アイスキャンディー

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緑色のアイスキャンディー

アイスキャンディーは、状の氷菓。「アイスキャンディー」は和製英語で、他にアイスキャンデーアイスバーとも呼ばれる。[[若年層には略語から派生した「アイス」と呼ばれることが多く、アイスキャンディー等の呼び名はあまり聞かれなくなった。

英語ではアイスポップ(ice pop)という名称が正しいが、カナダアメリカ合衆国では登録商標ポップシクル(Popsicle)が一般名称化している。

製法

果汁牛乳などに、砂糖などの甘味料香料着色料固形原料などを加えて、型となるアイスキャンディー成形器[1]の長軸方向の中央部に木製またはプラスチック製の棒を差し入れて凍らせたもの。固形の原料としては、果肉小豆緑豆あんなどが使われる。凍らせたあとで、溶かしたチョコレートアーモンドクリームなどに漬けて、表面を覆う場合もある。

型となる成形器の形状は円筒形もしくは直方体のものが多い。

果実バナナスイカなど)そのものに棒を差し、凍らせた菓子は、一般にアイスキャンディーとは呼ばれない。

販売方法

アイスクリームに比べ、より安価・簡単につくれ、また屋外での飲食に便利な形状から、夏の野外での小売がさかんに行われた。氷旗を立てたクーラーボックス自転車に載せ、カランカランと手でを鳴らす「アイスキャンディー売り」は、かつてどこにでも見られた夏の風物詩だった。人出の多いビーチ公園などでは、今も見かけられる。

小売店の軒先に電気式の保冷庫が置かれるようになると、最も身近な氷菓子となる。中でもコストを抑えて安価に造られたものは、駄菓子として子供達の間に定着した。

アイスキャンディーに使用される棒には「あたり」「はずれ」の焼き印が押されたものもあり、「あたり」が出るともう一本アイスキャンディーがもらえるという売り方がされることもある。

商品によっては、棒が2本刺してあり、2等分でき、2人で分けて食べたり、ひとりで2本食べたりして楽しめるものもある。これらは子供達が楽しめるよう、工夫されたものである。

現在、氷菓子の加工技術の向上によって、他にも安価で多様な形態の氷菓子が供されており、かつて程ではなくなったが、低価格帯で根強い人気商品として、今も広く販売されている。

歴史

1905年サンフランシスコの11歳の少年フランク・エパーソンが発明した[2]。寒いある日、彼はジュースに混ぜ棒を挿したまま外に放置してしまった。するとジュースが凍ってキャンディーのようになった。これがアイスキャンディーとなった。

日本では大正時代に現れた。当時、日本が統治していた台湾にもいち早く伝えられ、暑い気候の中で人気を博した。台湾語では「枝仔冰」(ギーアービン)と呼ばれ、小豆バーなどの懐かしいタイプのものも根強い人気がある。第二次大戦終結後、日本がGHQに統治されていた時代に細菌汚染防止のため添加していた抗菌剤ニトロフラゾン(薬品名フラスキン)を宣伝した「フラスキン入り」という旗を立てた自転車で1本5円で売られていた[3]

隠語

貸金業者サラ金ヤミ金など)を指す隠語として用いられることがあった。氷菓子(こおりがし)と高利貸し(こうりがし)が同じ発音であることに依る。明治時代の小説金色夜叉に、高利貸しを「アイス」と呼ぶ記載がある。しかしアイスの普及や他種の氷菓子の普及によって、昭和30年ごろにはすでに死語と化していた。[4]

脚注

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参考文献

関連項目

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  • 意匠分類定義カード(C6) 特許庁
  • The Kids Hall of Fame
  • テンプレート:Cite journal ja-jp
  • 「飲食事典」本山荻舟 平凡社 p1 昭和33年12月25日発行