沢田美喜
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沢田 美喜(さわだ みき、1901年9月19日 - 1980年5月12日)は、日本の社会事業家。本名は澤田 美喜(読みは同じ)。
三菱財閥の創業者・岩崎弥太郎の孫娘として生まれ、外交官の沢田廉三と結婚。4人の子に恵まれる。敗戦後、エリザベス・サンダースホームを創設し、2000人近くの混血孤児を育て上げた。
略歴
- 1901年9月19日:三菱財閥の3代目総帥・男爵岩崎久弥の長女として東京府東京市本郷区(現在の東京都文京区)に生まれる。岩崎家の宗教は真言宗だった。母・寧子は子爵保科正益(飯野藩第10代目藩主)の長女。伯爵加藤高明(元総理大臣)と男爵幣原喜重郎(元総理大臣)は叔父(夫人が久弥の姉妹)であった。
- 1903年1月20日:妹・澄子(伯爵甘露寺受長の弟・方房に嫁ぐ)誕生。
- 1907年:東京女子高等師範学校附属幼稚園(現在のお茶の水女子大学附属幼稚園)に入園。
- 1908年7月8日:妹・綾子(福澤諭吉の孫・堅次に嫁ぐ)誕生。
- 1916年:東京女子高等師範学校附属高等女学校(現在のお茶の水女子大学附属中学校・お茶の水女子大学附属高等学校)を中退し、津田梅子らの家庭教師について学習。
- 1922年7月:クリスチャンの外交官・沢田廉三と結婚してキリスト教に改宗。
- 1923年:夫・廉三のアルゼンチン・ブエノスアイレスへの転任に伴い同行。長男・信一誕生。4月8日、祖母・喜勢死去。
- 1924年:廉三の中国・北京への転任に伴い同行。次男・久雄(声楽家・安田祥子の夫)誕生。
- 1925年:三男・晃(洗礼名ステパノ、聖ステパノ学園及び聖ステパノ農場の名はここに由来)誕生。
- 1927年:日本に帰国。
- 1928年:長女・恵美子誕生。
- 1931年:夫・廉三の英国・ロンドンへの転任に伴い同行、孤児院ドクター・バーナードス・ホーム訪問。院長の『捨てられた子を引っ張りだこになるような人間に変えるのは、素晴らしい魔法だ』という言葉に感銘を受ける。
- 1933年:夫・廉三のフランス・パリへの転任に伴い同行、ジョゼフィン・ベーカーと出会い友人となる。このころマリー・ローランサンの弟子となる。
- 1935年:夫・廉三の米国・ニューヨークへの転任に伴い同行。パール・S・バックと出会い友人となる。
- 1936年:米国より帰国。
- 1937年9月12日:妹・澄子死去。敬虔なクリスチャンとなった美喜の影響もあり、死に際して洗礼を受ける。
- 1939年:日系2世留学生を受け入れる外務省施設「敝之館(へいしかん)」「瑞穂館」の設立に伴い、瑞穂館の応援団長となる。入館者の相談によく乗り、また野球チームのマネージャーになるなど、母親のように慕われた[1]。
- 1944年3月10日:母・寧子死去。
- 1945年:三男・晃がインドシナ沖で戦死。海軍志願兵だった。終戦後、旧岩崎邸の本館がGHQ/SCAP参謀部G2(情報部)に接収され、和館での生活を余儀なくされる。1947年にはG2所属の日系2世職員家族が同居し、美喜は誕生した子供の育児指導をしている[2]。
- 1947年2月:列車内で死亡した混血児の母親と間違われ、混血児救済を決心。
- 1948年2月:孤児院エリザベス・サンダース・ホームを設立する。進駐軍と日本政府から迫害をうけ、経営は窮乏を極めた。
- 1949年:ホームの寄付金を募るためにアメリカで講演会を行う。(このころ、ニューヨークで澤田家はグレース・ケリーと親交をもち美喜および長女恵美子の親しい友人となっていく。)
- 1950年:ホームに基金を作るため、再びアメリカで講演会を行う。
- 1953年:学校法人聖ステパノ学園を創立。ホームの小学校と中学校である。
- 1955年12月2日:父・久弥死去。
- 1962年:ブラジルのアマゾン川流域の開拓を始め、聖ステパノ農場を設立。孤児院の卒園生が数多く移住。
- 1967年:4月2日に三兄・恒弥が、9月8日に長兄・彦弥太が相次いで死去。
- 1970年12月8日:夫・廉三死去。
- 1980年5月12日:スペインのマヨルカ島にて心臓発作のため78歳で急死。
主な著書
- 『混血児の母、エリザベス・サンダ-ス・ホ-ム』(毎日新聞社、1953年)
- 『歴史のおとし子 エリザベス・サンダース・ホーム10年のあゆみ』(読売新聞社、1958年)、写真解説
- 『黒い肌と白い心』(日本経済新聞社、1963年)
- 新版 『黒い肌と白い心 サンダース・ホームへの道』 (<人間の記録>日本図書センター、2001年) ISBN 482055963X
- 『黒い十字架のアガサ』(毎日新聞社、1967年)
- 『母と子の絆 エリザベス・サンダース・ホームの三十年』(PHP研究所、1980年)
テレビ番組
- 第9回NHK紅白歌合戦(NHK、1958年)審査員
- 『子供たちは七つの海を越えた~サンダースホームの1600人』(日本テレビ系、1978年7月12日)
- テレビ東京開局45周年記念6夜連続特番第4弾『トンネルの向こうはぼくらの楽園だった』
- DRAMA COMPLEX 『二千人の孤児の母 澤田美喜物語』(日本テレビ系、2006年8月15日 松坂慶子が演じた)
受賞・栄誉
脚注
- ↑ 立花譲『帝国海軍士官になった日系二世』(築地書館、1994)80頁
- ↑ 立花譲『帝国海軍士官になった日系二世』(築地書館、1994)202頁。この職員は元帝国海軍中尉で、美喜の長男沢田信一と同部隊という縁があった。