イオー・ジマ級強襲揚陸艦

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イオー・ジマ級強襲揚陸艦
USS Toripoli, LPH-10,
艦級概観
艦種 ヘリコプター揚陸艦
艦名 古戦場。一番艦は硫黄島の戦いに因む。
建造期間 1960年 - 1969年
就役期間 1961年 - 2002年
前級 ボクサー級強襲揚陸艦
次級 タラワ級強襲揚陸艦
性能諸元
排水量 基準:10,700 t
満載:18,300 t
全長 180.4 m
全幅 25.6 m
吃水 8.2 m
機関 ボイラー (42 kgf/cm²) 2缶
蒸気タービン(23,000 shp 1基
スクリュープロペラ 1軸
速力 23ノット
航続距離 10,000海里 (20kt巡航時)
乗員 個艦:685名
揚陸部隊:1,700名
兵装 50口径3インチ連装砲
※後に撤去
4基
搭載機 CH-46輸送ヘリコプター 30機
レーダー AN/SPS-40 対空捜索用 1基
AN/SPS-10 対水上捜索用 1基
AN/SPN-10 / -43 測高用 1基

イオー・ジマ級強襲揚陸艦(イオージマきゅうきょうしゅうようりくかん、テンプレート:Lang-en)は、アメリカ海軍強襲揚陸艦ヘリコプター揚陸艦: LPH)の艦級。基本計画番号は、初期型がSCB-157、後期建造艦がSCB-157A。

来歴

第二次世界大戦後、アメリカ海兵隊では水陸両用作戦におけるヘリコプターの研究に着手しており、1947年12月にはシコルスキー HO3Sを装備する実験飛行隊として第1海兵ヘリコプター飛行隊(HMX-1)が編成された。シコルスキー HO3Sの輸送力は貧弱なものであったが、1948年5月の上陸演習「オペレーション・パッカードII」においては、空母を母艦としたヘリボーンを実施して、その有用性を立証した。これを受け、1951年1月には、より強力なシコルスキー HRS-1を装備した第161海兵ヘリコプター飛行隊(HMR-161)が編成され、8月より朝鮮戦争に派遣されて実戦投入された。朝鮮半島での実績に基づいて海兵隊はヘリコプター戦力の拡充を続け、1958年3月には、上陸演習「ラントフィブエックス-58」で、2隻の空母から1個増強海兵連隊をヘリボーン揚陸するという大規模な実験を成功させた[1]

これに呼応して、アメリカ海軍でも、1958年から1961年にかけてエセックス級航空母艦の長船体型(タイコンデロガ級)3隻に所定の改装を施し、ボクサー級強襲揚陸艦として再就役させた。しかし、これらはもともと航空母艦であることから、兵員や物資の搭載能力の面で制約が大きく、例えば、「ボクサー」(LPH-4)では、排水量約27,000トンにかかわらず、兵員は約1,300名の搭載に留まっていた。このことから、ヘリコプター揚陸艦として合目的的な新設計艦として建造されたのが本級である[2]

設計

上記の通り、本級はヘリコプター揚陸艦として設計されたことから、航空母艦と同様に上甲板は全長にわたって全通したヘリコプター甲板とされており、艦橋構造物は右舷側に寄せたアイランド型とされている。一方、艦内容積の確保と船価の低減のため、船体は攻撃貨物輸送艦などに準じて幅と乾舷の大きな商船構造とされた。ヘリコプター甲板の艦首部分は舷側のフレアと一致しており、丸みを帯びていた。主機関はマリナー型貨物船と同形式で、コンバッション・エンジニアリング社(LPH-9のみバブコック・アンド・ウィルコックス社)製のボイラー2缶と、ウェスティングハウス社(LPH-10はド・ラヴァル社、LPH-12はゼネラル・エレクトリック社)製蒸気タービン1基を搭載して、1軸の推進器を駆動していた。なおマリナー型貨物船は戦後の標準設計船であり、アメリカ海軍でも攻撃貨物輸送艦「トゥレーア」およびポール・リヴィア級攻撃輸送艦として運用していたものであった[2]

ヘリコプター甲板は長さ183.6メートル×幅32.9メートルを確保して、7個のヘリコプター発着スポットが設定されており、中型のCH-46なら7機、大型のCH-53なら4機の同時運用が可能とされた。ただしヘリコプター揚陸艦であったことから、カタパルトや着艦拘束装置など固定翼機の運用設備はもたなかった。ギャラリーデッキを挟んで下方にはハンガーが設けられており、CH-46×19機またはCH-53×11機を収容できた[3]。ヘリコプター甲板とハンガーを連絡するため、左舷中央部とアイランド後方の右舷側に1基ずつのデッキサイド式エレベータが設置された。これは折りたたみ可能であり、力量は22.6トン(LPH-7, 9, 10は約20トン)であった。艦内には、ハンガーとは別に279m²の車両甲板、また1120m³の貨物搭載スペースが設けられた。元来の計画では、物資・人員の揚陸にはヘリコプターのみを使用することとされていたが、飛行不能の荒天時の運用に問題が生じたことから、最終艦「インチョン」ではLCVP上陸用舟艇2隻を艦の後部に搭載した[2]

武装としては、当初はMk.33 50口径3インチ連装速射砲が採用されており、2基はアイランド前方に、1基は艦尾右舷、もう1基は艦尾左舷に設置された。これらの3インチ連装砲はいずれも開放砲架に搭載されたが、最後の2隻のみ砲盾を備えた砲塔とされた。その後、1970年代前半に3インチ連装砲のうち2基がシースパロー発射機に換装され、1980年代には3インチ連装砲とシースパローをともに撤去してファランクスCIWSを搭載する改修が行われた[2]

配備

1961年から1970年にかけて7隻が就役した。1972年から1974年にかけては、4番艦「グアム」にAV-8Aハリアー艦上攻撃機等を搭載しての制海艦の評価試験が行われている。その後、機雷戦指揮艦(MCS-12)に改造された「インチョン」を除いて、1992年から1998年にかけて6隻が退役し、「インチョン」も2002年に退役した。

同型艦一覧
艦番号 艦名 就役 退役 由来
LPH-2 イオー・ジマ
USS Iwo Jima
1961年8月26日 1993年7月14日 硫黄島の戦い
LPH-3 オキナワ
USS Okinawa
1962年4月14日 1992年12月17日 沖縄戦
LPH-7 ガダルカナル
USS Guadalcanal
1963年7月20日 1994年8月31日 ガダルカナル島の戦い
LPH-9 グアム
USS Guam
1965年1月16日 1998年8月25日 グアムの戦い
LPH-10 トリポリ
USS Toripoli
1966年8月6日 1995年9月8日 トリポリ戦争
LPH-11 ニューオーリンズ
USS New Orleans
1968年11月16日 1997年10月1日 ニューオーリンズの戦い
LPH-12 インチョン
USS Inchon
1970年6月20日 2002年6月20日 仁川上陸作戦

エピソード

1番艦「イオー・ジマ」は、宇宙で機械船の爆発事故を起こし帰還が危ぶまれるに至ったアポロ13号を回収した船としても有名である。アポロ13号の乗組員の無事を伝えるニュースは、(無線を除いては)イオー・ジマによってもたらされた。1995年の映画『アポロ13』でも、エンディングに「イオー・ジマ」が登場した(ただし、「イオー・ジマ」はすでに退役していたため、撮影は6番艦 「ニューオーリンズ」を使用して行われた。また同映画では、「イオー・ジマ」艦長役はアポロ13号船長のジム・ラヴェル本人が演じた(カメオ出演)。

「ニューオーリンズ」は、除籍保管後の2010年ハワイ諸島沖にてRIMPAC 2010における実艦標的として用いられ、多数の砲弾と航空爆弾、及び対艦ミサイルの実弾射撃を受けた末に横転、沈没した。

参考文献

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外部リンク

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  1. テンプレート:Cite book
  2. 2.0 2.1 2.2 2.3 テンプレート:Cite journal
  3. テンプレート:Cite journal