エイジア
目次
概要
1982年デビュー。メンバー全員が、既に世界的なキャリア/知名度を得ていたミュージシャンであったため、デビューの時点からスーパーグループとして注目された。「プログレッシヴ・ロックのエッセンスをポップスとして鏤めた3分半の楽曲」というスタイルを確立し、そのスタイルにそってリリースされたファースト・アルバム『Asia(詠時感〜時へのロマン)』は数ヶ月後には全米NO.1を9週キープ[1]、全世界で1500万枚のセールスを達成。同アルバムからシングルカットされた『Heat Of the Moment』は全米ロックチャート1位、全米ポップチャートでも4位となり、商業的にも成功を納めている。アルバムデビューの時点のメンバーは、ジョン・ウェットン(vo.b/元キング・クリムゾン、ロキシー・ミュージック、U.K.)、スティーヴ・ハウ(g.vo/元イエス)、カール・パーマー(ds/元エマーソン・レイク・アンド・パーマー)、ジェフ・ダウンズ(kbd/元バグルス、イエス)。その後、幾多のメンバー・チェンジを繰り返したが、2007年にはオリジナルメンバー四人での「初来日コンサート」が、そして続く2008年にも来日を果たしている。
来歴
1970年代末から1980年代初頭、数々のプログレッシヴ・ロック・バンドの解散と、若く才能溢れるミュージシャンの台頭が契機となり、エイジア結成のプランは流動的に動き始めた[2]。
1980年にイエスからトレヴァー・ホーンが脱退し、クリス・スクワイアとアラン・ホワイトはジミー・ペイジとのバンドを結成するためにイエスを離れてしまった。イエスに残されたスティーヴ・ハウとジェフ・ダウンズはイエスの継続を断念してしまう。ここでイエスは解散。その時、イエスのマネージャーだったブライアン・レーンはジョン・ウェットンを2人に引き合わせて新バンドの結成を企画する。かつて、レーンはリック・ウェイクマンとウェットン、それにビル・ブルーフォードによるスーパー・トリオを企画したがうまくいかなかった経験があり、その時からウェットンに協力的であった[3]。そして、ウェットンとハウが一緒に曲作りをするようになり、デビューアルバムの約半分を書き上げた。当初はサイモン・フィリップスがドラマーを務めたが、その後カール・パーマーに交代、キーボードにキース・エマーソンの加入も企画されたが、結局はハウの紹介によりジェフ・ダウンズが加入して結成メンバーが集まるに至った。バンド名はレーンが提案したAsiaとなった[4]。ソング・ライティングは、アルバム制作の頃までにはウェットンとダウンズのチームが出来上がり、1982年3月8日、ロジャー・ディーンのイラストをジャケットに使ったファースト・アルバム『Asia(詠時感〜時へのロマン)』とシングル『Heat of the Moment』をリリース、上記の商業的な成功を納めた。イエスがなき後のレーンのマネージメントするバンドとして、ロジャー・ディーンのアートワークとバンド名のロゴも採用された。
翌1983年にはセカンド・アルバム『アルファ』を発表。完全にウェットンとダウンズの作曲チーム中心となり、初期の中心メンバーであるハウが作曲に参加した作品が入っていない。シングル『Don't Cry』が全米ポップチャート10位、全米ロックチャート1位となりアルバムも全米6位となる。しかし記録的ヒットを収めた『Asia』の売上の1/5ほどに留まってしまい、ツアーの観客動員数も減ってしまった。バンド内で軋轢が始まり、1983年の初来日ツアー前に、ウェットンはアルコール中毒になっていたという理由で解雇されてしまう。ウェットンの後任にグレッグ・レイクを召集し、日本の静岡県内で1ヶ月に渡るリハーサルが行なわれた[5]。
1983年12月6日から、ワールドツアーが日本より開始され、日本国内では4公演が開催された。MTVの企画で、同年12月7日の日本武道館公演の模様をアメリカに衛星生中継するイベント『ASIA in ASIA』が行われた。この公演はアメリカ向きの放送時間に合わせて日本では平日の昼間に行われ、演奏時間も短かったため入場料は安く設定された。この模様は国内でも、テレビ神奈川(tvk)で、同日14:00-14:54に特別番組「武道館から初の衛星生中継!ASIA in ASIA 独占生中継」として一部が同時生中継された[6]。歌詞を覚えられなかったレイクはツアー中、テレプロンプターのモニターに表示される歌詞を見ながら歌うことになった。レイクの声域の方がウェットンより低いため、楽曲のキーを半音下げるなど苦労し、結果的にぎくしゃくとした演奏形態になってしまった[7]が、来日公演は無事に終了した。
後に、MTVで日本武道館から衛星生中継した番組の『ASIA in ASIA』の模様は『エイジア・イン・エイジア/ライブ・イン・武道館』としてビデオ化されビデオテープ、レーザーディスクで市販された。
1984年にはウェットンが復帰した。しかし、ウェットンとハウとの仲がうまくいかず、サードアルバムのリハーサル中に今度はハウが脱退。10ヶ月以上のオーディションを費やした後[7]、ハウの後任のギタリストにはウェットン主導の人事でマンディ・メイヤーが参加している。25曲録音した中から10曲を厳選し1985年にサード・アルバム『アストラ』を発表する。このアルバムは日本ではオリコン15位を記録するが、全米では67位、シングル『Go』は全米ロックチャート7位、全米ポップチャート46位にとどまり、これまでの巨大な成功とは程遠いものとなった。ウェットンは「なぜ急に売れなくなったのかわからない、あれだけの作品で売れなければ今後何を作ればいいんだ」と語り、失意の元、マネージメントのレーンから解雇され、バンドの活動は凍結、事実上の解散状態となった。
1989年に、当時ゲフィン・レコードのA&Rであったジョン・カロドナーの提案で再結成を実現するが、1989年の時点でハウはABWHに参加していたこともあり合流しなかった。A面5曲が過去のヒット曲を並べたベスト盤、B面4曲が未発表曲という変則アルバム『ゼン・アンド・ナウ』も発表する。ギターパートは、スティーヴ・ルカサー(TOTO)やスコット・ゴーハム(元シン・リジィ)などのサポート・メンバーが担当、ドラムに関しても録音時期にスリーの活動を行っていたためパーマーが参加していない曲がある。ギタリストはツアーにあたってパット・スロールを迎えた。日本ツアーは成功を収め[8]、モスクワで収録されたライブアルバム『ライブ・モスクワ』をリリースした。しかし、アメリカでのツアー日程が組めず、懐メロバンドとしての需要しか求められていないと感じたウェットンはソロ契約を得たこともあり、南米ツアーの後脱退する。スロールも同時期に脱退した。
その後、ダウンズはジョン・ペイン(元エレクトリック・ライト・オーケストラ)を加入させて活動を続けたが、バンド形態というより「ジェフ・ダウンズのソロプロジェクト」の色彩が強まって行き、ジェフとペイン以外はゲスト・アーティストの参加による演奏が多くなり、ツアーに参加するメンバーも非常に流動的なものとなる[9]。ハウはアルバム『AQUA』に参加しているが、その後のツアーにはゲストとしての参加に留まり、再びエイジアから離れ、イエスの活動に戻っていった。ペインとダウンズ体制としてのアルバム『Silent Nation』では、それまでアルバムジャケットのアートワークを手がけていたロジャー・ディーンを起用せず、一連のアルバムのタイトル(一部のベストアルバムなどを除く)もバンド名と同様に「A・・・A」というタイトルで通してきたそれまでの法則が崩れている。
しかし2000年代中ごろ、ウェットンとダウンズが偶然の再会から共演アルバムのレコーディングをはじめ、2005年4月には"ウェットン/ダウンズ(Wetton/Downes)"名義でアルバム『アイコン(iCon)』を発表。このころからこの二人を中心にオリジナルメンバーでのエイジア再結成に向けた話し合いが行われ、2006年4月にはダウンズがペインとのパートナーシップを解消する旨を発表。同時にオリジナル・ラインナップ(ウェットン、ダウンズ、ハウ、パーマー)でのアルバム制作・コンサートツアーを実施する方向であることも正式に発表された[10]。
ウェットン/ダウンズはその後も2006年にライヴアルバム『アイコン・ライブ(iCon Live~Never In A million years)』、『ルビコン(iConII)』(2006年10月)をリリースした。二人はスティーブ・クリスティ、ジョン・ミッチェルを加えたアイコンバンドでのツアーと前述の再結成エイジアでのツアーを平行して行っており、アイコンバンドが先に来日を果たしたが、再結成エイジアも2006年中に全英及び全米ツアーを終え、翌年3月にはオリジナル・ラインナップでは初となる来日ツアーを果たしている。ハウとパーマーを加えたエイジアとしてのアルバムは2008年4月に「PHOENIX」としてリリースされた。ジャケットのアートワークは再びロジャー・ディーンが担当している。2010年には同じメンバー、同じくロジャー・ディーンのアートワークでの新作『オメガ (Omega)』が発表されている。
同時期にエイジアは、ハウの参加しているイエスとのジョイント・ライヴ(エイジアが前座の扱い)を行い、ハウがどちらのバンドでも演奏するという形態でのツアーが行われている。
2010年7月にはロンドンで行われたイベント「ハイ・ヴォルテージ・フェスティヴァル」に出演。
2011年に、イエスからテンプレート:要出典範囲オリヴァー・ウェイクマンに代わって、イエスの新作『フライ・フロム・ヒア』のレコーディングにダウンズが参加。今後のイエスのツアーにもダウンズが参加することが発表されている。
なお、2006年までエイジアのメンバーだったペイン、ガスリー・ゴーヴァン、ジェイ・シェレンの3人も、奥本亮(スポックス・ビアード、K2、元クリエイション)を加え新ユニットGPSを結成(バンド名は三人のイニシャルのアナグラム)。同年にアルバム『Window to The Soul』でデビューしている。ペインとゴーヴァンはプロモーションのため2007年に来日しライヴを行った。
2012年には結成30周年記念アルバム「XXX~ロマンへの回帰」をリリース。同年9月には30周年記念ジャパンツアーが開催された。
2013年1月、再度のハウの脱退、後任にサム・クールソンが参加することが発表され、メンバーチェンジ後の初ライヴが同年6月5日にイギリスのミルトン・キーンズに行なわれた。 この編成にて録音されたアルバム「グラヴィタス~荘厳なる刻(そうごんなるとき)」 [11] が2014年3月にリリースされている。
もうひとつのエイジア
ダウンズは1989年に脱退したウェットンの後任としてペインを迎え、エイジアの名義でアルバムを発表していた。しかし、2006年にダウンズはオリジナル・メンバーを集結させたエイジアの活動を再開するにあたり、ペインらの現行のエイジアのメンバーたちは「脱退」を余儀なくされてしまった。そこでペインらはGPSとしてのデビューアルバム『Window to the Soul』を制作し、エイジアの次のアルバム用に作られていた『Architect of Time』のための楽曲をこの中で使用している。2007年、オリジナルメンバーで活動を再開しているエイジアの4人の合意を得て、ペインらは ASIA featuring John Payne と名乗り、「初期から現在までの全ての曲」を演奏するエイジアとして活動している。2007年にはアルバム「Extended Versions」を発表した。このアルバムは2012年に「Risen Sun」とタイトルを変更して再発売されている。2009年のツアーでは、ギタリストがミッチ・ペリー、キーボードがエリック・ノーランダーとなり、2012年にはギタリストがジェフレイ・コールマンに交代した。2014年にトリビュート・アルバム「Recollections: A Tribute to British Prog」を発表した。
メンバー
オリジナルメンバー
途中加入のメンバー、ゲスト
- グレッグ・レイク "Greg Lake"(ボーカル・ベース):1983年にイベント『ASIA in ASIA』のみ参加。1992年4th『AQUA』にも"Love Under Fire"作曲でのみ参加(元キング・クリムゾン、エマーソン・レイク・アンド・パーマー)。
- マンディ・メイヤー "Mandy Meyer"(ギター):1983年参加、2代目ギタリスト。1986年バンド活動休止ののちは不参加(後に、カトマンドゥ、ゴットハードへ加入)。1990年発売された『Then&Now』にも音源"Am I In Love"が残る。
- ダン・ハフ "Dan Huff" (ギター):1987年ウェットンがエイジア名義で参加した映画「オーバー・ザ・トップ」のサウンドトラック収録曲"Gypsy Soul"に参加。アメリカのメロディアス・ハードロックバンドGIANTの中心メンバー。
- ジョルジオ・モロダー "Giorgio Moroder"(キーボード/プログラミング) :同上。
- ジョン・ヤング "John Young"(キーボード):89年再結成時のドイツツアーに参加。元エンパイア、イングランド。2000年にパーマーとウェットンが結成したバンド"Qango"にも参加。
- アラン・ダービー "Alan Darby"(ギター):89年再結成時2回行われたドイツツアーのうち1回目でプレイ。元ファッション。セッションプレイヤーとしてのちにエリック・クラプトンらとも共演。
- ホルガー・ラリッシュ "Holger Larish"(ギター):アラン・ダービーの後任としてドイツでオーディションを受け、89年再結成時2回目のドイツツアーに参加。
- ゾー・ニコラス"Zoe Nicholas"とスージー・ウェッブ"Susie Webb"(女声コーラス):1989年のドイツツアーに参加。両名とも前年のウェットンのソロ・ツアーに参加していた。
- ロン・コミー "Ron Komie"(ギター):1990年『Then&Now』中"Prayin' 4 A Miracle"に参加。
- スコット・ゴーハム "Scot Goham"(ギター):『Then&Now』"Summer (Can't Last Too Long)"に参加。元Thin Lizzy。
- スティーヴ・ルカサー "Steve Lukather"(ギター):『Then&Now』"Days Like These"に参加、TOTOの中心メンバー。
- ガイ・ローシェ "Guy Roche" (キーボード/プログラミング) :『Then&Now』中"Days Like These"と"Prayin' 4 A Miracle"の一部でシンセサイザーで参加。両曲のほかの部分はジョン・ウェットンがハモンドオルガンとシンセサイザーを演奏。
- パット・スロール "Pat Thrall" (ギター):1990年『Then&Now』ツアーに参加、3代目ギタリスト。ライヴ・イン・ノッティンガム、ライヴ・イン・モスクワにも出演。のちに脱退。米カリフォルニア州サンフランシスコ出身。(元パット・トラヴァーズ・バンド、ヒューズ/スロール)
- アル・ピトレリ "Al Pitrelli"(ギター):1992年『AQUA』より参加。正式加入としては4代目ギタリスト(後にサヴァタージ、メガデスへ加入)。
- マイケル・スターギス(スタージス) "Michael Sturgis"(ドラム):『Then&Now』にサポートドラマーとして参加。次作『AQUA』で正式参加。1997年『Best Of Asia ~ANOSOLOGY 1982-1997』の新曲・再録曲にも参加。
- サイモン・フィリップス "Simon Phillips" (ドラム):4Th『AQUA』にサポートドラマーとして参加(スタジオミュージシャン/セッションプレイヤー。後にTOTOへ加入)。
- ジョン・ペイン "John Payne" (ボーカル・ベース、リズム・ギター):4th『AQUA』より加入。正式なベース兼ヴォーカルとしてはジョン・ウェットンに替わる2代目。以降2006年まで、ジェフ・ダウンズ主導となったバンドで大きな役割を果たしていく。『Best Of Asia ~ANOSOLOGY 1982-1997』では「サ・ハンター」など数曲でリード・ギターも披露。80年代末ごろにデイヴィッド・アーデン[12]の誘いでベヴ・ベヴァン主導のELOに短期間在籍。名称使用権の問題や、プロデューサーのジム・スタイマンとの意見の相違でバンドの活動が妨げられる中単身帰英。直後にジェフ・ダウンズからエイジア参加を要請される。ベヴァンのグループはのちにElectric Light Orchestra Part.2として活動していく。[13]
- アンソニー・グリン "Anthony Glynne" (ギター):『AQUA』にサポートギタリストとして参加。
- ヴィニー・バーンズ "Vinny Burns" (ギター):英国のハードロックバンドDAREのメンバー。『AQUA』のコンサートツアーに参加(後にTENへ加入)。
- イアン・クライトン "Ian Crichton" (ギター)
- アジス・イブラヒム "Aziz Ibrahim" (ギター):『ARENA』ほかに参加。
- 布袋寅泰(ギター):1996年『ARENA』に参加。
- エリオット・ランドール "Elliot Randall" (ギター):『ARENA』に参加。ロック、ジャズを問わず幅広く活躍する人気ギタリスト。
- ナイジェル・グロックラー "Nigel Glockler" (ドラムス):1991年『AQUA』用に録音されたが採用されず、未発表音源集『ARCHIVA1』で発表された「Heart Of Gold」に参加。元サクソン、87年にはGTRにも参加。2005年サクソンに復帰。
- トニー・レヴィン "Tony Levin"(ベース):2001年『AURA』にゲストとして参加。キング・クリムゾンなどで知られるプログレの大御所の一人。
- ヴィニー・カリウタ "Vinny Colaiuta"(ドラム):『AURA』にゲストとして参加。バークリー音楽院出身でフランク・ザッパバンドからキャリアをスタートさせたベテラン。チック・コリアやハービー・ハンコック、メガデスなどのアルバム、ツアーにも参加するなど、ジャズ/フュージョンからロックのフィールドまで幅広く活躍している。
- ルイス・ジャーディム "Luis Jardim" (パーカッション)
- ガスリー・ゴーヴァン "Guthrie Govan" (ギター):元音楽学校講師で、2001年当時同じ音楽学校のドラム科講師だったマイケル・スタージスの誘いで『AURA』セッションに参加。2004年『Silent Nation』に参加。ジョン・ペインらとGPSを結成。
- クリス・スレイド "Chris Slade" (ドラム):2004年『Silent Nation』に参加(元AC/DC、ユーライア・ヒープ、ザ・ファーム)。
- ジェイ・シェレン "Jay Schellen" (ドラム):『Silent Nation』製作中にジョン・ペインらと知り合い、2005年スレイドの脱退に伴い加入(元ハリケーン、バッドフィンガー、のちにジョン・ペインらとGPSを結成)。
- フィル・マンザネラ(ギター):一時期、ウェットン、パーマーによるエイジア名義のライヴに参加。ウェットンと連名のアルバムも発表している。
- ドン・エイリー(キーボード):一時期、ウェットン、パーマーによるエイジア名義のライヴに参加。元・コロシアムII、現・ディープ・パープル。
- ロビン・ジョージ(ギター、ボーカル):一時期、ウェットン、パーマーによるエイジア名義のライヴに参加。マグナム (バンド)のツアーや、シン・リジィのフィル・ライノットとのセッションの経験がある。また数枚のソロ・アルバムを発表している。
- サム・クールソン"Sam Coulson"(ギター):2013年、脱退したスティーヴ・ハウに代わって参加。
メンバーの変遷
年 | ボーカル・ベース | ギター | キーボード | ドラムス | |
---|---|---|---|---|---|
1981 - 1982 | ジョン・ウェットン | スティーヴ・ハウ | ジェフ・ダウンズ | サイモン・フィリップス | |
1982 - 1983 | ジョン・ウェットン | スティーヴ・ハウ | ジェフ・ダウンズ | カール・パーマー | |
1983 - 1984 | グレッグ・レイク | スティーヴ・ハウ | ジェフ・ダウンズ | カール・パーマー | |
1984 | ジョン・ウェットン | スティーヴ・ハウ | ジェフ・ダウンズ | カール・パーマー | |
1984 - 1985 | ジョン・ウェットン | マンディ・メイヤー | ジェフ・ダウンズ | カール・パーマー | |
1985 - 1989 | 解散中 | ||||
1989 | ジョン・ウェットン | パット・スロール | ジェフ・ダウンズ ジョン・ヤング |
カール・パーマー | |
1989 - 1992 | ジョン・ペイン | ジェフ・ダウンズ | |||
1992 - 1994 | ジョン・ペイン | アル・ピトレリ | ジェフ・ダウンズ | ||
1994 - 1996 | ジョン・ペイン | アジス・イブラヒム エリオット・ランドール |
ジェフ・ダウンズ | ||
1996 - 2004 | ジョン・ペイン | ジェフ・ダウンズ | |||
2004 - 2005 | ジョン・ペイン | ガスリー・ゴーヴァン | ジェフ・ダウンズ | クリス・スレイド | |
2005 - 2006 | ジョン・ペイン | ガスリー・ゴーヴァン | ジェフ・ダウンズ | ジェイ・シェレン | |
2006 - 2012 | ジョン・ウェットン | スティーヴ・ハウ | ジェフ・ダウンズ | カール・パーマー | |
2013 - | ジョン・ウェットン | サム・クールソン | ジェフ・ダウンズ | カール・パーマー |
ディスコグラフィー
オリジナル・スタジオアルバム
- 詠時感〜時へのロマン (1982)
- アルファ (1983)
- アストラ (1985)
- アクア (1992)
- 天空のアリア (1994)
- アリーナ (1996)
- オーラ (2001)
- Armada 1 (2002) --- ファン・クラブ向け限定盤
- サイレント・ネイション (2004)
- フェニックス (2008)
- オメガ (2010)
- XXX〜ロマンへの回帰 (2012)
- グラヴィタス~荘厳なる刻 (2014)
ライヴ録音アルバム
- Live Mockba 09-X1-90 (1991, Live in Moscow)
- Now - Live in Nottingham (1997)
- Live in Philadelphia (1997)
- Live in Osaka (1997)
- Live in Koln (1997)
- Live at the Town & Country Club (1999)
- Live Acoustic (1999)
- Alive in Hallowed Halls (2001)
- Asia / Boston: Winning Combination (2001)
- Asia Enso Kai (Live in Tokyo) (2001)
- Alive in Hallowed Halls (2001)
- America: Live in the USA (2002)
- Quadra (2002)
- Live at Budokan (2002)
- Bedrock in Concert (2002)
- Dragon Attack (2003)
- Live in Buffalo (2003)
- Live in Massachusetts '83 (2004)
- Live in Hyogo (2004)
- Different Worlds Live (2005)
- Extended Versions (2007)
- ファンタジア〜ライヴ・イン・トーキョー2007 (2007)
- Asia - Live Around the World (2010)
- Spirit of the Night - Live in Cambridge 09 (2010)
- The Omega Tour Live (2011)
- Resonance - The Omega Tour 2010 (2012)
コンピレーション・アルバム
- オーロラ (1986) 4曲入り、日本盤のみ
- ゼン・アンド・ナウ (1990)
- Archiva Vol. 1 (1996)
- Archiva Vol. 2 (1996)
- Archives: Best of 1988-1997 (1997)
- Anthology - The Best of Asia 1982-1997 (1997)
- John Wetton - Geoff Downes - Asia (1997)
- Axioms (Asia album)|Axioms (1999)
- The Very Best of Asia: Heat of the Moment (1982-1990) (2000)
- The Collection (2000)
- The Best of Asia Live (2000?)
- Anthologia (2002)
- Classic Asia - Universal Masters Collection (2002)
- 20th Century Masters - The Millennium Collection: The Best of Asia (2003)
- History of Asia (2004)
- Gold (2005)
- Definitive Collection (2006)
DVD
- ライヴ・イン・モスクワ1990 LIVE IN MOSCOW 1990
- アンドロメダ〜エイジア・ライヴ1990 ANDOLOMEDA
- Fantasia - Live In Tokyo20073/8新宿公演
VHS/LD
- ライブ・イン・武道館/エイジア・イン・エイジア ASIA IN ASIA
- 1983年12月7日の日本武道館でのコンサートが、アメリカのMTVによって衛星生中継された時のライブ映像(時差の関係でアメリカでは同年12月6日放送)。VHSビデオ・テープ及びレーザーディスクで発売された。解雇されたジョン・ウェットンに代ってグレッグ・レイクがベースとボーカルを担当している。
日本公演
- 1983年 ASIA in ASIA
- 12月6日 - 8日 日本武道館
- 12月9日 大阪城ホール
- 1990年
- 1992年
- 6月5日、6日 NHKホール (スティーヴ・ハウがゲスト参加)
- 1994年
- 6月15日 名古屋市公会堂
- 6月17日 東京厚生年金会館
- 6月19日 ゆうぽうと簡易保険ホール
- 6月21日 フェスティバルホール
- 2007年 The All Four Original Members of ASIA Japan Tour
- 3月4日 愛知県勤労会館
- 3月5日 大阪厚生年金会館 大ホール
- 3月7日、8日 東京厚生年金会館 大ホール
- 3月9日 - 11日 渋谷C.C.Lemonホール
- 2008年 The All Four Original Members of ASIA Japan Tour
- 5月8日 福岡市民会館
- 5月9日 大阪厚生年金会館 大ホール
- 5月11日 中京大学文化市民会館 オーロラホール
- 5月12日 東京国際フォーラム ホールA
- 5月13日 渋谷C.C.Lemonホール
- 2010年 The All Four Original Members of ASIA The Omega Tour
- 5月13日 渋谷C.C.Lemonホール
- 5月14日 渋谷C.C.Lemonホール
- 5月15日 神奈川県民ホール
- 5月17日 大阪国際会議場
- 5月18日 名古屋市公会堂
- 2012年 The All Four Original Members of ASIA xxx Tour(30th Anniversary Japanese Tour)
- 9月24日 渋谷公会堂(命名権契約満了に伴い2011年より渋谷C.C.Lemonホールから元の名前に戻る)
- 9月25日 渋谷公会堂
- 9月26日 サンケイホールブリーゼ
- 9月27日 Zepp Nagoya
- 2014年 ASIA Live in Japan 2014
- 6月17日 Zepp Nagoya
- 6月18日 サンケイホールブリーゼ
- 6月19日 渋谷公会堂
- 6月20日 渋谷公会堂
関連項目
- プログレッシブ・ロック
- スタジアム・ロック
- スーパーグループ
- バグルス
- イエス
- エマーソン・レイク&パーマー
- キング・クリムゾン
- GTR
- Wetton/Downes
- GPS
- ジョン・カロドナー
- MTV
- ロジャー・ディーン
外部リンク
脚注
- ↑ 1982年5月15日と22日付けで1位。その後3週間はポール・マッカートニーのタッグ・オブ・ウォーが1位となったが、6月19日付けで返り咲き、7月31日付けまで7週間1位を続けた(w:en:Number-one albums of 1982 (U.S.)を参照)。
- ↑ リック・ウェイクマンのアルバム「罪なる舞踏」の2003年リマスター盤CDに収録されたライナーノーツによると、1980年頃にゲフィン・レコードから「リック・ウェイクマン、ジョン・ウェットン、カール・パーマー、トレヴァー・ラビンでバンドを結成して欲しいという打診があった。実現には至らなかったが、同ライナーノーツではこの構想が後にエイジアに繋がったとされている。しかし、この件についてはウェイクマン本人もブライアン・レーンも全面否定している。トレヴァー・ラビンによると、ラビンはキース・エマーソンとエイジアを結成するという案もあったようである。
- ↑ 当時、ウェットンはレーンの秘書と結婚していた。
- ↑ その他、結成メンバーの他に候補として挙ったアーティストは、ロイ・ウッド、アラン・ホワイト、トレヴァー・ラビン、ロバート・ベリーなど。
- ↑ この時期に近くでガス爆発事故があったが、バンドには影響はなかった。
- ↑ 司会は(当時の)テレビ神奈川の番組「ファンキートマト」の植田芳暁。ゲストは白井貴子。生中継の公演の模様が14:05頃-14:38頃迄放送された。その後、ニューヨークでMTVでの生中継の模様を観ている日野皓正の国際電話でのインタビューもあった。番組終盤の 14:45頃-14:50頃にも武道館からの生中継の模様が放送された。この特別番組の直前に放送の番組「おしゃべりトマト」でも同出演者にてエイジアの紹介がされていた)。
- ↑ 7.0 7.1 MCAビクター「アストラ」(1992年)伊藤秀世によるライナーノーツより
- ↑ この時、TBSの深夜のテレビ番組「三宅裕司のいかすバンド天国」にゲスト出演している。
- ↑ アルバム「ARENA」のレコーディングには布袋寅泰が参加している。
- ↑ 一方、ペイン体制下で制作が予定されていたニューアルバムARCHITECT OF TIMEについてはリリースが延期となってしまった。
- ↑ (Gravitas)
- ↑ ドン・アーデンの息子でシャロン・オズボーンの兄弟
- ↑ 出典:ROCK STREAM =JOHN PAYNE - GUTHRIE GOVAN (GPS) SPECIAL INTERVIEW!!= テンプレート:Ja icon