白棚線
白棚線(はくほうせん)は、福島県白河市の白河駅と同県東白川郡棚倉町の磐城棚倉駅を結ぶ白棚鉄道・鉄道省・日本国有鉄道の鉄道路線であり、これを引き継ぐ日本国有鉄道自動車局(国鉄バス)・東日本旅客鉄道・ジェイアールバス関東(JRバス関東)の自動車路線である。
目次
鉄道路線
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路線データ(休止時)
歴史
前史
東白川郡棚倉町は郡役所、警察署、税務署が所在しており郡の中心地であったが、日本鉄道が開通し白河に停車場が設けられてからは交通上不利な立場となり町は衰退していた。一方金山村 (福島県) や 高野村 (福島県東白川郡) には炭鉱があったことから白河 - 棚倉間の鉄道敷設の計画をするものが陸続とあらわれてきた。その嚆矢は1896年7月に出願された白河炭鉱鉄道である。白河炭鉱の石炭運搬が目的とおもわれるが発起人など不明で詳細はわからない。1898年に却下[1][2]されてしまった。その後は地元の有志たちが鉄道敷設運動をおこない陳情もなされるがなかなか実を結ばず、具体化されたのは当時鉄道王と呼ばれた雨宮敬次郎が登場してからである。雨宮は各地の有力者の協力のもと全国に軽便鉄道を建設し、1908年にそれらを統合し大日本軌道を設立することになるのであるがここ白河-棚倉間にも鉄道を敷設することを計画し[3]地元の有力者とともに1907年2月内務省に特許申請し10月7日に白棚軌道に対し軌道特許状が下付された。ところが道路上に軌道を敷設することから道路幅員が人家のあるところで単線四間、複線五間それ以外の場所はそれぞれ三間と四間という条件であったものが陸軍省より特許後の15日に人家のあるところで単線六間半、複線七間等々の拡幅を開業後適当な時期におこなうようにとの条件が加えられた。これには多額の資金負担を必要とすることから特許有効期限延長申請が提出され計画が中断してしまった。 白棚軌道が暗礁に乗り上げているなか1908年2月12日に棚倉鉄道に対し仮免許状が下付されている。区間は白河町-棚倉町間[4]、西白河郡金山村-同郡同村白河炭鉱間、軌間は762mm[5]発起人総代は白河炭鉱所有者の岡野磧である。資材は軌間762mmから1067mmへ改軌工事中の青梅鉄道より調達することとし用地買収交渉や株式応募は行われたようだが石井村 (福島県東白川郡) の大地主が計画から降りてしまい1909年には「有効期限内ニ本免許ノ申請ヲ為ササル」という理由で免許を失効[6]してしまう。
また白棚軌道も打開策を見いだせず特許有効期限延長申請が再三にわたったため却下されてしまい、1909年6月1日に特許状は返納され実現しなかった。
1911年から1912年にかけて実に5社の出願がされた。1911年11月に出願された白棚軽便鉄道は発起人代表が金山の金鉱山主の西田仁三郎。他に白棚軌道の発起人、棚倉鉄道の発起人が名を連ねた。1911年10月に出願された白河鉄道(1)は大日本軌道の小澤信之輔、大淵龍太郎や棚倉鉄道発起人の岡野磧が発起人にいた。なお雨宮は1911年1月に死亡している。1911年5月に出願された東北炭鉱[7]は本社東京鉱業部東白川郡高野村瀬ヶ野にあったが出願書に添えられた福島県の意見書によれば休眠会社であり事業成功の見込み無しとされていた。そのためか1911年12月に出願された白河鉄道(2)は東北炭鉱の専務取締役の四方常次郎が発起人の中におり他の発起人を計画に引き込んだか名前を借りたとみられている。最後に出願された白河鉄道(3)には発起人に福島人や炭鉱業者も参加しておらず投機資本家[8]で構成しているとみられている。1912年6月になり鉄道院は4社(東北炭鉱は脱落)の合同を県知事に命令することになった。しかし交渉はうまくいかず1913年6月に地元資本家の多数いる白棚軽便鉄道に免許状が下付され他の3社は出願を却下されることとなった。
白棚鉄道の成立
免許状の下付された白棚軽便鉄道は1914年春より株式募集活動を始め6月17日白河町で会社設立総会を開き定款、役員を決定した。なお発起人代表の西田は1913年1月に発起人から脱退している。地元有志たちからは須賀川出身の立憲国民党(のち憲政会)代議士、愛国生命保険[9]社長の鈴木万次郎[10]が推されていたが、鈴木が福島市の土建業者で福島電燈他多数の会社の重役を務める大島要三[11]を推したため大島が社長に就任した。このころに白棚軽便鉄道から白棚鉄道に改称した。
1914年6月20日工事施工認可申請をおこない(認可期限の2日前)、まもなく測量に着手し、用地買収に着手した。沿線住民は鉄道建設に協力し用地買収は順調にすすめられたので、9月までに測量が終了し、用地買収は11月30日までに全部終了した。1915年3月18日工事施工申請をおこない工事に着手。翌年には国鉄線との連絡上軌間を762mmから1067mmに変更することにし資金の不足分は愛国生命保険の融資によった。そして1916年10月8日に白河町 - 金沢内間が開業し、続いて11月29日に金沢内 - 磐城棚倉間が開業した。軌条、車両とも鉄道院からの払下げであった。また梁森駅から白河炭鉱まで引込線を開通させた(0.77哩)[12]。白河炭鉱の所有者は取締役の安川栄次郎である。1918年になり白河鉱業合資会社を設立し大島と鈴木が出資社員になった[13]。
経営状況であるが貨物収入の伸び率が旅客収入の伸びより悪かった。また借入金の利子が累積赤字として残る状態は経営の枷となり配当が出たのは1922年下期からであった。また貨物収入を見込み引込線を敷設した白河炭鉱は1917 - 1919年が最盛期でこのころの出炭量は年6000トン位であったが1920年には休山となってしまう。安川は1918年に炭坑商船蔵内次郎作[14][15]に売却し、白棚鉄道取締役を1921年10月に辞任してしまう。
1923年ころから不況の影響がみられるようになり貨物が減少した。また乗合自動車が白河-棚倉間の運転をはじめ旅客数減少したため1924年に運転回数の増加で対応した。さらに1929年に乗合自動車に対抗するため列車本数頻発と燃料費節約をはかるべくガソリンカーを投入し専用停留場を設けて旅客確保に努めたが昭和金融恐慌もあり1925年下期を最後に無配に転じた。
買収運動
1932年に水郡南線が終点の磐城棚倉駅に乗り入れるようになると、運賃の関係上貨物の大半を国鉄に奪われ経営不振に陥った。このため白棚鉄道は1933年に運輸営業廃止申請をする一方、「白棚鉄道買収の請願」[16]をだした。買収の請願は第64回帝国議会で採択されたが財政上の理由から実施は見送られてしまう。その後も請願は続けられ[17]ようやく1936年12月の鉄道省省議により買収するだけの公債を発行する余裕がないことから政府借上げをすることに決定された[18]。そして1938年に借入営業を開始し白棚線となった。その後も設備投資の必要性から買収の請願は続けられ[19]1941年に買収が決定[20]、正式に国有鉄道(鉄道省)の路線となった。しかし、太平洋戦争の激化とともに1944年に不要不急線として休止され、レールなどが撤去された。戦後は、鉄道としての復活を断念し、線路敷を専用道路に転用してバス路線として運行されることとなった。
- 1913年(大正2年)6月23日 白棚軽便鉄道に対し鉄道免許状下付(西白河郡白河町-東白川郡棚倉町間 軌間762mm)[21]
- 1914年(大正3年)6月17日 白棚鉄道株式会社設立[22][23]
- 1916年(大正5年)
- 1917年(大正6年)4月28日 【駅新設】梁森[27]
- 1926年(大正15年)5月19日 【駅新設】関山口[28]
- 1929年(昭和4年)4月1日 【駅新設(ガソリンカー専用)】登町(停留場)、番沢(停留場)、三森(停留場)[29]
- 1931年(昭和6年)9月15日 【停留場→駅】関山口
- 1932年(昭和7年)
- 1933年(昭和8年)5月30日 運輸営業廃止の申請[30]
- 1934年(昭和9年)12月4日 水郡線全通
- 1938年(昭和13年)10月1日 【借入】白棚線(白棚鉄道) 白河 - 磐城棚倉 (23.3 km) [31]【停留場→駅】登町、南湖、古関、番沢、三森 【駅統合】白棚白河→白河
- 1941年(昭和16年)5月1日 【買収・国有化】白棚線 白河 - 磐城棚倉[32]
- 1944年(昭和19年)12月11日 【休止】全線 (-23.3 km)[33]。代行バス(白棚線)運行開始
駅一覧
白河駅 - 登町駅 - 南湖駅(なんこ) - 関山口駅(せきさんぐち) - 古関駅(こせき) - 番沢駅 - 磐城金山駅 - 梁森駅 - 三森駅 - 金沢内駅(かなさわうち) - 磐城棚倉駅
接続路線
輸送・収支実績
年度 | 輸送人員(人) | 貨物量(トン) | 営業収入(円) | 営業費(円) | 営業益金(円) | その他損金(円) | 支払利子(円) | 政府補助金(円) |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1916 | 9,564 | 332 | 2,493 | 3,970 | ▲ 1,477 | |||
1917 | 79,073 | 21,894 | 41,051 | 39,151 | 1,900 | 雑損金347 | 36,164 | |
1918 | 118,935 | 32,311 | 66,547 | 55,421 | 11,126 | 11,145 | 26,141 | 18,621 |
1919 | 137,916 | 33,824 | 83,296 | 62,521 | 20,775 | 20,854 | 8,360 | |
1920 | 151,264 | 34,925 | 108,987 | 72,909 | 36,078 | 21,830 | ||
1921 | 125,363 | 34,427 | 119,062 | 82,597 | 36,465 | |||
1922 | 130,341 | 41,400 | 136,085 | 89,963 | 46,122 | |||
1923 | 138,432 | 40,152 | 137,089 | 90,543 | 46,546 | 14,404 | ||
1924 | 131,224 | 47,057 | 139,545 | 97,964 | 41,581 | 21,162 | ||
1925 | 125,765 | 35,308 | 120,671 | 106,087 | 14,584 | 雑損190 | 21,206 | 29,805 |
1926 | 127,289 | 39,484 | 123,207 | 98,352 | 24,855 | 19,366 | 20,082 | |
1927 | 111,363 | 37,789 | 116,165 | 87,975 | 28,190 | 18,598 | ||
1928 | 104,939 | 40,124 | 117,754 | 89,517 | 28,237 | 17,761 | ||
1929 | 109,357 | 35,500 | 109,864 | 89,195 | 20,669 | 雑損61 | 27,520 | |
1930 | 106,666 | 27,599 | 88,672 | 70,761 | 17,911 | 17,161 | ||
1931 | 108,288 | 22,715 | 63,721 | 49,530 | 14,191 | 17,683 | ||
1932 | 98,705 | 16,509 | 49,018 | 45,643 | 3,375 | 18,333 | ||
1933 | 118,447 | 11,581 | 43,265 | 43,775 | ▲ 510 | 20,639 | ||
1934 | 139,774 | 11,984 | 47,432 | 48,083 | ▲ 651 | 23,090 | ||
1935 | 136,763 | 6,580 | 40,148 | 43,079 | ▲ 2,931 | 雑損59 | 23,780 | |
1936 | 138,860 | 7,732 | 45,939 | 49,153 | ▲ 3,214 | 雑損11,450 | 23,820 | |
1937 | 146,039 | 9,591 | 49,627 | 58,027 | ▲ 8,400 | 25,263 |
- 鉄道院鉄道統計資料、鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料、鉄道統計各年度版
車両
白棚鉄道時代の車両
- 1 - 開業時に鉄道院(国有鉄道)より払い下げられた車軸配置2-6-2(1C1)のタンク機関車[34]3253。詳細は国鉄3250形蒸気機関車を参照。
- 2 - 開業時に鉄道院より払い下げられた車軸配置2-4-0(1B)のタンク機関車[34]171。詳細は国鉄170形蒸気機関車を参照。
- 3 - 1920年に日本車輌製造で製造した車軸配置0-6-0(C)のタンク機関車。詳細は国鉄1225形蒸気機関車参照。
- ガ1・ガ2 - 1928年、雨宮製作所製のガソリンカー(木製2軸車)。早期に廃車されたため、省番号は与えられていない。詳細は買収気動車#白棚鉄道(のち白棚線)を参照。
- 客車 - 鉄道院より四輪客車6両の払下げを受けている[34]。総て三等車(形式2024[35])のため一部を二三等客車、三等緩急車に改造した[36]。1928年のガソリンカー導入時に3両が廃車された。
- ロハ1(旧記号番号ハ2051)定員二等12人三等25人
- ハ1(旧記号番号ハ2059)定員50人
- ハ2(旧記号番号ハ2047)定員50人
- ハ3(旧記号番号ハ2048)定員50人
- ハブ1(旧記号番号ハ2063)定員50人
- ハブ2(旧記号番号ハ2060)定員50人
- 貨車 - 開業時に有蓋車3両、無蓋車6両を用意したが、1917年および1923年に無蓋車を増備した。1935年に無蓋車6両が廃車されている。
1941年の買収時に鉄道省に引き継がれた車両は、蒸気機関車3両、ガソリンカー2両、客車3両、貨車33両であった。
車両数の変遷
年度 | 機関車 | ガソリンカー | 客車 | 貨車 | |
---|---|---|---|---|---|
有蓋 | 無蓋 | ||||
1916 | 2 | 8 | 3 | 6 | |
1917 | 2 | 6 | 3 | 6 | |
1918-1919 | 2 | 6 | 3 | 21 | |
1920-1923 | 3 | 6 | 3 | 21 | |
1924-1928 | 3 | 6 | 3 | 36 | |
1929-1935 | 3 | 2 | 3 | 3 | 36 |
1936-1937 | 3 | 2 | 3 | 3 | 30 |
- 鉄道院鉄道統計資料、鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料、鉄道統計各年度版
バス路線
概要
テンプレート:Double image aside 祖父岡 - 磐城棚倉 - 白河を結ぶバス路線で、ジェイアールバス関東白河支店が運行を担当している。正式には磐城棚倉 - 白河が白棚線、浅川口 - 磐城逆川 - 金沢内、磐城棚倉 - 祖父岡が磐城南線となるが、運行には白棚線系統として一括して行われており、まとめて記述する。
本数は1時間に1本から6本と地方のバス路線としてはかなり多く、その利用者の多くは高校生である。本数は多いが続行して運転することが多い。これは専用道区間が単線線路を舗装化したため、停留所や待避所ですれ違いできるようダイヤを組んでいるからである。また、その使命から地域間輸送だけでなく新白河駅発着に関しては、新幹線接続の目的もある。
バス路線の途中、三森 - 表郷役場前 間と 磐城金山 - 関辺 間 がバス専用道路、その他の区間のほとんどは国道289号や118号を走る。専用道は直線が多く、信号がないため、最高時速60キロで一般道を走るよりスムーズに運行している。以前は普通・急行の設定があったが、現在はない。
経由は、新白河経由、新白河/緑ヶ丘経由、旭高校経由、棚倉高校経由などがあったが、2009年3月20日のダイヤ改正により緑ヶ丘経由と棚倉高校経由、ルネサンス棚倉発着便は廃止された。旭高校経由については、同区間が福島交通のエリアであることから、一部を除いてクローズドドアであったが、2004年3月に福島交通に合わせて停留所が設置されている。
開業当時
戦後に2度も鉄道路線の復元工事が計画されたものの、最終的には線路敷をバス専用道として舗装化し、1957年に白棚高速線として開業した。当時は現在の国道289号に並行した路線もあったため、このように独立した路線名だった。それだけでなく、この当時は幹線級の国道でも地方では砂利道であることが多かったなか、直線でスピードが出せる道路を国鉄が費用をかけて舗装化したのは、将来のローカル線のあり方(不採算路線のバス化)を示したことや、自動車局の事業でいえば、名神高速線・東名高速線の開業に向け、メーカー試作の高速バス車両(三菱ふそう MAR820改型、B906R型等) の試験運転を行ったことなど、先駆的役割も多かった。
現在のバス専用道区間
- バス専用道区間の短縮
- 開業時は磐城棚倉 - 白河間の大部分がバス専用道だったが、並行している国道289号の道路改良工事による一般道への転換、及び自然災害による専用道の廃止を経て、現在では三森 - 表郷役場前間と磐城金山 - 関辺間が残るのみとなった。
- 歩行者・自転車・一般車の通行禁止
- バス専用道区間はJRバス関東の敷地内であり、バス車両が通行できるように安全を確保するため、同事業者と白河警察署ではバス専用道区間での歩行者・自転車・一般車の通行を禁止している。私道であるため、違反者には罰則も適用される。防止策として、一般道との交差部分や停留所近くの随所に、「一般車通行禁止」の看板が掲げられており、専用道との交差部分では、「一時停止」の標識や「バス専用道路あり」の補助標識が設置されている。このため、専用道と一般道の交差では原則としてバス車両が優先であり、一般道側からは一時停止が必要である(ただし例外として、表郷幼稚園前 - 番沢間にある県道中野番沢線との交差部分、並びに国道289号への合流部分においては一般道側が優先となっている)。
- 降雪時の除雪作業
- 専用道では冬季の降雪時において、独自に除雪作業をしなければならないため、2トントラックを改造した除雪車を常備している。使用時は前面にスノープラウを装着し、運転席からレバー操作をして排雪できるよう改造した車両である。以前はジープにスノープラウを装着して除雪作業をしていた。
歴史
- 1944年(昭和19年)12月11日 白棚線 磐城棚倉 - 白河開業(代替バス運行開始。停車場 白河、白河中学校前、南湖、関山口、磐城高萩、磐城金山、梁森、三森、金沢内、磐城逆川、磐城棚倉)[37]
- 1948年(昭和23年)12月15日 停車場名改称(白河中学校前→白河高等学校前)[38]
- 1951年(昭和26年)3月27日 棚倉古町 - 磐城棚倉開業[39]。磐城高萩-関山口間に一本松停車場設置[40]
- 1952年(昭和27年)
- 4月 鉄道建設審議会で鉄道の復元決定
- 6月 棚倉古町 - 赤坂中野開業
- 1953年(昭和28年)
- 1956年(昭和31年)8月 鉄道建設審議会で自動車専用道による代替バス運行への変更決定
- 1957年(昭和32年)
- 1964年(昭和39年)10月19日 南湖公園 - 西郷廃止
- 1965年(昭和40年)4月8日 白河 - 白女高開業
- 1966年(昭和41年)11月10日 南湖公園 - 緑ヶ丘 - 白河高校前開業 (緑ヶ丘経由)
- 1968年(昭和43年)3月10日 宮下 - 東白農商前 - 棚倉古町開業
- 1969年(昭和44年)6月11日 東名高速線の開業に伴い、白棚高速線を白棚線に改称
- 1974年(昭和49年)12月11日 関東地方自動車部から、「白棚線(鉄道代行バス)開業30周年記念乗車券」を発売
- 1977年(昭和52年)4月26日 関東地方自動車部から、「白棚線(旧:白棚高速線)開業20周年記念乗車券」を発売
- 1978年(昭和53年)12月1日 東白農商前 - 祖父岡開業
- 1982年(昭和57年)
- 1987年(昭和62年)
- 1988年(昭和63年)4月1日 JR東日本バスからJRバス関東に移管、磐城金山駅営業中止
- XXXX年 東白農商前 - 漆草廃止
- 1990年(平成2年)10月 棚倉古町 - ルネサンス棚倉開業
- 1994年(平成6年)
- 1996年(平成8年) 表郷保育園前 - 長者久保 一般道(国道289号)化、磐城金山駅舎解体。
- 1997年(平成9年)12月 つつじヶ丘 - 旭高校 - 白河開業(旭高校 - 白河は復活)
- 1999年(平成11年)7月15日 路盤崩落により金沢内 - 檜木 - 浅川口休止
- 2000年(平成12年)
- 2001年(平成13年)3月 磐城逆川 - 棚倉高校前 - 東中居開業(棚倉高校前、棚倉町役場、宮下、中居バス停新設)、長者久保を表郷役場前に改称。
- 2002年(平成14年)12月1日 磐城金山 - 三森(国道289号経由、朝1便のみ)開業、白河東工業団地(古関 - 谷中)バス停新設。
- 2003年(平成15年)
- 2004年(平成16年)
- 2005年(平成17年)7月9日 西郷シャトル廃止
- 2007年(平成19年)
- 2008年(平成20年)
- 2009年(平成21年)3月20日 ダイヤ改正、緑ヶ丘経由(新白河 - 緑ヶ丘 - 白河モール前)、棚倉高校経由(磐城逆川 - 棚倉高校前 - 磐城棚倉)、ルネサンス棚倉発着(棚倉小学校前 - ルネサンス棚倉)、東白農商前行(鉄砲町 - 東白農商前)を廃止。
- 2011年(平成23年)
- 2014年(平成26年)
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JR東日本バス当時の高木停留所(2005年9月撮影)
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運行開始50周年を記念して登場した「だるまバス」 M527-94302(1996年7月撮影)
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磐城金山駅駅舎(1996年7月撮影)
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磐城金山駅構内(1996年7月撮影)
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現在の磐城金山停留所(2007年8月撮影)
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磐城金山停留所の「駅名標」(2007年8月撮影)
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バス専用道上の速度制限標識(2005年11月撮影)
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2000年3月に廃止された、桧木停留所(2005年11月撮影)
主な停車場
下記の停車場については、停車場中心が定められていた。磐城金山駅は自動車駅。また、白河高校前・南湖・番沢・金沢内には待合室とプラットフォームが設置され、鉄道の無人駅のような形態となった。
運行経路
便数についての記述は、特記なき場合は2009年3月20日改正のダイヤによる。
- ■新白河経由
- 白河 - 祖父岡
- ※斜字は専用道区間
- ※区間便として以下のものが現在運行されている。
- 白河 - 磐城棚倉
- 白河 - 実業高校前(実業高校前から白河への便が昼に1本、実業高校の試験日に運行)
- ※2007年3月17日以前には、磐城逆川から磐城金山への区間便が平日の朝に1本運行されていた。
- ■旭高校前経由
- 白河 - 祖父岡
- ※棚倉方面へは夕方の下校時間帯に平日4本、土日祝日・休校日1本
- ※白河方面へは朝の登校時間帯に平日3本、土日祝日・休校日1本
- (白河方面行)(磐城棚倉→)実業高校前→つつじヶ丘→南湖東口→菅生館団地→八竜神→旭町二丁目→旭高校前→中央中学校前→横町→白河
- (棚倉方面行)旭町二丁目→旭高校前→中央中学校前→横町→白河(→磐城棚倉) ※2008年3月15日改正より変更。
かつて運行されていた経路
- 国道118号棚倉バイパス・棚倉町役場経由
- 磐城金山 - 東中居
- ※朝に片道1本(磐城金山→東中居)のみ。土日祝日・休校日運休
- ※磐城金山 - 三森 間は専用道路ではなく国道289号を運行
- ※2007年3月18日のダイヤ改正により休止
- 磐城金山 -(国道289号)- 三森 - 金沢内 - 天王内 - 磐城逆川 -(国道118号棚倉バイパス)- 棚倉町役場 - 宮下 - 中居 - 東中居
- 東白農商前止まり
- ※白河からの便が夜に片道1本のみ。
- ※2008年3月15日のダイヤ改正により休止、棚倉古町止まりとなる。
- (白河 - )磐城棚倉 - 新町 - 棚倉小学校前 - 棚倉郵便局前 - 裁判所口 - 棚倉古町 - 鉄砲町 - 東白農商前
- ルネサンス棚倉発着
- 白河 - ルネサンス棚倉
- ※棚倉方面・白河方面ともそれぞれ2往復
- ※2009年3月20日のダイヤ改正により廃止
- (白河 - )磐城棚倉 - 新町 - 棚倉小学校前 - 総合体育館前 - ルネサンス棚倉
- ■新白河・棚倉高校前経由
- 白河 - 祖父岡
- ※棚倉方面へは朝の登校時間帯に平日3本、土日祝日・休校日2本
- ※白河方面へは昼・夕方の下校時間帯に平日5本、土日祝日・休校日3本
- ※2009年3月20日のダイヤ改正により廃止
- (白河 - )磐城逆川 -(国道118号棚倉バイパス)- 棚倉高校前 - 磐城棚倉 - 新町 - 棚倉小学校前 - 棚倉郵便局前 - 裁判所口 - 棚倉古町 - 鉄砲町 - 東中居 - 西中居 - 祖父岡
- ■新白河・緑ヶ丘経由
- 白河 - 祖父岡
- ※棚倉方面へは平日3本、土日祝日・休校日1本
- ※白河方面へは平日・土日祝日・休校日ともに3本
- ※2009年3月20日のダイヤ改正により廃止
- 白河 - 道場町 - 白河高校前 - 高山 - 新白河 - 住宅前 - 緑ヶ丘 - メガステージ前 - 白河モール前 - 小丸山 - 団地前 - 南湖公園( - 磐城棚倉)
航空写真
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成
- 撮影年度:昭和50年(1975年)度
- 国道289号改良工事によって、一般道へ転換される前のバス専用道を見ることができる。
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国鉄磐城西郷駅周辺
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国鉄白河駅周辺
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南湖公園周辺
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県立白河実業高校周辺
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旧表郷村谷中地区周辺
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国鉄バス磐城金山駅周辺
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旧表郷村高木地区周辺
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棚倉町逆川地区周辺
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国鉄磐城棚倉駅周辺
その他
- バス路線乗降自由区間の存在
- かつて、JR東日本が1998年4月1日から2002年10月1日まで発売した、周遊きっぷのゾーン券(福島・会津ゾーン)を提示することにより、白棚線の一部区間に限って自由に乗降することができた(2002年10月1日に同周遊ゾーンの周遊きっぷが廃止になり、乗降自由の区間が無くなった)。
- 利用区間:白河 - 新白河 - 磐城棚倉 - 棚倉古町 - ルネサンス棚倉
- バス配布時刻表
- 2004年3月13日ダイヤ改正以降の配布時刻表には、白棚高速線開業当時をモチーフとしたデザインへ変更された。社名表記は変更されているものの、開業当時の資料から忠実に作成されている。
- 白棚高速線50周年記念誌
- 2007年(平成19年)4月26日に開業50周年を迎えた白棚線の記念として『白棚高速線50周年記念誌』が刊行されている。
脚注
- ↑ 『棚倉町史』第1巻、792頁
- ↑ 『鉄道局年報. 明治31年度』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
- ↑ 熊本、山口、広島、伊勢、静岡、浜松、甲府、会津、白川(白河)、千葉等へ其れ其れ手を着けて居る「軽便鉄道の発起」『過去六十年事蹟』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
- ↑ 並行区間に同じ時期に免許状(特許状)が下付される例は伊予鉄道に対する松山電気軌道がある
- ↑ 「仮免許状下付」『官報』1908年2月14日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 「仮免許状失効」『官報』1909年12月7日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 『日本全国諸会社役員録. 明治44年』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
- ↑ 発起人の中に高崎の実業家矢島八郎がいる
- ↑ 「愛国生命創立の由来と其特色」『日本新聞』1912年8月27日(神戸大学附属図書館新聞記事文庫)
- ↑ 『人事興信録. 4版』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
- ↑ 信達軌道(大日本軌道福島支社)の発起人の一人であり大日本軌道設立後に取締役に就任している。『人事興信録. 5版』また本業の土建業では酒田線建設工事を請け負う『日本国有鉄道百年史』第6巻、75頁、『日本鉄道請負業史 明治編』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
- ↑ 1917年4月17日免許『鉄道院鉄道統計資料. 大正6年度』
- ↑ 『帝国銀行会社要録 : 附・職員録. 大正7年(第7版)』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
- ↑ 『帝国銀行会社要録 : 附・職員録. 大正9年(第9版)』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
- ↑ 『鉄道院鉄道統計資料. 大正8年度』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
- ↑ 「特別報告第222号」『官報』1933年3月20日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 第65回帝国議会「特別報告第51号」『官報』1934年3月12日、第67回帝国議会「特別報告第105号」『官報』1935年3月14日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 貨物輸送はともかく旅客輸送は相当の利用が見られた
- ↑ 第74回帝国議会「第22 白棚鉄道買収の請願」『官報』1940年3月23日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 「富士身延鉄道株式会社及白棚鉄道株式会社所属鉄道買収ニ関スル件」『官報』1941年3月7日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 「軽便鉄道免許状下付」『官報』1913年6月26日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 『日本全国諸会社役員録. 第25回』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
- ↑ 『地方鉄道及軌道一覧. 昭和15年11月1日現在』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
- ↑ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1916年10月12日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 「軽便鉄道停車場名改称」『官報』1916年11月22日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 『鉄道院鉄道統計資料. 大正5年度』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
- ↑ 「軽便鉄道停車場設置」『官報』1917年5月3日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 「地方鉄道駅設置」『官報』1926年6月4日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 湯口徹『内燃動車発達史』上巻、52頁
- ↑ 『日本国有鉄道百年史』第11巻、888頁
- ↑ 「鉄道省告示第236号」『官報』1938年9月29日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 「鉄道省告示第85号」『官報』1941年4月30日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 「運輸通信省告示第568号」『官報』1944年11月21日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 34.0 34.1 34.2 『鉄道院鉄道統計資料 大正5年度』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
- ↑ 『客車略図 上巻』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
- ↑ 「車両記号番号変更御届」大正6年10月15日(白棚鉄道/鉄道省文書/鉄道博物館)
- ↑ 「運輸通信省告示第594号」『官報』1944年12月9日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 「運輸省告示第355号」『官報』1948年12月11日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 「日本国有鉄道公示第54号」『官報』1951年3月24日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 「日本国有鉄道公示第53号」『官報』1951年3月24日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ テンプレート:PDFlink
参考文献
- 棚倉町・棚倉町教育委員会『棚倉町史 第一巻』、1982年3月20日、歴史春秋社、788-821、1008-1011頁
- 棚倉町・棚倉町教育委員会『棚倉町史 第五巻』、1979年3月25日、歴史春秋社
- 青木雄千代『ふくしま文庫(37) ふくしま各駅停車』、1977年、pp.178-180、福島中央テレビFCTサービス出版部
- 『日本国有鉄道百年史』第11巻、887-889頁
関連項目
- 国鉄キハ01系気動車 - 当初キハ10000形は復活計画が進められていた白棚線での使用を想定して設計が行われた。
- 国鉄DD11形ディーゼル機関車 - 1次車はキハ10000形と同様、白棚線での使用を想定して設計された。
- 国鉄専用型式 - バスメーカーの試作車両が、バス専用道で試験走行を行った。
- デュアル・モード・ビークル - 鉄軌道と道路の両方を走行することが可能な「アンヒビアン・バス」の試験を行なった。
- 五新線(阪本線) - 同線の成功を受けて、当時未成線だった五新線の一部区間をバス専用道に転換した経緯がある。
- 国道289号 - 同国道の道路改良工事により、バス専用道から転換された区間がある。
- バス・ラピッド・トランジット
外部リンク
- 「AERO ROAD」日本最古の高速バス道路・白棚線 - 三菱ふそうが発行している、「月刊誌FUSO」のコーナーで掲載された記事。
- ふくしま教育情報データベース - 「ふくしまの動画」 - 「県民ニュース(民友ニュース)No.1」にて、同線復活起工式の動画が公開されている。
- 白棚鉄道自動客車白棚沿線表郷紹介写真誌(国立国会図書館近代デジタルライブラリー 公開一時中止)