カニカニ銀
カニカニ銀(かにかにぎん)は将棋の戦法のひとつ。急戦矢倉の一種[1]で、主に先手番で用いられる。奇襲戦法に分類されることもある[2]。考案者は棋士の児玉孝一で、[3]2003年の第30回将棋大賞・升田幸三賞受賞戦法となった[4]。
概要
歴史
二枚銀急戦矢倉に似通った点があり、青野照市は富沢幹雄らが好んで用いていた急戦矢倉の二枚銀戦法にカニカニ銀の源流があるのではと推測したことがあり[5]、児玉もカニカニ銀は二枚銀急戦矢倉を母体にしたものとしている(しかし、全く違う戦法になってしまったともしている)[6]。戦法の命名者は森信雄で[7][8][9]、動き回る銀をカニに例えた、あるいは2枚の銀をカニのハサミに例えたことに由来する。
指し方
飛車の活用の自由度の高さと[10]、急戦矢倉の中でも多彩な攻め筋を持つことが特長。二枚銀急戦矢倉とは異なり、玉と金を初期位置から一切動かさない(居玉)[11]。5手目は▲6六歩ではなく▲7七銀と上がる[12]。飛車先不突矢倉は採用せず[13]、飛車先を2五まで伸ばし後手に△3三銀を指させてから、右銀を▲4八銀〜▲5六歩〜▲5七銀〜▲4六銀と活用させる[14]。その後、後手が5筋の歩を突いてくれば、▲5八飛と中飛車に振ってから▲9七角〜▲6六銀〜▲7七桂と布陣するのが一例で、敵陣の中央突破を目指す[15]。当初は後手が漫然と△3二金と上がる実戦例が多かったが、先手の中央突破を防ぐことが難しいため、△5二金右とあらかじめ備える指し方が多くなったという[16]。
中央からの攻めを狙う場合は▲3六歩と3筋の歩を突くのは自玉の傷になりやすく、攻めも遅れる為、悪手になることが多い[17]。
後手が中央からの猛攻を警戒して、5筋の歩を受けずに争点を作らせないようにしてきた場合、▲3六歩〜▲3五歩と右銀を早繰り銀調に使い、角は▲7九角と引き角にする[18]。通常の早繰り銀とは違い、銀が3五まで進出しても、銀交換を焦らずにプレッシャーをかけながら、時期を伺う[19]。
後手の飛車先交換に対しては向かい飛車等から飛車交換を狙うのも1つの狙いで[20]、居玉だが一段金なので飛車交換には強い。局面によっては飛車や角を細かく動かして戦いを求めることも大事である[21]。
実戦例
森内俊之は、第41期王座戦二次予選2回戦(1992年11月20日、対・青野照市)でカニカニ銀を用い、65手で勝利。その1週間後の11月27日には児玉と森内の対局(第51期B級2組順位戦6回戦)があり、このときは、児玉のカニカニ銀を相手に森内が勝った。
羽生善治は、第82期棋聖戦(防衛戦)の第1局(2011年6月11日、対・深浦康市)で、ほぼカニカニ銀の形から攻めて勝利。盤の中央での戦いで持駒とした金・銀を相手の飛車を奪う道具として投資するという内容であった。
脚注
参考文献
- 青野照市『プロの新手28』(1989年、日本将棋連盟)
- 児玉孝一『必殺!カニカニ銀』(1992年、日本将棋連盟、ISBN 4-8197-0309-9)
- 神谷広志『奇襲虎の巻』(2003年[文庫化時のもの、当初の発行年は1994年]、毎日コミュニケーションズ)130-145頁
- 塚田泰明監修・横田稔著『序盤戦!!囲いと攻めの形』(1998年、高橋書店)
- ↑ 児玉孝一『必殺!カニカニ銀』3頁。もっとも、「もはや矢倉ではない」という表現もみられる(同書9頁)
- ↑ 神谷広志『奇襲虎の巻』130頁
- ↑ 『必殺!カニカニ銀』p.3を参照。
- ↑ 『奇襲虎の巻』225頁(文庫版発行時に追加されたあとがき)による。
- ↑ 青野照市『プロの新手28』96頁
- ↑ 『必殺!カニカニ銀』p.8を参照。
- ↑ 児玉孝一『必殺カニカニ銀』9頁。児玉本人は「最初は「変な名前を付けて・・・」と思っていたが、そのうち「ピッタリだ。雰囲気が出てる」と思うようになった。」と感想を記している。
- ↑ 「将棋世界」(日本将棋連盟)2000年1月号付録「2000年棋士名鑑」の児玉孝一の項
- ↑ 塚田泰明・横田稔『序盤戦!!囲いと攻めの形』187頁
- ↑ 『必殺!カニカニ銀』p.128を参照。
- ↑ 『必殺!カニカニ銀』p.8を参照。
- ↑ 『必殺!カニカニ銀』p.12を参照。
- ↑ 『必殺!カニカニ銀』p.12を参照。
- ↑ 『必殺!カニカニ銀』p.15を参照。
- ↑ 児玉孝一『必殺!カニカニ銀』16頁-19頁、34頁
- ↑ 児玉孝一『必殺!カニカニ銀』14頁
- ↑ 児玉孝一『必殺!カニカニ銀』92頁
- ↑ 『必殺!カニカニ銀』p.92を参照。
- ↑ 『必殺!カニカニ銀』p.105を参照。
- ↑ 『必殺!カニカニ銀』p.66を参照。
- ↑ 『必殺!カニカニ銀』p.128-129を参照。