東庄町
テンプレート:Infobox 東庄町(とうのしょうまち)は、千葉県香取郡にある町である。中世の荘園東庄(東荘)にちなんで東庄町と名づけられた。通勤率は、神栖市へ14.5%、香取市へ12.4%(いずれも平成22年国勢調査)。
目次
地理
- 千葉県の北東部、香取郡の東端に位置し、利根川を境に茨城県と接している。
- 下総台地の東端に近い丘陵地帯を挟む。北側に利根川沿いの低地、南側に九十九里平野の北辺を含む。西北端にあたる笹川地区周辺のみ平坦地であり、大部分が台地である。また、各所に谷津田が入り組むように刻まれている。
- 標高は、平均で海抜40~50メートル。最高56.5メートルである。
隣接する自治体
歴史
古くは、香取海に面した重要な地であり、古代においては陸奥国へ通じる交通の要衝であった。 平安中期、長元2年(1029年)の平忠常の乱で房総一帯が忠常の支配下に入り、当町の中央部に残る大友城跡を忠常の居城に比定する説もある。乱は数年後には平定され、忠常は降伏したが子孫達は処刑される事も無く千葉氏と称して房総一帯に繁栄した。その重要な根拠地として東庄があり、源頼朝に重臣として仕えた千葉常胤の第六子胤頼は、東氏を称して東庄を根拠地とし戦国期に至るまで歴代にわたって繁栄し、その総鎮守として東大社が崇敬された。この神社の沿革は古代に遡るもので、平安末以来伝えられている20年に1度の銚子外川浜までの神輿行列が渡御する神幸祭が今なお続けられている。
近世に入り、千葉氏一族である東氏もここで没落し、徳川氏の関東入国後天正検地が行われた。当地には後の小見川藩初代藩主松平家忠が藩主となった上代藩が短期間おかれただけで家忠以後大名は配置されず、幕府直轄地や大名、旗本の小規模領地が複雑に入り組んで配置され幕末に及んだ。江戸末期には「天保水滸伝」のような事件が発生するなど、この地に博徒が横行したが、その一方、学問も盛んで江戸後期には平田篤胤が逗留したこともある。また旧笹川村からは林半兵衛のような和算家も輩出されている。
明治維新後、笹川村、神代村、東城村、橘村が形成され、商業、水産や農業が盛んとなった。昭和6年(1931年)には国鉄成田線が笹川まで延伸され、同8年(1933年)には下総橘を経て松岸まで開業した。当時茨城県側からは渡し船で当地と連絡しており、交通、教育、商取引の面で関係が深かった。その後、昭和30年(1955年)7月には合併により当町「東庄町」が誕生する。昭和46年(1971年)3月に、当町と利根川対岸の神栖市にまたがる塩害防止と水資源確保を目的とした全長約1キロメートルの東洋一の河口堰である利根川河口堰が完成した。また対岸の神栖市や鹿嶋市などで、昭和30年代から鹿島臨海工業地帯の開発が行われ、それに伴う人口増により当町内にも住宅団地が造成されるなど、現在も利根川対岸の茨城県との関係が深い。
沿革
- 1944年(昭和19年)12月3日 - B-29撃墜事件(旧神代村)。
- 1945年(昭和20年)7月4日 - 笹川駅前入正醤油近くでP-51による機銃掃射。一人が死亡。
- 1955年(昭和30年)7月20日 - 笹川町・橘村・神代村・東城村の1町3村が合併し、東庄町が発足。
- 1956年(昭和31年)4月15日 - 櫻井地区が干潟町へ編入
- 1961年(昭和36年)9月1日 - 東庄町の一部を干潟町へ編入
- 1965年(昭和40年) - 国道356号が制定。
- 1971年(昭和46年)1月 - 利根川河口堰が竣工。
- 2007年(平成19年)11月13日 - 東洋合成工業千葉工場(東庄町工業団地)にて爆発事故。二人死亡。重軽傷者数名。
行政区域変遷
- 変遷の年表
東庄町町域の変遷(年表) | ||
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年 | 月日 | 現東庄町町域に関連する行政区域変遷 |
1889年(明治22年) | 4月1日 | 町村制施行に伴い、以下の村がそれぞれ発足。[1] |
1907年(明治40年) | 8月1日 | 笹川村が町制施行し笹川町となる。 |
1955年(昭和30年) | 7月20日 | 笹川町・橘村・神代村・東城村が合併し、東庄町が発足。 |
1956年(昭和31年) | 東庄町の一部(桜井)は干潟町に編入。 |
- 変遷表
東庄町町域の変遷表 | |||||||
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1868年 以前 |
明治元年 - 明治22年 | 明治22年 4月1日 |
明治22年 - 昭和19年 | 昭和20年 - 昭和64年 | 平成元年 - 現在 | 現在 | |
須賀山村 | 笹川村 | 明治40年8月1日 町制 |
昭和30年7月20日 東庄町 |
東庄町 | 東庄町 | ||
鹿戸村 | |||||||
石出村 | 橘村 | 橘村 | |||||
和泉村 | 明治2年 東和泉村 | ||||||
新宿村 | |||||||
羽計村 | |||||||
谷津村 | |||||||
今郡村 | |||||||
宮本村 | |||||||
青馬村 | |||||||
小南村 | 東城村 | 東城村 | |||||
粟野村 | |||||||
小座村 | |||||||
八重穂村 | |||||||
夏目村 | |||||||
大久保村 | 神代村 | 神代村 | |||||
舟戸村 | |||||||
和田村 | 明治2年 東和田村 | ||||||
神田村 | |||||||
小貝野村 | |||||||
窪野谷村 | |||||||
平山村 | |||||||
高部村 | |||||||
大友村 | |||||||
桜井村 | 昭和31年 干潟町に編入 |
平成17年7月1日 旭市 |
旭市 |
郷土史
当地には鹿之戸村があった(旧笹川村範囲)が、これはもともと鹿之渡であり、鹿島神宮の神鹿が、香取神宮との往来の際にここを通過したからだといわれている。春日大社に鹿嶋神の分霊を勧請したときも分霊を鹿にのせてここを通過したとも。源頼朝が鹿島神宮に自ら参拝したときには、此地の東氏の館に宿泊したといわれている。現在でも、鹿島神宮から南下して、直線距離で一番近い利根川の渡河点は東氏の居城とされた森山・須賀山城跡にあたる。 古くは、高望王の子で千葉氏の祖平良文がここに拠点の一つを置いていたとされる。また、千葉常胤もここを下総国府台、佐倉、千葉などと並んで、拠点の一つにしていたらしい。常胤は六男の胤頼にここを与えたのであるが、その後もここは千葉氏の求心力のある土地であり続けた。笹川村の鎮守である、笹川諏訪神社の宮司家は香取大宮司家と親戚であった。また同神社に隣接する延命寺は鹿島神宮寺の末寺であり、この土地が古くから鹿島・香取両神宮と縁が深かったことが伺える。室町期におきた隣郡の鹿島氏の内紛では、当主の鹿島義幹が一時、東氏を頼って逃げてきている。 重複するが、千葉氏との関わりがこの土地は強く、須賀山城跡の側にある東福寺は実質的な最後の千葉宗家当主であった、千葉邦胤が灌頂会を行った寺である。
人口
行政
人口1000人当たり職員数が千葉県内町村で最も少ない(東庄町7.00人、千葉県内町村平均9.44人)
ラスパイレス指数97.5(千葉県内市町村平均100.5)
人口一人当たり人件費・物件費等決算額90,186円(千葉県内市町村平均112,960円)
人口一人当たり地方債現在高301,250円(千葉県内市町村平均334,430円)
経済
産業
金融機関
姉妹都市・提携都市
地域
人口1000人当たり犯罪件数が千葉県内で最も少ない(東庄町5.58件、千葉県平均17.28件)平成19年
健康
- 平均年齢
教育施設
私立保育園
- 神代保育園
- 笹川中央保育園
- 橘保育園
町立幼稚園
- 神代幼稚園
- 笹川幼稚園
- 橘幼稚園
- 石出幼稚園
- 東城幼稚園
町立小学校
- 神代小学校
- 笹川小学校
- 橘小学校
- 石出小学校
- 東城小学校
町立中学校
- 東庄中学校
交通
鉄道
路線バス
高速バス
- 大阪 - 銚子線: 湊町BT・なんば高速BT・高速京田辺・京都駅 - 佐原駅北口・東庄・銚子駅 (千葉交通、南海バス) ※夜行
- 利根ライナー(佐原ルート): 浜松町BT・東京駅 - 佐原駅北口・東庄・橘・銚子駅 (千葉交通)
- 利根ライナー(小見川ルート): 浜松町BT・東京駅 - 佐原香取・東庄・橘・銚子駅・陣屋町 (千葉交通)
道路
名物・名産
- コカブ(ホワイトボール等)…京浜市場でのシェアトップ。
- しじみ丼
- 鯉、鮒・ウナギ・シジミ等の加工品。
- 醤油(入正醤油株式会社)…1985年(昭和60年)NHK朝の連続ドラマ小説「澪つくし」の舞台となった醤油蔵。現在も、昔ながらの十水仕込みを秋田杉の大桶で熟成させている。
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
観光スポット
観光
- いちご狩り…毎年1月上旬から5月下旬まで町内8つのいちご園でいちご狩りが楽しめる。また、国道356号線沿いに、いちご直売所が並ぶため"いちご街道"などと呼ばれている。
祭り
- 左右大神の神楽 4月第1土曜
- 諏訪神社春季例祭(笹川の神楽) 4月第1土曜
- 東大社春季例祭 4月8日
- 雲井岬つつじまつり 4月中旬~5月中旬
- 諏訪大神相撲大会 7月最終土曜日
- 東大社やぶさめ神事 10月20日
- 東庄ふれあいまつり 11月3日 (かつて林家ペー・パー子夫妻が司会を務めていた地域イベント、現在は降板)
出身有名人
難読地名
- 羽計(はばかり)
- 稲荷入(とうかいり)