南大沢駅

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南大沢駅(みなみおおさわえき)は、東京都八王子市南大沢二丁目にある京王電鉄相模原線である。

歴史

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駅ビル化される前の駅舎(2004年2月10日)

南大沢駅を中心とする一帯は、多摩ニュータウン東京都が施行する「西部地区」として開発されている。南大沢駅前の約20ヘクタールは、その西部地区の「地区センター」として駅と一体で整備された。

設置までの流れ

多摩ニュータウン開発計画に絡み京王帝都電鉄(当時)は、当初、相模原線橋本駅延伸に際して途中駅を一か所設置することを計画で定め、「由木平駅」の設置を決定していた。その後、多摩ニュータウン開発の進捗に伴い、マスタープランの中で複数の開発住区に対する生活サービス施設を集積した「地区センター」の配置場所と定められた中間地点に、京王堀之内駅多摩境駅の設置も追加で決定している。なお、当初計画の「由木平駅」は現在の南大沢駅に当たる。

なお、由木平駅設置に際して現在の場所が決定した理由は、京王多摩センター駅橋本駅との中間地点に位置することと、ニュータウン計画で一帯が新住宅市街地開発事業地に定められ周辺に人家などがなく、白紙で駅を中心に「地区センター」とする大胆な街づくりが可能なことであった。また、当時の相模原線計画では橋本延伸後に津久井湖方面に延伸する構想があったため、優等列車の追い抜きが可能な島式ホーム2面4線設計で用地が確保された。

京王多摩センター - 橋本駅間の延伸工事のうち、当駅までの線路や駅の建設工事は比較的順調に進んでいたが、当駅と橋本駅間は用地買収などに手間がかかり全線開業が遅れることとなったため、同社はやむなく京王多摩センター - 当駅間を暫定開業させた。その最大の目的は、当駅南側の新住区で既に入居が始まっていて、代替の救済措置として暫定運行していた多摩センター駅までのバス連絡を一日も早く解消するためであった。

設置後

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開業直後の南大沢駅バス停付近。駅周辺には何もない

1988年(昭和63年)5月21日に南大沢駅は開業した。しかし、駅開設直後は駅周辺には何もない更地ばかりの状況だった。そこにあったのは「駅前の歩行者専用道路のデッキと雨避けのアーケードだけが目立つ」という様相で、新住区の団地は駅から約500m以南の遠く離れたところに建設されていた。

その後、南北双方の新住区で多摩ニュータウンの住宅建設が進捗し、東京都立大学(現・首都大学東京)やテンプル大学日本校(その後撤退)、八王子南郵便局(現・南大沢駅前郵便局、集配機能は1999年にみなみ野シティに新設した同名局に移転)が誘致された。東京都立大学は当初、南大沢ではなく立川に移転する予定であったが、立川の用地が手狭で問題視されていたため、多摩ニュータウン開発により土地が確保できる南大沢に移転することになった。また大規模商業施設「ガレリア・ユギ」を建設し総合スーパー百貨店の進出があった。

しかし、誘致過程で駅勢人口が充分ではなく、百貨店や総合スーパーが相次いで撤退した時期もあったが、街のニーズや成熟度に従って1997年(平成9年)以降、同施設の増・改築や新規開発を実施し、新たなテナントのスーパーやアウトレットモールシネマコンプレックスなどを誘致した。この結果住民の営みを支える、市立の文化会館などの公共公益施設も建設され「地区センター」として相応しい街の様相を呈している。加えて、相模原線の急行運転開始に伴い、当駅が急行停車駅となったことからも利用者数が増加している。なお、2001年(平成13年)まで運転されていた特急は当駅は通過していたが、2013年(平成25年)に特急が復活した際には当駅も特急停車駅となった。

年表

  • 1988年昭和63年)5月21日 - 京王多摩センターからの暫定開業時に開業。各駅停車・通勤快速の全列車が停車する(快速はこの時京王多摩センター折り返し)。
  • 1991年平成3年)4月6日 - 快速の停車駅となる。
  • 2001年(平成13年)3月27日 - 相模原線の急行運行開始に伴い、急行の停車駅となる。
  • 2007年(平成19年)7月31日 - 駅改良工事完了。「フレンテ南大沢」開業。
  • 2009年(平成21年)12月3日 - 地上5階建ての「フレンテ南大沢」新館が開業。
  • 2013年(平成25年)2月22日 - 相模原線の特急(2代目)運行開始に伴い、特急の停車駅となる(2001年まで走っていた初代特急は通過していた)。同時に通勤快速が区間急行に改称される。

駅名の由来

江戸時代、現在の八王子市付近には二つの「大沢村」があり、当駅周辺は南にある大沢村であることから「南大沢」と名付けられた。相模原線延伸工事計画時の駅名仮称は「由木平」だったことは前記した。「由木」とはこの地域全体が八王子市に編入前、行政地名が「南多摩郡由木村」であったことに由来する。

駅構造

土工により地形を整地した南面片側が掘割式の相対式ホーム2面2線を持つ地上駅橋上駅舎を有している。元々、島式ホーム2面4線設計で用地が確保されていたため、構内は広々としたつくりになっている。鉄骨造りの橋上駅構造としているが、バスターミナルのある駅前広場や、歩車を分離した歩行者専用道路のある地盤の同レベルに人工地盤とした駅舎改札口があるため、駅への出入りは平面のバリアフリーで行うことができる。

なお、駅舎には小規模な店舗施設が併設されていたが、歩行者専用道路のある人工地盤を挿んだ橋本駅寄りのプラットホーム線路上に、新たに店舗施設の建物がオープンした。

相模原線の橋本駅への延伸工事の際に、同駅周辺の用地買収の遅れが原因で、開業が遅れることになった。そのため、同駅開業までの間は当駅が始発・終着駅となり、橋本寄りの下り本線が折り返し用の引き上げ線に利用され、1番線に到着した当駅終着列車は引き上げ線で折り返して2番線の乗車用ホームへと入線した。橋本延伸後、渡り線は非常時折り返し運転用に残してあるが、現行の営業用としては使われていない。

改札口とホームとの間にはエレベーターエスカレーターが設置されている。エスカレーターは改良工事の際に上り方向のほか、下り方向のものも増設された。

トイレは駅舎内にあり、ユニバーサルデザインの一環として「だれでもトイレ」も設置されている。

のりば

番線 路線 方向 行先
1 テンプレート:Color相模原線 下り 橋本方面
2 テンプレート:Color相模原線 上り 調布明大前笹塚新宿都営新宿線方面

利用状況

2013年度の一日平均乗降人員62,530人である。多摩ニュータウンの駅としては京王多摩センター駅に次いで第2位である[1]

駅周辺に大規模商業施設の開設、都立4大学改組による首都大学東京の開設などにより、乗降人員数は増加傾向にある。2009年度には京王八王子駅を抜き、八王子市内の京王電鉄の駅としては第1位となった。また、乗換駅である京王稲田堤駅京王永山駅より多く、京王稲田堤駅とほぼ同等の増加率だった。

開業以降の一日平均乗降・乗車人員の推移は下表のとおりである。

年度 1日平均
乗降人員
1日平均
乗車人員
出典
[2] 1988年(昭和63年) 7,563
1989年(平成元年) 10,816
1990年(平成テンプレート:02年) 13,216 6,307 [3]
1991年(平成テンプレート:03年) 21,328 10,604 [4]
1992年(平成テンプレート:04年) 26,488 [5]
1993年(平成テンプレート:05年) 28,769 14,419 [6]
1994年(平成テンプレート:06年) 31,353 15,710 [7]
1995年(平成テンプレート:07年) 33,460 16,697 [8]
1996年(平成テンプレート:08年) 34,181 17,052 [9]
1997年(平成テンプレート:09年) 35,805 17,915 [10]
1998年(平成10年) 38,113 19,255 [11]
1999年(平成11年) 39,414 19,683 [12]
2000年(平成12年) 44,004 22,104 [13]
2001年(平成13年) 46,207 23,197 [14]
2002年(平成14年) 48,947 24,597 [15]
2003年(平成15年) 50,554 25,333 [16]
2004年(平成16年) 51,123 25,633 [17]
2005年(平成17年) 51,585 25,778 [18]
2006年(平成18年) 52,992 26,430 [19]
2007年(平成19年) 56,238 27,932 [20]
2008年(平成20年) 58,193 28,915 [21]
2009年(平成21年) 60,501 30,055 [22]
2010年(平成22年) 60,396 29,970 [23]
2011年(平成23年) 60,097 29,779 [24]
2012年(平成24年) 61,111
2013年(平成25年) 62,530

駅周辺

テンプレート:See also

北方面

南方面

(参考)駅周辺は、八王子市および南大沢警察署の「違法駐車取り締まり重点地域」ならびに「自動二輪原動機付バイク取り締まり重点地域」に指定されている。また路上喫煙禁止地区にも指定されている。

バス路線

京王バス南神奈川中央交通の2社の路線が乗り入れる。

路線の詳細は京王バス南・南大沢営業所神奈川中央交通多摩営業所をそれぞれ参照。

1番のりば

  • 京王・神奈中「南51」系統:大平公園先回り 南大沢団地循環(深夜バスあり)
  • 京王・神奈中「南52」系統:赤石公園先回り 南大沢団地循環

2番のりば

  • 京王・神奈中「堀03」系統:大平公園・長池小学校経由 京王堀之内駅行(平日のみ深夜バスあり)

3番のりば

  • 京王「南60」系統:だいり谷戸公園経由 南大沢五丁目循環
  • 京王「南60」系統:だいり橋・南大沢五丁目経由 南大沢五丁目循環
  • 京王「南60」系統:だいり橋・南大沢五丁目経由 だいり谷戸公園行(深夜バス)
  • 京王「南61」系統:だいり橋・南大沢五丁目経由 多摩美術大学行
  • 京王「南61」系統:だいり橋・南大沢五丁目経由 水浦団地入口行
  • 京王「南62」系統:だいり谷戸公園経由 多摩美大前行
  • 京王「NT01」系統:だいり橋・南大沢五丁目・だいり谷戸公園・多摩境駅経由 橋本駅行(深夜バス 多摩センター駅始発)

4番のりば

  • 京王「北03」系統:殿ヶ谷戸経由 北野駅北口行(深夜バスあり)
  • 京王「八60」系統:殿ヶ谷戸・北野駅南口経由 八王子駅南口行
  • 京王「八61」系統:中山・北野駅南口経由 八王子駅南口行

5番のりば

  • 京王      「桜80」系統:由木折返場経由 聖蹟桜ヶ丘駅行
  • 京王・神奈中「桜84」系統:板橋・帝京大学入口経由 聖蹟桜ヶ丘駅行
  • 京王・神奈中「桜84」系統:横井手・宮下経由 相模原北口行

6番のりば

  • 京王          「南63」系統:上柚木・多摩美大経由 橋本駅北口行
  • 京王          「南64」系統:首都大北経由 京王堀之内駅行
  • 京王・東京空港交通「成田多摩センター線」:成田空港行
  • 京王・東京空港交通「羽田多摩センター線」:羽田空港行
  • 京王:         「多摩河口湖線」:富士急ハイランド・富士山駅経由 河口湖駅行
  • 京王:         「立川飯田線」:伊那インター・駒ヶ根インター経由 飯田駅行

その他

  • 新宿駅西口発橋本駅行きの深夜急行バスが設定されている。

多摩ニュータウン「西部地区」の開発

南大沢駅周辺は、多摩ニュータウン西部地区の中心として開発され、「西部地区センター」に位置づけられている。

東京都施行の新住宅市街地開発事業である「西部地区」では、1965年12月から山林部分の用地買収が行われ、1971年7月には当時の建設大臣から新住宅市街地開発事業の事業許可を得て、同年11月から集落部分の土地買収に着手した。その際に、谷戸部分も出来るだけ事業区域に含んで計画されることになったが、強制買収を可能とする新住宅市街地開発事業といえども相当数の家屋を有する状態となっていて、このために、既存住民の移住先となる大量の「優先分譲地」を確保する計画となった。これを受け、まずは1971年頃から、工事用道路の整備に加えて優先分譲地の先行整備が始められた。そして、大方の家屋移転が完了した後の1978年度から、本格的な土地造成に着手することとなった。[26]

東京都八王子市の協議では「多摩ニュータウン西部地区開発大綱」がまとめられ、これに沿って開発が進められた。そのなかで南大沢駅前には「西部地区センター」として20ヘクタール程度の土地が確保されることとなり、「商業業務施設や、その他公益的施設を整備する」ことが位置づけられた。そしてそのなかで京王相模原線多摩センター駅から南大沢駅まで単に延ばすのではなく、一挙に横浜線橋本駅まで延ばすという考え方も示された。[26]

また同時に埋蔵文化財の調査では、勝手に発掘範囲が拡大されてたり、二重三重の発掘が始まって予想以上に時間がかかるなどし、土地造成に大きな支障がでる事態がいくつも発生していたことから、事前に遺跡の存在範囲を正確に確認するべく「基礎調査」が1976年から3か年にわたって行われた。結果、多摩ニュータウン全体で遺跡数883ヶ所、遺跡面積357ヘクタール、西部地区だけでも297ヶ所、100ヘクタールもの大量の遺跡が見つかり、いずれにしろ開発スケジュールの大幅なスローダウンは避けられないとして、新たに発見された遺跡のうち、重要そうで時間のかかりそうなところは土地利用変更で対処が行われることとなった。1977年から1978年の前半にかけて土地利用変更し、半年余りで建設大臣に「施行計画届出」が行われた。[26]

こういったイレギュラーな形の施行計画届出がされ、1983年3月には、小学校と中学校そして中層住宅1,018戸で西部地区の最初の入居が第14住区で果たされることになった。しかし道路は未完成で、住宅建設と道路建設が同時期になってしまい、現場では「今日はどこの道路を通って行けばいいんだよ」というやり取りが行われていた。鉄道も多摩センター駅までしか開通しておらず、多摩ニュータウン通りから多摩センター駅に向かうバスサービスで対応されていたが、その多摩ニュータウン通りも土地区画整理事業の遅れで一部が完成しておらず、片側だけでやっと通行できる状況だった。[26]

東京都立大学(現:首都大学東京)は当初、立川への移転が予定されていたが、立川の用地が手狭で大学内で問題となっていたことから多摩ニュータウンに移転することになった。[27]この移転のため、西部地区の計画はさらなる見直しがされ、第20住区の「松木・日向緑地」を含めた約42ヘクタールの土地に用地が確保された。これに伴って住宅用地が減少するため、全体的に高層住宅の比率を上げることで、全体の住宅戸数を減らさない対応がなされた。さらに第16住区には「誘致業務施設用地を設定する」とされ、「東京都の中の福祉局や教育庁から要請があった老人福祉施設や身障者福祉施設や養護学校を配置する」ことが決定した。しかし八王子市側は大学誘致を全く歓迎しておらず、東京都は八王子市との交渉に難航する。最終的に八王子市からは市内にある富士森公園級の公園を市内にもう2か所作るという交換条件が出され、東京都側はしぶしぶ呑むこととなった。[26]

それから南大沢駅前の「西部地区センター」も見直しがされ、近隣公園をセンターエリアの南端に配置し、東京都立大学まで抜ける歩行者専用の「南北軸」を形成するという位置づけとなった。南大沢駅の南側には、商業施設や八王子市管理の公益施設を入れること、東京都立大学の手前には、大学関連の施設を入れるとともに住宅を乗せるといったことも計画された。1984年の最終的な見直しでは、京王相模原線多摩ニュータウン通りを跨ぐ巨大な「南北ペデストリアンデッキ」に駅改札口が面するようにし、南端には駅前広場も設け、そのバス乗降場には雨除けのキャノピーを設けることとされた。そしてようやく1987年5月に京王相模原線「南大沢駅」が開設された。[26]

1991年東京都立大学南大沢キャンパスが開設され、1992年には「そごう」のジュニアデパートと、スーパーの「忠実屋」がキーテナントの南大沢駅前で最初の商業ビル「ガリレア・ユギ」が開業した(現在のイトーヨーカドー)。また八王子市1996年4月に「フレスコ南大沢」という土地信託ビルを建設し、そこには八王子市の文化施設が併設されている。2000年9月には定期借地方式により三井不動産が、「ラ・フェット多摩」(現:三井アウトレットパーク多摩南大沢)を開業し、街の賑わいを創出している。[26]

第15住区の建設においては、公団施行区域にて多摩センター駅周辺と一体で整備された落合・鶴牧地区で優れた景観計画が行われていたことから、それに触発される形で東京都側でも綿密な景観計画が実践されることになった。東京都と八王子市だけでなく、公団が大いに協力して進められることになり、これらで「15住区住宅企画会議」が組織され、その会議の場で景観計画上の調整を行うことが決められ、そのもとに実働部隊となる「景観等調整会議」を作ってスタートされた。その中心となる計画を担う専門家を1人置き、マスタープランの作成と全体の調整を行いながら実現を図っていったのが、のちに数々の賞を獲得する「ベルコリーヌ南大沢」となった。この住区の景観計画は、第20住区、21住区、16住区でも統一して実施され、相互に歩行者専用道路(遊歩道)がネットワークされて、車道を一切横断することなく各住区から駅前までの移動を可能にしている。[26]

なお2001年東京都住宅供給公社都市再生機構(旧住宅都市整備公団)はともに分譲住宅の建設事業から撤退したため、今後は南大沢駅周辺を含む多摩ニュータウンの未開発用地において、民間の事業者による分譲マンション等が建設される計画である。

隣の駅

京王電鉄
テンプレート:Color相模原線
テンプレート:Color特急・テンプレート:Color急行
京王多摩センター駅 (KO 41) - 南大沢駅 (KO 43) - 橋本駅 (KO 45)
テンプレート:Color区間急行・テンプレート:Color快速・テンプレート:Color各駅停車
京王堀之内駅 (KO 42) - 南大沢駅 (KO 43) - 多摩境駅 (KO 44)

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

関連項目

外部リンク

テンプレート:Sister

テンプレート:京王相模原線
  1. 京王グループ 1日の駅別乗降人員
  2. 駅開設年度
  3. 東京都統計年鑑(平成2年)228ページ
  4. 東京都統計年鑑(平成3年)234ページ
  5. 東京都統計年鑑(平成4年)
  6. 東京都統計年鑑(平成5年)
  7. 東京都統計年鑑(平成6年)
  8. 東京都統計年鑑(平成7年)
  9. 東京都統計年鑑(平成8年)
  10. 東京都統計年鑑(平成9年)
  11. テンプレート:PDFlink
  12. テンプレート:PDFlink
  13. 東京都統計年鑑(平成12年)
  14. 東京都統計年鑑(平成13年)
  15. 東京都統計年鑑(平成14年)
  16. 東京都統計年鑑(平成15年)
  17. 東京都統計年鑑(平成16年)
  18. 東京都統計年鑑(平成17年)
  19. 東京都統計年鑑(平成18年)
  20. 東京都統計年鑑(平成19年)
  21. 東京都統計年鑑(平成20年)
  22. 東京都統計年鑑(平成21年)
  23. 東京都統計年鑑(平成22年)
  24. 東京都統計年鑑(平成22年)
  25. 由木地域研究会
  26. 26.0 26.1 26.2 26.3 26.4 26.5 26.6 26.7 『多摩ニュータウンアーカイブプロジェクト -第1編-』 多摩ニュータウン学会、2010年、p.244-253。
  27. 北條 晃敬 『多摩ニュータウン開発の全貌 -私にとっての「多摩ニュータウン」-』 多摩ニュータウン歴史研究会、2012年、144頁。