サミュエル・R・ディレイニー
テンプレート:Infobox 作家 サミュエル・レイ・ディレイニー(Samuel Ray "Chip" Delany, Jr., 1942年4月1日 - )は、アメリカ合衆国の小説家、SF作家。1960年代後半以降のアメリカにおけるニュー・ウェーブ、あるいはスペキュレーティヴフィクションの代表的な作家の一人。愛称はチップ(Chip)。日本での表記にはディレイニー[1]ほかディレーニイ[2]、ディレーニ[3]もある。
言語とリズム、そして構成にこだわり抜いたスタイルを特徴とし、流麗な文体で美しい光景と深い哲学的思索を描き出す、SF作家でも屈指の存在。暗喩を多用することにも特徴があり、物語の裏に別の物語を読み取ることもできる構成について、初期の代表作『エンパイア・スター』において世界の多面的な解釈の意味で使われた「マルチプレックス (multiplex)」という語によって、作品の多面的な読み方を示唆するとともにディレイニーを象徴させることも多い。
その作品には黒人にして詩人・ミュージシャンでありゲイでもあるという作者自身の複雑な経歴が反映されており、アメリカ黒人思索小説の先覚者ともされる。
目次
経歴
ニューヨークのハーレム地区で、葬儀会社を営む父サミュエル・レイ・ディレイニーと、ニューヨーク市立図書館に勤める母マーガレット・ケアリー・ボイドの間に生まれる。父方の祖父ヘンリー・ベアド・ディレイニーは、奴隷解放後に学校経営者となり米国聖公会最初の黒人司教となった。その長女セアラ・ルイーズと次女アン・エリザベスは、奴隷制以来の家族史『セイディーとベッシー - アメリカ200年を生きた私たち』(1993年)を執筆し、ディレイニー姉妹として知られる[4]。
ニューヨークの富裕層の子弟が通う名門私立のダルトン校を経て、ニューヨーク最難関の公立高校のブロンクス・ハイスクール・オブ・サイエンスで数学を専攻したが、在学中の17歳の時に書いた最初の長編小説で、ブレッドローフ作家会議の奨学金をうける。18歳の時に「セブンティーン」誌に作品が掲載され、ニューヨーク市立大学に進学するが1年で中退、19歳で最初のSF小説『アプターの宝石』をエース・ブックスに投稿して出版され、SF作家としてスタートを切る。その後、テキサス湾(メキシコ湾)のエビ漁船に乗り組んだり、フォークシンガーとしてヨーロッパを彷徨したりしながら創作を続けた。1961年にブロンクス・ハイスクール時代に知り合ったユダヤ系アメリカ人の詩人マリリン・ハッカーと結婚し一女を儲けた。
『ベータ2のバラッド』『エンパイアスター』などの初期の中編は、当時エース・ブックスから出ていた、2作を1冊にまとめたエース・ダブルというシリーズで出版された。23歳のときに第7作として発表した『バベル‐17』がネビュラ賞を受賞して、一躍注目されるようになった。23歳の頃に自殺衝動に駆られて精神病院に入院、退院後にはニューロークで「天国の朝食」というヒッピー・コミューンに参加し、また同名のロックバンドで演奏活動を行う。1967年に自伝的要素と神話の統合という試みを行った長編『アインシュタイン交点』、及び短編「然り、そしてゴモラ」でネビュラ賞を受賞した。1968年には中編「時は準宝石は螺旋のように」でヒューゴー賞とネビュラ賞をダブル受賞。
1970年から妻のマリリン・ハッカーと共同編集で、スペキュレイティブ・フィクションのアンソロジー「クォーク (Quark)」を、71年まで4冊を刊行、自身の新しいSF観を打ち出した。1974年にレズビアンの妻であるマリリン・ハッカーと離婚。
70年代から90年代にかけてはノンフィクションや文学批評も数多く手がけ、1979年から87年には剣と魔法小説「ネヴェリヨン」シリーズも執筆。1975年に刊行された大作『ダールグレン』はSF界内外から高い評価を受けて70万部のベストセラーとなる。この年からレスリー・フィードラーの推薦でニューヨーク州立大学の講師となり、続いてウィスコンシン大学、コーネル大学などで教鞭をとり、2000年からはテンプル大学で英米文学と創作の専任教授となる。
2007年にはフレッド・バーニー・テイラー監督による映画『博識の人、またはサミュエル・R・ディレイニー氏の人生と意見』が公開。2010年にはジェイ・シャイブが『ダールグレン』を脚色した演劇『都市の破壊者ベローナ』を、前衛劇場ザ・キッチンで上映した。
作品
小説
- アブターの宝石 The Jewels of Aptor 1962年
- Out of the Dead City (Captives of the Flame) 1963年
- The Tower of Toron 1964年
- City of a Thousand Suns 1965年
- ベータ2のバラッド The Ballad of Beta-2 1965年
- エンパイア・スター Empire Star 1966年
- バベル‐17 BABEL-17 1966年
- アインシュタイン交点 The Einstein Intersection 1967年
- ノヴァ Nova 1968年
- 時は準宝石の螺旋のように Driftglass 1971年 - 短編集。表題作の原題は Time Considered as a Helix of Semi-Precious Stones
- The Tides of Lost 1973年
- ダールグレン Dhalgren 1975年
- Triton 1976年
- Empire 1978年 - ハワード・V・チェイキンとの合作コミック
- プリズマティカ Distant Stars 1981年 - 短編集。「エンパイアスター」を含む
- Stars in My Pocket Like Grains of Sand 1984年
- The Mad Man 1994年
- Hogg 1995年
- Bread & Wine 1999年 - グラフィック・ノベル。イラストはミア・ウルフ
- Phallos 2004年
- 暗い思考 Dark Reflections 2007年
The Return to Neveryonシリーズ
- Tales of Neveryon 1979 (短篇集)
- Neveryona 1983
- Flight from Neveryon 1985
- The Bridge of Lost Desire 1987
評論
- 宝石蝶番の顎 The Jewel-Hinged Jaw 1977年
- アメリカの岸辺 The American Shore 1978年
- 右舷のワイン Starboard Wine 1984年
- メッシナ海峡 The Straits of Messina 1989年
- 長めの考察 Longer Views 1996年
- 『サイボーグ・フェミニズム』ダナ・ハラウェイ,ジェシカ・アマンダ・サーモンスンとの共著。「読むことの機能について、ダナ・ハラウェイ「サイボーグ宣言」を中心に」を収録。Reading at Work and Other Activities Frowned-on by Authority : a reading of Donna Haraway's "A Manifesto for Cyborgs"
自伝・エッセイ
- 天国の朝食 Heavenly Break First 1979年(回想録)
- In The Once Upon A Time City 1984年(エッセイ)
- 水にゆらぐ光 The Motion of Light in Water 1988年(自伝)
- 静かな対話 1994年(インタビュー集)
アンソロジー
Quark(マリリン・ハッカーとの共編)
- Quark 1 1970
- Quark 2 1970
- Quark 3 1971
- Quark 4 1971
作品について
- ディレイニーが『アプターの宝石』を投稿したのは、当時エース・ブックスに勤務していた妻の勧めによる。投稿時のペンネームはブルーノ・コロブロだった。『バベル-17』の主人公リドラも妻をモデルにしているといい、冒頭でマリリンの詩が引用されている。
- 『アインシュタイン交点』の作中におけるゲーデルの不完全性定理についての説明が間違っていることは、後に本人も認めている。
受賞歴
- バベル‐17 - 1966年ネビュラ賞長編部門
- アインシュタイン交点 - 1967年ネビュラ賞長編部門
- 然りそしてゴモラ - 1967年ネビュラ賞短編部門
- 時は準宝石の螺旋のように - 1969年ネビュラ賞中短編部門、1970年ヒューゴー賞短編部門
- バベル-17 - 1975年ローカス賞オールタイムベストSF 36位
- 1977年ローカス賞オールタイムベストSF作家 16位
- ダールグレン - 1987年ローカス賞オールタイムベストSF 23位
- 1986年ピルグリム賞(文学批評の業績に対して)
- The Motion of Light in Water - 1989年ヒューゴー賞ノンフィクション部門
- 1993年ウィリアム・ホワイトヘッド賞(長年のゲイ&レズビアン文学への貢献に対して)
- 暗い思考 - 2008年ストーンウォール賞
脚注
参考文献
外部リンク
- Bread & Wine: An Erotic Tale of New York(宮脇孝雄による Bread & Wine 解説)