名鉄岐阜駅
テンプレート:駅情報 名鉄岐阜駅(めいてつぎふえき)は、岐阜県岐阜市神田町九丁目にある名古屋鉄道の駅。中部国際空港開港直前の2005年1月29日に新岐阜駅から改称された。
行き先の表示・駅や車内での放送では単に岐阜(For Gifu)、犬山経由岐阜(For Gifu via Inuyama)と略表記される。隣接する岐阜バスのバス停名は2006年4月1日から名鉄岐阜に改称された。それまでは旧名の新岐阜の名称が使われていた。
名鉄岐阜駅の西側、国道157号の道路上にあった名古屋鉄道岐阜市内線の停留場である新岐阜駅前駅(しんぎふえきまええき)は岐阜市内線自体の廃止(2005年4月1日)を控えていたこともあって、改称されず廃駅となった。
目次
利用可能な鉄道路線
- 名鉄岐阜駅
当駅の300m南西方にJR東海道本線・高山本線の岐阜駅がある。
過去の接続路線
- 新岐阜駅前駅
- 名古屋鉄道
- 岐阜市内線
駅構造
鉄道線(名鉄岐阜駅)
築堤高架上の名古屋本線乗り場と、地平に設置された各務原線乗り場の2つの部分からなる。かつての美濃町線系統には各務原線構内に専用の乗り場があった。名古屋本線と各務原線の各構内は改札内・改札外ともに連絡通路で結ばれている。
名古屋本線1-4番線は櫛形2面4線のホームで8両編成対応、各務原線5-6番線は櫛形1面2線のホームで6両編成対応。各務原線にはかつて美濃町線直通列車用の1面1線の低床ホームがあり7番線(2両編成対応)となっていたが、7番線は2005年4月1日の美濃町線・田神線廃止に伴い廃止された。現在7番線は6両編成対応の留置線となっているが、日中の車両留置はなく、夜間停泊でしか使われていない。
2004年12月には2番線に油圧緩衝式車止めが設置された。これは前年に発生した過走衝突事故への対策で、現在では名古屋本線の各ホームについて設置が完了し車止め周辺には安全柵も設置されている。到着列車は分岐器の制限速度35km/h(3番線のみ25km/h)で進入後、ホーム途中から15km/h以下多段階のATSのチェックを受けながら停止する。
部分的な改良工事を重ねてきた関係で延伸時に嵩上げされた3・4番ホームよりも1・2番ホームの方が僅かに低い位置にあるほか、1番線のみ線路の終端(改札口に近い側)が更に下がってホームの左右で高低差があったが、2012年3月に中心が電車1両分に亘って柵で仕切られ1番線側が平坦に均された。各務原線ホームも延伸された先端部分は幅が非常に狭い。なお駅構内の枕木は全て木製のままである。1・2番ホーム全体および3・4番ホーム改札寄りの上屋支柱の一部には1897年カーネギー製の古レールが再利用されている。
ホーム | 路線 | 行先 |
---|---|---|
1 - 4 | ■名古屋本線 | 名鉄一宮・名鉄名古屋・豊橋・中部国際空港・新羽島方面 |
5・6 | ■各務原線 | 三柿野・新鵜沼・犬山・新可児方面 |
名古屋本線ホームの先のJR東海道本線と立体交差している部分(名鉄加納陸橋[1])は単線になっている[注釈 1]。陸橋部分は1996年まで地平の東海道本線を名古屋本線が跨いでいた部分で、東海道本線の高架化後はその下を潜る構造となっている。この陸橋はかつて東側を走っていた国道(現国道157号)と一体化した構造になっており、現在も陸橋東側には旧東陸橋の跡である橋台が隣接して残存する[注釈 2]。
この単線部分には第2出発信号機が設置され、名古屋本線の上り方向へは1分間隔で発車できるようになっている[注釈 3]。なお、現時点において単線区間を複線化する計画は存在しない。
もともと1914年(大正3年)12月に開通した時点ではこの部分も複線であった。しかし第一次世界大戦中に資材不足により、岐阜市内線の補修用レールを入手できなかったため、当時の運行状況では単線化しても問題なかったことから、茶所 - 新岐阜間を単線化してレールを転用した。第二次世界大戦後茶所 - 新岐阜間は再度複線化されたが、この部分については複線に戻されずに現状となっている[2]。
名古屋本線と各務原線の両駅舎は改札内の連絡通路で結ばれている。名古屋本線側と各務原線側の双方の駅舎に駅ビルがあり、各務原線側(名鉄長住町ビル)にはLOFT岐阜店と立体駐車場が入っている。名古屋本線側の駅ビルは老朽化が進んでいたため1990年代初期のバブル期に建て替え工事が検討されていたが、その後の不況により中止。そして2005年12月28日に新岐阜百貨店が閉店したため、これを機に解体・駅舎建て替えを2006年6月24日よりまずは建物北側から始まった。2007年7月14日より新駅舎の一般利用が開始された。
なお、2009年9月6日、新岐阜百貨店跡地に商業施設(ECT (イクト))がオープンし、1階には食品スーパーの「パレマルシェ」、2階には飲食店やファッション関係の店舗など18テナントが入った。
名古屋本線へは西側に面した道路(国道157号:長良橋通り)から大階段で昇れるようになっており、上下エスカレータが各1基とエレベータ2基が設置されている。現在、1階にはサンクスが営業をしている。また、カフェバー「プロント」が2007年12月17日から営業を開始した。
名鉄岐阜駅は長住町ビル建設の際にバリアフリー化され、各務原線ホームへはスロープの設置により段差無しでホームに入れるようになった。また名古屋本線ホームへはビルの店舗外スペースにエレベータと上下エスカレータが設置され、改札外連絡通路を通じてホームに入れる様になっている。2007年7月の新駅舎供用開始後は、改札内にも名古屋本線と各務原線を結ぶエレベータが設置された。
新羽島方面への時刻表には笠松で竹鼻線列車に連絡する列車の時刻も書かれている(直通列車は早朝の2本(平日、土休日)、平日の夕方の10本、深夜(平日のみ2本)しかなく、直通列車のない時間帯は笠松で快速特急、特急から接続)。
2004年にトランパスが導入された。比較的早くから自動改札機が導入されている。
現在岐阜市等が主体となり、境川橋梁(岐南 - 茶所間)から名鉄岐阜までの区間を連続立体交差化する計画がある。1999年に計画が立ったが、岐阜県と岐阜市の財政難により事実上凍結されていた。2012年には、岐阜県都市建築部が構想の概要を発表し、全区間は2.9kmで、約半分に当たる名鉄岐阜から1.5kmの区間が先行して整備される見通しだったが、2014年7月に、全区間を一括して整備する方針に転換した。[3]。
名古屋本線と各務原線を結ぶ連絡線は存在しない。
- 名鉄岐阜駅03.jpg
名鉄岐阜駅ホームから見た単線部分(2005年7月)
軌道線(新岐阜駅前電停・廃止)
テンプレート:駅情報 テンプレート:See 新岐阜駅前駅は、相対式2面2線のホームを持っていた。ただし併用軌道なので道路上であり、ホームは無く、道路に白枠でくくった緑色のペイント(「グリーンベルト」)がされているだけであった。始発から終電の間は、グリーンベルトを囲うようにロープが張られていた。
2003年、名鉄が岐阜市内線を含めた600V区間からの撤退を表明すると、岐阜市は10月14日から、「路面電車交通社会実験」を行った(11月28日まで)。この間新岐阜駅前駅には仮設の安全地帯が設けられたが、実験終了後間もなく撤去された。また、廃止直前にも、さらに簡易な安全地帯が設けられていた。
1967年3月までは市内線の車両工場(岐阜工場)が新岐阜駅北東側の市街地の中にあり、入出場のための単線の引込線が、新岐阜駅前停留場の北側から分岐して駅北側の長住通り上を工場まで敷設されていた。この引込線からは各務原線の新岐阜駅に通じる連絡線が分岐しており、市内線や揖斐・谷汲線への新車搬入、転属車両の搬出入などに使用された。1967年4月に岐阜工場が市ノ坪に移転し、入出場ルートとして田神線が開通すると、引込線のうち旧工場付近の入出場線部分は廃止となり、新岐阜駅構内の連絡線も1982年3月に実施された各務原線構内改修(ホーム延伸)時に接続部分が撤去された。その後は残存部分が市内線車両の留置線として1988年まで使用された[4]。
元々、忠節・黒野方向を向いて右側のホームが当駅止まりと岐阜駅前行きの乗降場、左側のホームが折り返し列車と忠節・黒野方面乗降場として使われていたが、岐阜駅前電停の営業休止後は暫定的に(とはいえこの状況は廃止時まで続いた)終着駅となり、同右側のホームが降車専用、左側のホームが乗車専用となっていた。また、渡り線はホームを岐阜駅前電停方面に少し過ぎた場所にあった。
新岐阜駅前電停には係員が常駐し、出札・集札業務を行っていた。
新岐阜百貨店
- 1957年(昭和32年) -ステーションデパートとしてオープン
- 1984年(昭和59年) -名鉄の100%子会社になる
- 2005年(平成17年)
- 6月 - 12月閉店が決定
- 12月28日 - 閉店
- 2006年(平成18年)6月 - 解体作業を開始(作業完了)
- なお、2009年9月6日、同跡地には、商業施設(ECT (イクト))がオープンした。
駅周辺
- JR岐阜駅
- 十六銀行本店(駅構内にも、名鉄岐阜駅出張所ATMが他行と共に設置されている)
- 岐阜ロフト
- 岐阜ビル
- 岐阜中央郵便局
- 岐阜バスターミナル(旧 新岐阜バスセンター)
- 名鉄岐阜のりば(バス)
- 岐阜駅前中央商店街
- 岐阜キャッスルイン
- 岐阜信用金庫本店
- 東横イン名鉄岐阜
- 住ノ江町商店街
- 河合塾岐阜校(名鉄の開業時に名古屋本線新岐阜駅があった場所に新校舎がオープンした。)
駅前道路の反対側にあった岐阜パルコも新岐阜百貨店に続き、2006年8月20日に閉店となった。その前の2002年4月にはダイエー岐阜店も閉店しマンションに建て替えられた。
当駅の所在地は岐阜市神田町であるが、駅名変更前の「新岐阜」も地元住民には一種の地名のように呼ばれており、周辺には店名に「新岐阜」を冠した店舗も多い。
利用状況
岐阜県統計書によれば、2009年(平成21年)度の一日平均乗客人員は合計17,133人、内名古屋本線が11,953人、内各務原線は5,181人であった。JR(東海道本線・高山本線とも)に運賃や所要時間で苦戦を強いられているものの、名鉄の中では名鉄名古屋駅、金山駅、栄町駅、東岡崎駅に次いで、5番目に乗客数が多い。
また、名古屋鉄道データBOOKによると、2009年(平成21年)度の一日平均乗降客数は34,633人(名古屋鉄道調べ)である。
歴史
- 初代新岐阜駅
- 1914年(大正3年)12月26日 - 美濃電気軌道笠松線(現在の名鉄名古屋本線)の新岐阜駅・新岐阜停留場開業。市内線と連絡。
- 1943年(昭和18年)2月22日 - 岐阜市内線の新岐阜停留場を駅前停留場に統合。
- 1948年(昭和23年)4月18日 - 長住町駅付近へ移転・統合し、長住町駅を新岐阜駅(2代)に改称。
- 長住町駅→二代目新岐阜駅
- 1911年(明治44年)2月11日 - 美濃電気軌道の駅前停留場が開業。
- 1913年(大正2年)8月21日 - 国鉄岐阜駅移転に伴い駅前(後の岐阜駅前)停留場が移転し、当停留場を長住町停留場に改称。
- 1928年(昭和3年)12月28日 - 各務原鉄道(現在の名鉄各務原線)の長住町駅が開業。
- 1948年(昭和23年)4月18日 - 新岐阜駅(初代)と統合し新岐阜駅(2代)に改称。また、岐阜市内線の長住町停留場を新岐阜駅前停留場に改称。
- 1957年(昭和32年)9月13日 - 現在の1番線を増設、一部を除き広江‐新岐阜間複線化。
- 1967年(昭和42年)4月 - 岐阜工場が市ノ坪に移転
- 1970年(昭和45年)6月25日 - 田神線の開通により美濃町線の電車が乗り入れ開始。
- 1970年(昭和45年)11月 - 定期券専用の自動改札機を導入。
- 1982年(昭和57年)3月 - 5、6番線ホーム延伸(4両→6両対応)、両渡り線移設。市内線との連絡線廃止。
- 1988年(昭和63年)
- 2003年(平成15年)10月18日 - 駅構内で豊川稲荷発当駅終着の急行(3100系+3500系6両編成)がオーバーランし車止めに衝突(新岐阜駅電車衝突事故)。
- 2005年(平成17年)
- 2006年(平成18年)6月24日 - 新岐阜ビル解体工事及び名鉄岐阜新駅舎建設工事着手。
- 2007年(平成19年)7月14日 - 新駅舎完成。一般利用開始。
- 2009年(平成21年)9月6日 - 商業施設「ECT (イクト)」がオープン。
- 2011年(平成23年)2月11日 - ICカード乗車券「manaca」供用開始。
- 2012年(平成24年)2月29日 - トランパス供用終了。
隣の駅
- 名古屋鉄道
- テンプレート:Color名古屋本線
- テンプレート:Colorミュースカイ
- 名鉄一宮駅 - 名鉄岐阜駅
- テンプレート:Color快速特急
- 笠松駅 - 名鉄岐阜駅
- テンプレート:Color特急(朝の名古屋方面特急の一部は笠松駅、新木曽川駅のいずれかを通過)
- 名鉄一宮駅 - 新木曽川駅* - 笠松駅* - 名鉄岐阜駅
- テンプレート:Color快速急行・テンプレート:Color急行・テンプレート:Color準急
- 笠松駅 - 名鉄岐阜駅
- ■普通
- 加納駅 - 名鉄岐阜駅
- テンプレート:Colorミュースカイ
- テンプレート:Color各務原線
- テンプレート:Color快速急行・テンプレート:Color急行
- 名鉄岐阜駅 - 切通駅
- ■普通
- 名鉄岐阜駅 - 田神駅
- テンプレート:Color快速急行・テンプレート:Color急行
- テンプレート:Color岐阜市内線(廃止)
脚注
注釈
- ↑ 名古屋本線の単線区間としてはこのほかに平井信号場 - 豊橋間がある
- ↑ 道路橋は後に鉄道線西側に移設されて2代目東陸橋となったが、JR線の高架化後に撤去された。
- ↑ 純然たる単線の距離は僅かレール1本分(約25m)。配線としての機能はダブルスリップと同様であることが言える。
出典
- ↑ テンプレート:Cite journal
- ↑ テンプレート:Cite journal
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ 渡利正彦 「岐阜市内、揖斐・谷汲、美濃町線の記録」 電気車研究会 『鉄道ピクトリアル』通巻第771号 2006年1月 臨時増刊号 「特集 - 名古屋鉄道」、114-123頁