かつみ・さゆり

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
かつみ♥さゆりから転送)
移動先: 案内検索

テンプレート:未検証 テンプレート:Ambox-mini テンプレート:特殊文字 テンプレート:Infobox お笑いコンビ

かつみ♥さゆりは、太平かつみ尾崎小百合による日本夫婦漫才コンビ。所属事務所よしもとクリエイティブ・エージェンシー東京本社。愛称「かつさゆ」。

プロフィール

コンビ結成の経緯

太平かつみは、1984年8月に「トラコ&与作」の与作と「太平かつみ・ひろみ」を結成。1985年月亭八方の弟子であったきびのだんご(本名:前谷正弘)とともに漫才コンビ「どんきほ〜て」として活躍していたが、だんごが妻の父が経営するディスカウントチェーン店『ジャパン』に(いわゆる後継ぎとして)入社するために引退しコンビは解散。

その後、中田カウスの勧めにより、妻である小百合とともに漫才コンビを結成。小百合が髪飾りを自分で引っ張る「あ~ボヨヨ~ン」のギャグで人気を不動のものにする。なお、かつみ♥さゆりの結婚披露宴の媒酌人は六代桂文枝夫妻が務めた。

人物・エピソード

太平かつみ

財テク

かつみの財テクの出発点は、25歳のときに買ったマンションである。当時、その物件を2680万円で購入したが、近くに大阪ドームができることになり、付近に地下鉄が敷設されるなどしたためマンションの資産価値が上がり、半年後には8000万になったという。

その後かつみは、三和銀行(現・三菱東京UFJ銀行)の行員から「かつみさんの所有するマンションが8000万になったので、うちから1000万借りて頂けませんか?」と頼まれ、その1000万を元手に大学の先輩である株のデイーラーからのアドバイスを受けて株投資を始めた。当初は順調に資産が増え、25歳から28歳までの間で3億円を手にし、フランス人女性とも付き合った。

そして、日経平均が4万円に達しそうな頃、湾岸戦争が勃発。かつみは3億を元手に9億の金を動かす信用取引の大勝負に出たが、相場はかつみの予想したとおりには行かず大暴落(バブル崩壊)。かつみは4億7000万円の大損を被り、1億7000万の借金を背負うことになった。すると途端に周囲の人間の様子が変わり、フランス人の彼女には逃げられ、芸人仲間も遠ざかっていった。この頃に、現在の公私にわたる相方であるさゆりと出会ったという。しかしその後も「絶対上がる」「絶対儲かる」と言って購入したインド株が暴落、さゆりに「絶対、絶対って言っていたのに!」と罵られた。

財テクにまつわる不運

上記のとおり、かつみの趣味は株式投資で一時は億単位の貯金があったが、金銭感覚が麻痺してしまい、バブル崩壊期に日経平均株価先物で1億7千万の借金を背負うことになった。他にも連帯保証人になっていた債務が回って来たりなどで最大額は11億7000万円に達したという。

その後、かつみは借金返済のために株式だけでなく商品先物や店舗経営(100円ショップ“ピコピコドン”他)をしたり、近年ではライブドア株も購入したが、いずれも結局大損している。

他にも投資目的で綾波レイの等身大フィギュアを購入したり、飲み屋を経営したりしたが、飲み屋は実は酒が飲めないために失敗。また、オオクワガタマンチカンの繁殖を試みたこともあるが、オオクワガタの繁殖はさゆりがコバエ退治のために誤ってバルサンを炊いたことにより失敗。マンチカンは預けていたさゆりの母親に無断で去勢手術を施され繁殖ができなくなり、母親のもと愛猫として幸せに暮らしているという。

2007年には起死回生を狙い、新たにラーメン店経営に着手。11月1日たむらけんじの「炭火焼肉たむら」2号店と同日)、かつみがオーナーを、さゆりの兄(開店に向け3か月間有名ラーメン店で修行した)が店長を務めるラーメン店「ボヨヨンラーメン ウマインジャー」を大阪市都島区にオープン。さゆりが自分の部屋をイメージして手がけた内装は、ピンクを基調とした壁紙にハート型の鏡やシャンデリア、『暮らしカルマガジン みかさつかさ』で当時共演していた秋野暢子が描いた絵画などが飾られ、通常のラーメン店のイメージとは一線を画したものとなっている。本人曰く、「(さゆりの部屋に来てもらうというイメージでデザインしたら)ラブホみたいになってもーた」とのこと。また店の看板も、かつみが手書きしたイメージを元に看板屋にデザインしてもらうようさゆりに頼んでいたが、さゆりが看板屋に「これで作ってください」と頼んでしまったため、ロゴがデザインされることなく、かつみが手書きしたままの文字となってしまった。

店の経営はさゆりの兄に任せていたが、売上低迷と併せて募集に来たアルバイトをほぼ全員採用(日本語が話せない外国人含む)するなど経営の杜撰さがあらわになり、メロンパン販売で人気回復を目論むも裏目に出て、2008年6月末をもって閉店。その後、2008年11月13日より、千葉県千葉市にあるショッピングモールOne's Mall内にある「ラーメン劇場」で同名のラーメン店を営業していたが、こちらも2009年1月末で閉店。なおメロンパン生地とラーメンのネット通販は、閉店後も引き続き行われていた。

2012年4月28日にはスイーツ食べ放題店「ボヨヨンスイーツガーデン」を道頓堀中座くいだおれビルにオープンさせた。今回は店を経営のプロに見てもらっており、2013年10月現在、「ボヨヨンラーメン ウマインジャー」の7ヶ月間を超え、最長となる1年6ヶ月間続いている[1][2]

かつみはサウナ大好き

痛快!明石家電視台』(毎日放送)の収録日当日、本来出演予定だった中川家がマネージャーの連絡ミスにより大阪に来られなくなり、番組スタッフが代役を探していたところ、かつみ・さゆりのスケジュールが空いていた。さゆりとはすぐ連絡が取れたが、かつみとはどうしても繋がらなかった。さゆりが長年の勘で「サウナに行っているのでは」と言い出し、番組スタッフが大阪市内にあるサウナにかたっぱしから電話したところ、かつみが見つかり、無事収録に間にあった。

尾崎小百合

神戸市で電気店を営む両親の下に生まれる。兄が一人居る。

小百合と音楽

さゆりは3歳からピアノを習っていた。テンプレート:要出典範囲

ミスコン荒らしと結婚後の苦労生活

さゆりは吉本入り以前からミスコン荒らしとして知られ、テレビ番組のアシスタントを務めていたこともある。その際に桂文枝と知り合い、一時は文枝の個人事務所に所属していた。かつみとの出会いも、文枝(前名は三枝)の冠番組「桂三枝の激闘スタジアム」(関西テレビ)で共演したのがきっかけである。現在は頬を赤く強調した道化的なメイクを施し三枚目キャラクターとして活動しているが、元々は吉本屈指の美人タレントとして知られた。吉本入り後は主に吉本新喜劇に出演していた。

結婚前後にかけてはかつみが経営するスナックでも働き、火の車状態の家計を助けていた。またこの頃「かつみのアホの嫁」(ここでの“アホ”は、“天然ボケ”という意味)として関西のテレビ番組にしばしば出演するようになり現在のスタイルを築いていった。

奇跡的な大震災の回避

1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災にて、神戸市内のさゆりの実家が被災。しかし、さゆりは偶然にもかつみとフランスパリへ旅行中で不在だったために被災を免れた。さゆりの部屋は地震で完全に潰れた状態だったといい、もし彼女が実家にいたら命の危険もあったとされている。さゆりの父は、かつみが娘の命を救ってくれたも同然と感激し、かつみにさゆりとの結婚を承諾したとのエピソードがある。

人気絶頂期の入院

2004年6月中旬、さゆりが病に倒れ、かつみ一人でのテレビ出演が続いた。診断の結果、さゆりは卵巣嚢腫子宮筋腫子宮内膜症の3つの病気にかかっており、1か月後の2004年7月中旬、MBSテレビ『ちちんぷいぷい』で復帰。その後、『最終警告!たけしの本当は怖い家庭の医学』でこの時の詳細を語った。

ボヨヨンにまつわるエピソード

さゆりのボヨヨン(髪飾り)は手作りで、ヌーブラのケースに入れて保管している。制作費は片方2000円で、「ボヨヨン代」として確定申告もしている。本人曰く以前は一から手作りしていたが、最近は花のパーツを購入して制作している。また、片方7gが最高の重さ(黄金比)であるとも説明している。

さゆりのボヨヨンに対して、かつみはネクタイに仕込まれた糸を引っ張るとネクタイがピンと立つ、「ネクタイぴーん!」というギャグを持っている。後藤田正純水野真紀の披露宴の際、このギャグを当時の首相だった小泉純一郎の前で披露したところ、後でSPにこっぴどく叱られたという。

受賞歴

  • 全日本ネイリスト協会主催 2005年「ネイルプリンセス」関西部門受賞 ※さゆりのみ

主な出演番組

関西ローカル

全国ネット

映画

  • 「丹下左膳〜百万両の壷」(2004年・エデン)

CD

  • 『借金星』(かつみ著・ヨシモトブックス/ISBN 9784847018831)
  • 『きれいに暮らす。 関西版2 「おうち de ECO」特集 (別冊家庭画報)』(世界文化社/ISBN 9784418091157) ※さゆりがエコ住宅をレポート

CM

外部リンク

注釈