、後にリーが開いたジークンドーにもシラットが取り入れられている。日本では未だにマイナーではあるが、1996年に日本プンチャック・シラット協会が発足し、インドネシアから師範も来日している。現在は段位制度を設けており、帯の色で分けられている[2]。
youtubeなどの動画共有サイトでも膨大な数の動画を見つけることができる。中でもブルネイの伝統的シラットを世界中で教えているマウル・モウニー(Maul Mornie)氏が有名であり、youtube内で数多くの動画を提供している。
歴史
シラットは口伝で継承されてきたこともあり[2]詳しい起源は分かっていないが、6世紀にはその存在を確認できるという[4]。シュリーヴィジャヤ王国やマジャパヒト王国では兵士の訓練に用いられたという[2]。東南アジア一帯には同系統の技法や武器、用語が共通する武術(エスクリマなどのフィリピン武術やタイの剣術など)が存在することから、マジャパヒト王国時代にシラットの元になった武術が東南アジア各地に広まったと考えられている[4]。シラットは王宮の警護にあたる者たちにも学ばれた[4]。
その後、オランダ(東インド会社)の侵略に対して現地の住民が激しく抵抗したことからオランダ領東インド時代には反乱の火種になるとしてシラットはオランダ当局によって禁止され[4]、この間シラットは秘密裏に行われた[2]。シラットが復興するのはインドネシアが独立を果たした後のことであるが、このシラットの復興には日本も関係している[5]。第二次大戦中に日本はインドネシアを占領したが、その際に白人からのアジア解放をうたう日本当局は逆にシラットを奨励した[5]。さらに日本軍は簡潔で習得が容易な「近代シラット」とでもいうべき体系を作り、広める事でインドネシア人の戦闘能力を短期間に上げることを計画した[5]。そのため日本当局はジャカルタに各流派の師範を集めて統一型の制定を依頼し、その結果12のジュルス(型)が制定され「プンチャック」(Pentjak)という教本にまとめられた。この時期には日本とインドネシアの武術家の交流も行われたという[5]。
当初この体系はインドネシア人には不評であったが、「近代シラット」はその後意外な形で役立つ事となる。戦後、再びオランダがインドネシアを支配しようとすると、現地の人々は独立を求めて立ち上がった。このインドネシア独立戦争の際に「近代シラット」は短期間に独立軍兵士の戦闘能力を高め、結果としてインドネシアの独立に貢献した[5]。この頃にインドネシア語の「プンチャック」とマレー語の「シラット」をあわせて「プンチャック・シラット」という言葉が生まれたという[5]。
技術
伝統的には弟子は入門する際、師にナイフと白い布を贈るという。ナイフは覚悟と師への畏敬の念を意味し、白い布は命を落とした際に自らを包むためのものである[2]。
シラットには「ジュルス」(jurus)という型のようなものがある[5]。ジュルスは民族衣装に身を包み、ガムランの調べに乗って演じられる。素手で行うものもあれば、扇や「クリス」という短剣を持って演じる事もある。音楽に合わせてジュルスを演じることを「スニ」(seni)と呼ぶ[3]。インドネシアには民族舞踊の中にジュルスが含まれていることも多く、イベント等では大人数で演武が行われる。
また、マレーシアでは結婚式の際に新郎新婦の前で若者がコンパン(マレーシアの太鼓の一種)に合わせてジュルスを演じる「ウエディング・シラット」というパフォーマンスが行われる[1]。このような武術と音楽や舞踊との関係はインドやタイにも見られ、東南アジア武術の特徴の一つとなっている[5]。
基本型に基づいた「オララガ」(olah raga)という組み手も存在する[3]。武道、スポーツとして親しむ向きもあり、多くの競技人口が存在する。国際プンチャック・シラット連盟はシラット競技の普及を進めており、将来のオリンピック種目採用を目指している[1]。
シラットには精神修行という一面もある[4]。呼吸法[6]や瞑想等の修行を通じて精神統一を行う事で集中力を養い[3]、「インパワー」(気の力)の習得を目指す。気を養う呼吸法や、呼吸法を使って感覚を養う法などの練功法も存在するという[7]。土着のアニミズムやシャーマニズムと関連がある[2]が、イスラム文化圏ではイスラム教とのつながりもあるという。
多くの流派で共通して使われる武器には棒や棍棒のほか、竹や鉄で作られた竿、先端が三叉に分かれた「カバン」というナイフの一種、女性が髪に刺して持ち歩く護身用のナイフ「クランビット」、「サビット」という鎌、毒を塗って使うダガーの一種「クリス」、「テダン」と呼ばれる剣がある[2]。
初心者や年配者向けの簡化太極拳のような基本型が存在するほか、実戦を重視した護身術的な要素の強いものもある[4]。軍隊やセキュリティ機関向けに伝統的なシラットを簡略化し、覚えやすく、殺傷力を高めた「軍隊式シラット」もあり、欧米の軍隊や法執行機関で取り入れられている。軍隊シラットをベースにしたローコンバットは日本でも知られている。
試合
シラットでは試合を行うこともあり、形試合と組手試合が行われる。イスラム文化圏では試合の前に「ドゥアー」と呼ばれる祈りの時間が設けられている。マレーシアではコンパンを叩いて応援する。
形試合
形試合には単独で演武を行うものと2人、3人で行うものがある。単独や3人組の演武では決まった型を演じ、審判は演武の正確さや型の理解度、動きの美しさ等を評価するが、2人の場合は戦いを模した演劇のような演武を行い、審判は技の多さや演出の良しあし等を評価する[1]。
組手試合
道着のような黒い服を着た上から防弾チョッキのような防具を着用して、その上に両者を識別するための赤か青の帯を巻く。審判はインドネシア風の白いユニフォームを着用する[1]。
シラット競技はポイント制である。突きが入ると1点、蹴りが入ると2点、倒す(手、膝が床に付く)と3点となる。1ラウンドは2分で、1分の休憩を挟んで3ラウンドを戦いポイントを多く得た方が勝ちとなる。階級は体重別に分かれており、成年の試合ではAクラス(45kg~50kg)から始まって5kg毎に階級が上がっていく[1]。
創作の中でのシラット
- ゴールデン・ハーベスト社作品(ドラゴン危機一発」など)などで敵役で登場するが、間違った内容も多い。
- 2011年のインドネシア映画「ザ・レイド」ではシラットを使った激しいアクションが繰り広げられている。主演のイコ・ウワイスは「ザ・タイガーキッド~旅立ちの鉄拳~」でもシラット使いを演じている。
- 2012年のテレビアニメ「PSYCHO-PASS」では狡噛と槙島がシラットの技術を近接戦闘で使う。
- 「史上最強の弟子ケンイチ」では作中に「プンチャック・シラット」の達人が登場する。
- 「喧嘩商売」ではアンダーグラウンドのS級格闘士、桜井裕章が「シラット」の使い手として登場する。
参考文献
- 伊藤武 「忘備録!アジアン伝統古武術」『月刊秘伝』通巻229号、BABジャパン、2007年
- 知的発見!探検隊 「世界のすごい武術・格闘技」、イースト・プレス、2011年
- クリス・クルデリ 『世界武道格闘技大百科』川成洋訳、東邦出版、2010年
- 知ろう!学ぼう!楽しもう! プンチャック・シラット編 シンガポール日本人会、2012年9月11日閲覧。
- 日本プンチャック・シラット協会公式サイト
- 水上浩 インドネシアの武術プンチャック・シラットの稽古とことばの役割 The Practice of an Iudonesian Martial Art, Pencak Silat, and the Role of Language 目白大学総合科学研究 2, 151-164, 2006
脚注
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 知ろう!学ぼう!楽しもう! プンチャック・シラット編 シンガポール日本人会、2012年9月11日閲覧。
- ↑ 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 2.5 2.6 2.7 クルデリ(2010):173ページ
- ↑ 3.0 3.1 3.2 3.3 3.4 日本プンチャック・シラット協会
- ↑ 4.0 4.1 4.2 4.3 4.4 4.5 4.6 知的発見!探検隊(2011):126-127ページ
- ↑ 5.0 5.1 5.2 5.3 5.4 5.5 5.6 5.7 伊藤(2007):87ページ
- ↑ 水上(2006):152ページ
- ↑ 水上(2006):156-158ページ