ジープ
ジープ(英語:Jeep®)は、クライスラー社の四輪駆動車のブランドである。
目次
概要
第二次世界大戦中の1940年にアメリカ陸軍の要請により開発着手され、翌1941年から実戦投入開始された小型四輪駆動車がその元祖である。第二次大戦において連合国軍の軍用車両として広く運用され、高い耐久性と悪路における優れた走行性能で軍事戦略上でも多大な成果を挙げた。
その高性能は小型四輪駆動車の有用性を世界各国で広く認知させ、第二次大戦後に軍用・民生用を問わず同種の四輪駆動車が世界的に普及する端緒となり、「ジープ」は単なるブランドに留まらず、その優れた設計と名声から民生のクロスカントリーカーや小型軍用車両の代名詞となった。
Jeepという名称はGeneral Purpose(万能)、もしくはGovernment-use(政府用)のGとホイールベース 80インチの車両を表す識別符号のPからきた符号GPから"ジープ"と命名されたという説や、漫画『ポパイ』に登場する「ユージン・ザ・ジープ」からとったという説がある。明確な起源は判然としないが、すでに1941年にはこの通称が用いられ始めていた記録がある。
ジープの名称は自然発生的なものであったが、第二次大戦後、製造メーカーのウィリス・オーバーランド社によって商標登録された。その後は製造メーカーの合併や買収などで商標権は転々とし、2013年時点ではクライスラー社の保有するブランドとなっている。第二次大戦型のオリジナル・ジープからデザインモチーフなどを引用したのみの現行モデルに至るまでその名称は継承されている。
歴史
1940年、アメリカ陸軍需品科はポーランド侵攻におけるキューベルワーゲンの活躍に注目し、同年7月に135社の自動車製造会社に大まかな設計要件を伝え、4輪駆動の小型偵察車開発計画に応札することを緊急要請した。しかし開発期間と要求スペックは厳しいものでゼネラルモーターズもフォード・モーターも応えられず[1]、アメリカでは主流から外れた小排気量の小型車に関するオーダーでもあったため、オファーに応じたのは中・小型車メーカーのウィリス・オーバーランド社と、元来小型車メーカーで経営不振に喘いでおり、延命手段を必要としていたアメリカン・バンタム社のみ、しかもウィリスは開発時間と条件の厳しさから途中で入札を取りやめるという始末であった。
要求スペックには「地雷を踏んでタイヤ4本のうち2本を失った場合でも、スペアタイヤを含めた残り3本で100kmの走行が可能であること」「車載工具ですべての修理が可能であること」という条件が入っていたという[2]。開発を委ねられたものの、十分な設計能力を欠いたバンタムでは、社外の自動車設計者カール・K・プロブストを招聘、彼を中心に突貫作業で開発を開始した。プロブストは、軍の提示した条件から部分的に逸脱することも辞さず、頑丈で悪路に強い四輪駆動小型軍用車の促成設計を目指した。問題は車両重量で、軍の提示した当初のスペックは自重1,275ポンド(≒585kg)という、要求された走行性能や荷重を配慮すると絶対実現不能な値であった。プロブストはこれをあっさりと無視し、自重1トン弱(2,000ポンド級)で現実的な車両開発を目論んだが、結果としては賢明であった。
シンプルなはしご型シャーシに、前後とも縦置きリーフ・スプリングで吊られたリジッド・アクスルを備える単純堅牢な構造とし、社外のエンジン専業メーカーであるコンチネンタル製の小型車用サイドバルブ水冷直列4気筒を搭載、簡易なオープンボディを架装した。この基本構成は以後の第二次世界大戦型ジープに踏襲されることになる。エンジンに限らず、小型車用の汎用部品を多用して開発期間短縮が図られた。
バンタム最初の試作車はわずか2ヶ月足らずの期間で9月21日に完成、9月23日の納入期限最終日に自走でメリーランド州ボルチモアの陸軍補給基地へ到着、納入された。その後1か月に及ぶ過酷なトライアルによって、基本性能の高さが確認された。
これによって増加試作車の生産が計画されたが、弱小企業であるバンタム社の生産能力を危惧した陸軍は設計図をウィリス・オーバーランド社とフォード・モーター社にも公開し、改良を命じた。2次試作車はバンタム、ウィリス、フォードの競作となった。バンタム社は自社プロト車の改良型を、また、ウィリスは「クァッド」(QUAD)、フォードは「ピグミー」(Pygmy)と称するプロトタイプをそれぞれ11月中に開発、提示。各車ともバンタムの原型に近似していたが、重量超過問題はウィリスもフォードも解決しようがなく、結局は軍が自重制限を2,160ポンド(≒981kg)に大幅緩和して、強度確保を重視した設計に転換できることになった。
3社はそれぞれ1,500台の増加試作車を発注され、バンダム社は40BRC、ウィリス社はウィリスMA、フォード社もフォード・GPと呼ばれるプロトタイプを緊急生産した。なお、従前はフェンダー上に配置されていたヘッドライトをボンネット内にグリルと共に配置した機能的デザインはフォードGPが起源で、以後のジープの独特な容貌を形成する端緒となった。1941年上半期に3社合わせて数千台規模の四輪駆動試作車がヨーロッパ戦線やロシア戦線で実戦投入され、詳細に評価された。7月、3社の試作車中でもっとも強力で性能が優れていると評価されたウィリスMAがトライアルの勝者となり、これに改良を加えたMBが正式採用される。フロントノーズのデザインはフォードGPの流儀が取り入れられた。
1942年から同一仕様のウイリスMB、フォード・GPWの生産が始まる。フォードは絶大な大量生産能力を買われてウィリスと完全互換・同一仕様での製造を委託されたものである。ただし、全ての部品に社名の頭文字であるFの字が見られる1942年型(スクリプトフォード)には車体後部に大きく社名がプレスされている、シャーシのクロスメンバーがMBより一本少ない、最前部クロスメンバーの作りが異なるなど、互換性を残す範囲での独自設計となっていた。バンタムは企業規模が小さいため、ジープ生産からは外され、より生産量の少ない大型の軍用車生産を割り当てられた(戦後、同社は倒産した)。
以後、第二次世界大戦終戦までに膨大な台数のMB・GPWが生産されることになる。
同年中に日本陸軍がフィリピン作戦にてバンタムMk II(BRC-60)を鹵獲、内地に持ち帰る。これをコピーするようトヨタ自動車に命じ、1944年8月にトヨタ呼称AK10型として試作車5台が出揃い御殿場で試験された。その結果、陸軍・四式小型貨物車として制式採用されるが極度の資材欠乏と労働力低下から生産が間に合わずジープのような活躍の記録はない。また、このAK10型と戦後のトヨタ・ジープ、のちのランドクルーザーとの設計面でのつながりも一切ない。
軍用Jeep生産台数
モデル | 生産年 | 生産台数 |
---|---|---|
Bantam pilot | 1940年 | 1台 |
Bantam Mk II / BRC-60 | 1940年 | 69台 |
Willys Quad | 1940年 | 5台 |
Ford Pygmy | 1940年 | 1台 |
Bantam BRC-40 | 1941年 | 2,605台 |
Willys MA | 1941年 | 1,553台 |
Ford GP | 1941年 | 4,456台 |
Willys MB | 1942年-1945年 | 36万1,339台 (25,808 スラットグリル+335,531 プレスグリル) |
Ford GPW | 1942年-1945年 | 27万7,896台 |
第二次世界大戦中 小計 | 1940年-1945年 | 64万7,925台 |
その他 | ||
Ford GPA 'Seep' (水陸両用車) |
1942年-1943年 | 1万2,778台 |
戦後 | ||
Willys M38(MC) | 1950年-1952年 | 6万1,423台 |
Willys M38A1(MD) | 1952年-1957年 | 10万1,488台 |
Willys M606(CJ-3B) | 1953年-1968年 | ?(15万5,494台生産されたCJ-3Bの一部) |
Willys M170 | 1954年-1964年 | 6,500台 |
海外生産
- フランスではオチキス(ホッチキス)社で1954年からライセンス生産が行われた。
- 日本では新三菱重工業(後に分社して三菱自動車工業)がウィリス社のジープ(CJ-3A、すぐにCJ-3Bに切り替わる)のノックダウン生産を1953年より始めた。この三菱・ジープは陸上自衛隊の採用中止に伴い、1998年に生産終了となった。
- 中国では第二次世界大戦中、日本との戦争に向けてライセンス生産をしていた。当時約2,000台を生産し戦場へ供給された。1984年に当時のAMCとの合弁企業「北京ジープ」が設立され、現在でもジープチェロキー(XJ)が生産されている。
- 韓国では双龍自動車(Ssangyong Motor)が「コランド」の名でCJ-7をはじめ、双龍オリジナルのバリエーションモデルのライセンス生産を行っていた。
- インドでは、マヒンドラ&マヒンドラ社が現在でもライセンス生産を行っている。
- ソ連は第二次大戦中、アメリカの物資援助で運ばれたジープをコピーしGAZ-67/67Bなる独自の小型トラックを開発。戦中から戦後にかけて6万台以上製造され、ソ連や旧共産圏、中国、北朝鮮、モンゴルに配備された。
- ミャンマーでは国産化されており、「ミャンマージープ」という通称で軍・警察で大量に採用されている他、民間においても販売されている。独自の改良が施されており、国産部品の他、日本製の部品も用いられている。
ブランド
第二次世界大戦後、ウィリス・オーバーランド(Willys)社が商標を所有していたが、ウィリス・オーバーランド社を1953年にカイザー(Kaiser)が買収し、社名をウィリス・モーターズ・インコーポレーテッドとして子会社化。1963年にはカイザー自体が社名を「カイザー=ジープ・コーポレーション」とした。カイザー=ジープ社は1970年にはアメリカン・モーターズ(AMC)に買収される。AMCは1980年にはルノー傘下に入り1987年にはAMCがクライスラー社に吸収され、クライスラー社も1998年にダイムラー・ベンツと合併しダイムラー・クライスラーとなった。2007年にダイムラー・クライスラーはクライスラー部門を米投資会社サーベラス・キャピタル・マネジメントに売却、現在はクライスラー(Chrysler LLC)の一部門・ブランドである。
車種一覧
現行モデル
過去のモデル
- トラディショナル ジープ
オリジナルのウイリス・ジープ(ホイールベース=W/B 90インチ)に近いスタイル。
- ピックアップトラック
- キャブオーバートラック
- ジープ・フォワードコントロール(FC 1956年-1965年)
- ディスパッチャー
- DJ-3
- DJ-5
- DJ-6
- パッセンジャーカー
その他
- ジープのフロントグリルの縦格子デザインは著作権で保護されており、そのためフォード社がアメリカ軍のジープ後継車輌として開発・生産したM151では横格子になっている。
- 本田技研工業初の自社開発SUVであるホンダ・CR-Vが発表されるまでの間、ホンダのディーラーでジープ各車種が販売されていた。また、ビッグスリー初の日本向け右ハンドル車はチェロキー(XJ)だった。
- ジープはタイヤを車輪に取り換えれば鉄道の線路上を走れるため、第二次世界大戦の最中から用いられた。テンプレート:See also
参考文献
- 石川雄一(ジープの歴史):『Jeep Truck 1/4 ton 4x4 Utility』、4x4 Magazine、1980年
- D.Denfeld / M.Fry:『ジープ:不滅の戦闘車両』、サンケイ出版、1981年
- 大塚康生 (太平洋戦線で戦うジープ):『ジープ:太平洋の旅』、ホビー・ジャパン、1994年、ISBN 4-89425-039-X
- 影山夙:『図解 四輪駆動車:322点の図・写真で綴る4WDの技術と発展史』、山海堂、2000年、ISBN 4-381-07743-1
- 山縣敏憲『クラシックカメラで遊ぼう ボクがカメラ中毒者になったわけ』、グリーンアロー出版社、ISBN 4-7663-3322-5
関連項目
- クライスラー
- ダッジ
- AMゼネラル
- IKA(カイザー社のアルゼンチン拠点。ここでもジープを生産していた)
- 三菱・ジープ
- SUV
- オフロード
- ジープニー
- ルピコン・トレイル
- セレック・トラック
- コマンド・トラック
- クォドラ・トラック
- M151(アメリカ軍の後継車両、通称ケネディジープ)
- ハンヴィー(M151の後継車両)
- 73式小型トラック(自衛隊の制式車両)
- キューベルワーゲン(ドイツ軍で活躍したジープの先輩)
外部リンク
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テンプレート:クライスラーグループ車種年表 テンプレート:自動車 テンプレート:Car-stub