秋保温泉

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テンプレート:日本の温泉地 テンプレート:座標一覧 テンプレート:Mapplot 秋保温泉(あきう[† 1][1][2]おんせん)は、宮城県仙台市太白区秋保町湯元(旧国陸奥国明治以降は陸前国)にある温泉仙台都心からも近いため、宿泊のみならず、日帰り入浴にも利用されている。同じ宮城県の鳴子温泉福島県飯坂温泉とともに奥州三名湯に数えられた。

泉質

温泉街

ファイル:Miyagi-kotsu-bus-Akiu-onsen.jpg
秋保温泉街(湯元地区)

仙台都心から見て西南西、旧秋保町内の東西に長い秋保盆地にあり、名取川が形成した河岸段丘の段丘面上に温泉街が広がる。温泉街付近では、段丘崖と名取川により磊々峡[[[:テンプレート:座標URL]]38_13_26_N_140_43_45.6_E_region:JP&title=%E7%A3%8A%E3%80%85%E5%B3%A1 地図])と呼ばれる渓谷が続く。

秋保温泉旅館組合に加盟する温泉宿泊施設(旅館ホテル)は名取川右岸(南岸)にほとんどがあるが、観光案内所の機能も持つ「秋保・里センター」(せんだい秋保文化の里センター、[[[:テンプレート:座標URL]]38_13_30.4_N_140_43_37.2_E_region:JP&title=%E7%A7%8B%E4%BF%9D%E3%83%BB%E9%87%8C%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC 地図])あるいは秋保温泉入口交差点をはさんで西側([[[:テンプレート:座標URL]]38_13_38.4_N_140_43_12.8_E_region:JP&title=%E7%A7%8B%E4%BF%9D%E6%B8%A9%E6%B3%89+%E8%A5%BF%E9%83%A8%E5%9C%B0%E5%8C%BA 地図])と東側([[[:テンプレート:座標URL]]38_13_20.4_N_140_43_55.4_E_region:JP&title=%E7%A7%8B%E4%BF%9D%E6%B8%A9%E6%B3%89+%E6%9D%B1%E9%83%A8%E5%9C%B0%E5%8C%BA 地図])とに分かれて集積しており、西側のさらに名取川上流の神ヶ根温泉([[[:テンプレート:座標URL]]38_14_34.5_N_140_41_29.6_E_region:JP&title=%E7%A5%9E%E3%83%B6%E6%A0%B9%E6%B8%A9%E6%B3%89 地図])まで計16館(客室総数1,242室、総収容人員6,172人/日)がある[3]奥羽山脈二口峠を越えて仙台と山形を最短でつなぐ二口街道が当地を貫いており、「秋保・里センター」の西側地区には平安時代に起源を有する宿のほか、江戸時代寛永年間あるいは元禄年間に創業した老舗旅館が建ち並んでいる。

温泉街は仙台都心から車で30程度と近く、数百台を収容できる駐車場、数百人を収容できるコンベンションホール、そして、高級ホテルスイートルームに匹敵する部屋(離れ)を有する施設が複数存在し[4]仙台都市圏で最高の価格とサービスを提供しているため、仙台におけるコンベンション地区として機能し、賓客接待にも用いられている。同様に仙台郊外には松島などにも高級ホテル・旅館が存在することから、仙台都心にいわゆる高級ホテルが立地できない要因ともなってきた。

2008年平成20年)の仙台・宮城デスティネーションキャンペーンに合わせて松島に松島温泉が開湯し、仙台都心では2010年(平成22年)に仙台トラストタワーに外資系高級ホテルのウェスティンホテル仙台が開業したため、競争激化から秋保温泉も変革を余儀なくされているが、それでも、コンベンション機能があるホテルまたは旅館(仙台観光コンベンション協会認定)の宿泊機能で比較すれば、秋保温泉は仙台圏で最大の収容能力を有し、スイートルームも仙台圏全87室のうち41室を占めるなど、仙台圏における優位性を維持している[5]

コンベンション機能があるホテル/旅館の宿泊機能
(宿泊特化型ホテル/旅館は含まない)[5]
エリア 客室数 スイート 収容人数
日本三景松島 テンプレート:0382 室 テンプレート:03 室 テンプレート:01,634 名
仙台市 テンプレート:0289 室 16 室 テンプレート:0テンプレート:0550 名
仙台市・都心部 2,048 室 19 室 テンプレート:03,181 名
仙台市・作並温泉 テンプレート:0テンプレート:091 室 テンプレート:00 室 テンプレート:0テンプレート:0308 名
仙台市・秋保温泉 テンプレート:0876 室 41 室 テンプレート:04,461 名
蔵王遠刈田温泉 テンプレート:0377 室 テンプレート:08 室 テンプレート:01,000 名
合計 4,063 室 87 室 11,134 名

2010年(平成22年)における当地の観光客入込数は108万7867人、宿泊客数は81万8805人だった[6]。仙台都心を除く純観光地での比較では、入込数において松島357万人、鳴子温泉郷164万人に次ぐ宮城県内第3位、宿泊客数においては松島の69万人を超える宮城県内第1位の観光地である[6]

歴史

開湯時期は不明だが、古墳時代にはすでに存在したとする説も存在する。秋保温泉が歴史に登場するのは、第29代欽明天皇の代である。在位中(531年539年)に小瘡皮膚病)に感染し、八方手を尽くして治療を行ったものの一向に治らなかったが、秋保温泉の湯を搬送させ沐浴したところ数日で全快したとされ、天皇はその喜びを歌に詠んだ。

“覚束な雲の上まで見てしかな鳥のみゆけば跡はかもなし”(な鳥のみゆ=名取の御湯)

以後、秋保温泉は皇室の御料温泉の一つとして位置づけられ「御湯」の称号を賜り、別所温泉(信濃御湯)、野沢温泉(犬養御湯)(あるいはいわき湯本温泉(三函御湯))と共に「日本三御湯」と称せられるようになった。「名取の御湯」は、「拾遺集」「大和物語」などにも歌われている。御湯であるが、日本三古湯(有馬・道後・白浜)ではない。

平安時代から戦国時代にかけて、秋保温泉の「湯守役」を勤めていたのが佐藤家である。伊達政宗の仙台入府後、秋保温泉に藩主の御殿湯が整備されたが、この管理も佐藤家に任せられた(現在のホテル佐勘の祖)。

江戸時代初期までは、秋保温泉の源泉は一つで入浴場も一箇所のみであった。この入浴場の周りに宿泊所が設けられていた。当初、この宿泊所も佐藤家だけが管理していたが、1625年寛永2年)に岩沼屋が、また元禄年間には水戸屋が、佐藤家と縁を結ぶ形で旅籠を開設する。武家はもちろん庶民の利用も活発となり、広く親しまれる湯治場の一つとして賑わうようになった。

大正時代に入ると秋保温泉と長町との間に、秋保石の採掘運搬を目的とした馬車軌道が開通した。しかし、所要時間は約2時間20分であり、徒歩での所要時間と大差なかった。その後、秋保石材軌道、秋保電気鉄道へと発展し、所要時間は約1時間に短縮された。さらに、長町駅では国鉄東北本線仙台市電と接続し、戦後にかけ湯治客の輸送に大きく寄与した(秋保電気鉄道は1961年に廃止されている)。

戦後、各旅館とも近代的な建築に建て替えが進んでいたが、1980年代に入ると高層の大型観光ホテルが次々建てられた。すると、人口約5千人の秋保町の財政では高層ホテルに対応するポンプ車やはしご車などの消防車を配備することが困難となり、町は1985年昭和60年)に仙台市と消防応援協定を締結した[7]。さらに、従来型の簡易水道や下水処理を大量の宿泊客に対応するための上水道下水道へ整備する必要にも迫られ、また、1981年(昭和56年)4月15日笹谷トンネル開通で仙台~山形間の最短路になった国道286号が通る町中心部近くにおいて、赤石橋周辺がボトルネックとなって周辺道路が週末に大渋滞する状況も解決しなくてはならなくなった。しかし、町単独の財政ではこれらのインフラ整備は困難と考えられ、1988年(昭和63年)に仙台市へ編入合併、翌1989年平成元年)に政令指定都市化という道を町は選んだ[8]

仙台市との合併後、渋滞の原因の1つである国道286号と宮城県道31号仙台村田線との接続部において、東北自動車道仙台南ICから温泉街入口までの国道286号に片側2車線の生出バイパスが整備され、その先の国道286号でもボトルネックの赤石橋を回避する赤石バイパスが新設された(1990年代に整備が進んだ山形自動車道も渋滞の解消には役立った)。また、国道48号からは林道のみのアクセスだったが、仙台西道路愛子バイパス県道秋保温泉愛子線と続く仙台都心からの新たな最短経路が建設され、更に国道457号もできた。これら道路の整備により、仙台都心から車で約20分、最寄インターチェンジから約10分という利便性を得た。また、釜房ダムなどを水源とする上水道が整備され、旧秋保町全体の下水道普及率も政令市移行時の29.6%から88.6%になり、湯元地区には仙台市消防局太白消防署秋保出張所も設置された[8]

バブル景気までは、各ホテル・旅館とも団体旅行や宿泊を伴う大型忘年会などで賑わい、宴会部門を主な収入の柱にした経営をしていた。また、同時期に仙台市に編入合併した旧宮城町内の作並温泉(片側1車線の国道48号あるいは全線単線仙山線作並駅でアクセス)と比べて利便性が高くなり、投資や観光客も集中した。しかし、バブル崩壊後は旅行の少人数化で宴会を伴わない客層に変化し、団体客が減少して宴会部門の収益が激減した。そのため、倒産したり、買収される旅館も出るなど、各ホテル・旅館とも収益構造の変化を強いられた。その中で、域外資本による低価格販売路線を打ち出す宿の登場や、既存の宿の方向性転換による個人客向け高級温泉宿など様々な宿が存在する温泉街へと変化した。

周辺観光地

宮城県内
山形県

アクセス

脚注

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注釈

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出典

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関連項目

外部リンク

テンプレート:温泉


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  1. 「特別展図録 なつかし仙台2 -いつか見た街・人・暮らし-」(仙台市歴史民俗資料館編集、仙台市教育委員会発行、2006年11月18日) P.18
  2. トピックス(仙台市市民センター「もうひとつの仙台 おいで 第3号」 1990年1月20日)
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  4. 秋保温泉財団法人仙台観光コンベンション協会)
  5. 5.0 5.1 コンベンション施設・ホテル一覧(財団法人仙台観光コンベンション協会)
  6. 6.0 6.1 引用エラー: 無効な <ref> タグです。 「MiyagiStats」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません
  7. 仙台市消防概況(平成20年版)の統計資料「テンプレート:PDFlink」より
  8. 8.0 8.1 (5)仙台市の20年(上) 拠点性高め百万都市に成長」(熊本日日新聞 2008年2月6日。特集『政令市を考える 第5部 まち どう変わる』)
  9. 引用エラー: 無効な <ref> タグです。 「AkiuServices」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません