シャダイカグラ

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シャダイカグラは、日本競走馬繁殖牝馬。おもな勝ち鞍は1989年桜花賞ローズステークスペガサスステークス。同年のJRA賞最優秀4歳牝馬を受賞。主戦騎手武豊。武に初の牝馬クラシック優勝をもたらし、「ユタカの恋人」とも呼ばれた。

経歴

1986年、北海道門別町の野島牧場で生まれる。父は後にリーディングサイアーを獲得するリアルシャダイ。母ミリーバードは中央競馬で3勝を挙げている。両馬は調教師伊藤雄二の考案で交配が行われた[1]。幼駒の頃からしっかりとした身体を備え、また人間に対しては利口な性格ながら、仲間の馬に対しては強い闘争心を見せ、早くより将来を嘱望された[1]

その後、伊藤と親交のあった米田茂に800万円で購買され、競走年齢に達した1988年5月、「シャダイカグラ」と命名されて伊藤雄二厩舎に入った。馬名「シャダイ」は父名の一部、「カグラ」は1969年の桜花賞にも出走した米田の初所有馬・ミスカグラにあやかったものである[2][注 1]

戦績

6月13日、札幌競馬場の新馬戦で、柴田政人を鞍上に初出走を迎える。初戦は太め残りの馬体もあって2着に終わったが、20kg減で臨んだ 2戦目で初勝利を挙げる。その後骨膜炎(ソエ)を発症して休養、復帰緒戦の条件戦から、デビュー3年目の武豊を鞍上に迎えた。この競走で2勝目を挙げると、続く京都3歳ステークスでは、この次走で関西の3歳王者となるラッキーゲランに4馬身差を付けて勝利した。次走のラジオたんぱ杯3歳牝馬ステークス重賞に初出走、当日は1番人気の支持を受けたが、逃げたタニノターゲットをクビ差捉えきれず、2着と敗れた。

翌4歳シーズンはエルフィンステークスから始動、2着ライトカラーに5馬身差を付けて圧勝する。続くペガサスステークスも連勝し、重賞を初制覇。本命馬として牝馬クラシック初戦・桜花賞に臨んだ。

第49回桜花賞

4歳以降は出走2戦でいずれも単枠指定を受け、桜花賞でも同様の措置が取られた。しかし競走2日前の発走枠順抽選において陣営は大外枠の8枠を引き、単枠指定馬の規定により、シャダイカグラは自動的に出走大外となる18番に振り分けられた。桜花賞が行われる阪神競馬場の芝1600mは、そのコース形態から外枠は圧倒的不利とされており、特に大外は「最内と比べて0.5秒は不利」と言われていた[3][注 2]。それでも桜花賞当日は単勝2.2倍の1番人気に支持されたが、発走前から激しい焦れ込みを見せる。迎えたレースでは、スタートで出遅れ、最後方からの運びとなった。しかし武は後方のままシャダイカグラを最内まで移動させると、道中で埒沿いの最短距離を通りながら先団に進出、最終コーナーでは先頭から5、6馬身の位置に付けた。最後の直線では抜け出したホクトビーナスを急追、ゴール直前で同馬をアタマ差交わし、大外、出遅れの不利を克服しての優勝を果たした。武の冷静沈着な騎乗は高い評価を受け、「武は大外の不利を帳消しにするため、わざと出遅れた」との風評も広まった(#桜花賞の出遅れについて)。

引退まで

次走はクラシック二冠を目指し優駿牝馬(オークス)に出走。直線で一旦抜け出したものの、シャダイカグラを終始マークしたライトカラーとの競り合いに敗れ、2着に終わった。

夏は休養に充て、秋はローズステークスで復帰。これに勝利すると、次走・エリザベス女王杯をもっての引退・繁殖入りが発表される。以後女王杯に向けての調教が積まれていたが、この頃より脚部に不安を抱え始め、強い調教ができない状態となっていた[4]。しかし陣営は女王杯出走を強行、不安説も流れたが、当日は1番人気に支持された。しかしレース中の第3コーナーでバランスを崩すと、そのまま馬群から置かれていき、ゴール前では右前脚を引きずりながら大差の最下位で入線。競走後に右前脚の繋靱帯断裂が判明し、伊藤は「大丈夫と思って使ったが、こんな結果になってしまいファンに申し訳ない」と謝罪した[4]

怪我は重傷であったが予後不良による安楽死は免れ、当初の予定通りそのまま引退。故郷・野島牧場で繁殖入りした。

引退後

繁殖牝馬としては、第2仔にエイブルカグラ(父ジェイドロバリー)を輩出。同馬はデビュー戦でレコードタイムを記録し、3歳時から「クラシック最有力候補」と注目を集めたが、故障のため1戦のみで引退した。以後は仔出しが芳しくなく、全部で6頭の産駒を出産するに留まった。2002年より平取町のびらとり牧場に移動した後、2005年4月4日に同場において動脈瘤破裂を発症し死亡した。

桜花賞の出遅れについて

前述の通り、桜花賞で大外枠・出遅れを克服して優勝した際、「武は意図的に出遅れた」との憶測が流れた。これについて武はしばらく明確な言及を避けていたため、騎乗の「伝説化」に拍車が掛かった。しかし後に江夏豊との対談において、「意図的じゃなく、本当の出遅れ。でも、言えなくなっちゃって」と述べ、「もしポンとスタートを切ってから下げたなら、もっと楽に勝っていたと思う」と語った[5]

競走当日、シャダイカグラが激しく焦れ込む様子を見て、武は「良いスタートは切れないだろう」と予想を立てており、ゲート入りした時点で無理に先行させることを諦め、後方待機策を決めていた。こうした事前の覚悟が、出遅れからの冷静な騎乗に繋がったものであった[6]

全成績

年月日 レース名 頭数 人気 着順 距離(状態 タイム 着差 騎手 斤量 勝ち馬/(2着馬)
1988 6. 19 札幌 新馬 7 4 2着 1000m(重) 1:00.1 1.2秒 柴田政人 53 マツスイフト
7. 3 札幌 新馬 5 1 1着 ダ1000m(良) 1:02.1 1/2身 柴田政人 53 (スーパーワン)
10. 22 京都 りんどう賞 10 3 1着 芝1400m(稍) 1:24.8 3/4身 武豊 53 (ミスジュニヤス)
11. 26 京都 京都3歳ステークス 10 1 1着 芝1600m(良) 1:37.8 4身 武豊 54 ラッキーゲラン
12. 11 阪神 3歳牝馬ステークス(西) GIII 11 1 2着 芝1600m(良) 1:36.1 0.0秒 武豊 53 タニノターゲット
1989 2. 5 阪神 エルフィンステークス 9 1 1着 芝1600m(良) 1:36.2 5身 武豊 55 ライトカラー
3. 5 阪神 ペガサスステークス GIII 14 1 1着 芝1600m(重) 1:37.5 1 1/2身 武豊 54 ナルシスノワール
4. 9 阪神 桜花賞 GI 18 1 1着 芝1600m(稍) 1:37.5 アタマ 武豊 55 ホクトビーナス
5. 21 東京 優駿牝馬 GI 24 1 2着 芝2400m(稍) 2:29.0 0.0秒 武豊 55 ライトカラー
10. 22 京都 ローズステークス GII 10 1 1着 芝2000m(稍) 2:01.5 1 1/2身 武豊 55 (シンエイロータス)
11. 12 京都 エリザベス女王杯 GI 20 1 20着 芝2400m(良) 2:36.4 7.6秒 武豊 55 サンドピアリス

産駒一覧

生年 馬名 毛色 戦績
第1子 1991年 カグラグレート 鹿毛 ミスターシービー 3戦0勝
第2子 1992年 エイブルカグラ 栗毛 ジェイドロバリー 1戦1勝
第3子 1994年 ゴールドウインク 栗毛 サクラユタカオー 不出走
第4子 1999年 メイショウカルメン 鹿毛 エアダブリン 不出走
第5子 2000年 ジェイドカグラ 栗毛 ジェイドロバリー 1戦0勝
第6子 2003年 オプティマルマザー 栗毛 マーベラスサンデー 6戦3勝(うち地方2戦2勝)

血統表

シャダイカグラ血統ヘイルトゥリーズン系 Nasrullah 5×4=9.38%

リアルシャダイ 1979
黒鹿毛 アメリカ
Roberto 1969
鹿毛 アメリカ
Hail to Reason Turn-to
Nothirdchance
Bramalea Nashua
Rarelea
Desert Vixen 1970
黒鹿毛 アメリカ
In Reality Intentionally
My Dear Girl
Desert Trial Moslem Chief
Scotch Verdict

ミリーバード 1976
栗毛 日本
*ファバージ
Faberge 1961
鹿毛 フランス
Princely Gift Nasrullah
Blanche
Spring Offensive Charles o'Malley
Wild Arum
*ラバテラ
Lavatera 1970
栗毛 アイルランド
Le Haar Roi Herode
Vahren
Begonia Sundridge
Americus Girl F-No.16-a
  • 半妹タイセイカグラの仔にオースミブライト(神戸新聞杯、京成杯)、オースミコスモ(関屋記念、中山牝馬ステークス、福島牝馬ステークス)がいる。

出典・脚注

脚注

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出典

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参考文献

  • 島田明宏『「武豊」の瞬間 - 希代の天才騎手10年の歩み』(集英社、1997年)
  • 武豊、島田明宏『頂上を駆ける - 武豊対談集』(ザ・マサダ、2000年)
  • 横尾一彦「桜下に舞う - シャダイカグラ」(『優駿』1993年7月号〈日本中央競馬会、1993年〉所収)

外部リンク

テンプレート:JRA賞最優秀3歳牝馬

テンプレート:桜花賞勝ち馬
  1. 1.0 1.1 『優駿』1993年7月号 p.65
  2. 『優駿』1993年7月号 p.64
  3. 『優駿』1993年7月号 p.66
  4. 4.0 4.1 『優駿』1993年7月号 p.68
  5. 『武豊対談集』 p.116
  6. 島田 (1997) pp.47-49


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