東急目蒲線
|} 目蒲線(めかません)は、かつて東京都品川区の目黒駅と大田区の蒲田駅との間を結んでいた東京急行電鉄(東急)の鉄道路線である。
東京急行電鉄の母体でもある目黒蒲田電鉄が最初に開業させた路線である。2000年8月6日に多摩川駅(同日、多摩川園駅から改称)を境に以下の路線に分割され、「目蒲線」という名称は消滅した。
- 系統名としての分割
- 路線名としての分割
路線データ
路線の分割直前のもの。
運行形態
東急目蒲線の最終運行日(2000年8月5日)時点のダイヤで解説する。
すべての電車が各駅停車で運転され、原則として目黒駅‐蒲田駅間の通し運転だが、朝と夜を中心に奥沢駅発着(田園調布 - 多摩川間の改良工事開始前までは朝に田園調布駅発着)の区間列車も存在した。朝は3分30秒間隔、日中は7分30秒間隔、夜は5分間隔で運転されている。
歴史
1923年3月11日に目黒蒲田電鉄(目蒲電鉄)が目黒 - 丸子(現、沼部)間の路線を開業、次いで同年11月1日に蒲田までを全通させた。この路線が、のちの東急目蒲線である。
また、池上電気鉄道(現、東急池上線)も目黒 - 蒲田間の路線を計画し、同年5月には一部区間を開通させていたが、目蒲電鉄の全通によって計画の変更を余儀無くされた。
当時の営団地下鉄南北線・都営地下鉄三田線との相互直通運転が2000年9月26日に開始されるのに伴い、同年8月6日に運転系統が分離され、目蒲線は目黒線と多摩川線の2つの路線に分割された。
- 1923年(大正12年)
- 3月11日 目黒線として目黒駅 - 丸子駅(現、沼部駅)間(8.3km)開業。
- 10月 目黒不動前駅を不動前駅に改称。
- 11月1日 蒲田線として丸子駅 -蒲田駅間(4.9km)開業(全通)。全通後は目黒線と統合し、目蒲線に改称。
- 1924年(大正13年)
- 1925年(大正14年)10月12日 矢口駅(現:矢口渡駅) - 蒲田間に本門寺道駅開業。
- 1926年(大正15年)1月1日 調布駅を田園調布駅に、多摩川駅を丸子多摩川駅に、武蔵丸子駅を沼部駅に改称。
- 1928年(昭和3年)8月1日 武蔵小山駅 - 洗足駅間に西小山駅開業。
- 1930年(昭和5年)5月21日 矢口駅を矢口渡駅に改称。
- 1931年(昭和6年)1月1日 丸子多摩川駅を多摩川園前駅に改称。
- 1936年(昭和11年)1月1日 本門寺道駅を道塚駅に改称。
- 1945年(昭和20年)
- 6月1日 矢口渡駅 - 道塚駅 - 蒲田駅間休止(1946年(昭和21年)廃止)。
- 8月14日 矢口渡駅 - 蒲田駅間の新線開業。
- 1955年(昭和30年)11月5日 架線電圧を600Vから1500Vに昇圧。
- 1965年(昭和40年) 洗足駅を環七通りとの立体交差のため地下化。
- 1966年(昭和41年)1月20日 鵜ノ木駅を鵜の木駅に改称。
- 2000年(平成12年)8月6日 目黒線と多摩川線に分割され、目蒲線は消滅。多摩川園駅を多摩川駅に改称。
使用車両
駅一覧
東急目蒲線の最終運行日(2000年8月5日)時点の停車駅とその接続路線を記述する。現在の各停車駅の接続路線については「東急目黒線」・「東急多摩川線」の項を参照。
全駅東京都に所在。
駅名 | 駅間キロ | 累計キロ | 接続路線・備考 | 所在地 |
---|---|---|---|---|
目黒駅 | - | 0.0 | 東日本旅客鉄道:山手線 | 品川区 |
不動前駅 | 1.0 | 1.0 | ||
武蔵小山駅 | 0.9 | 1.9 | ||
西小山駅 | 0.7 | 2.6 | ||
洗足駅 | 0.7 | 3.3 | 目黒区 | |
大岡山駅 | 1.0 | 4.3 | 東京急行電鉄:テンプレート:Color大井町線 | 大田区 |
奥沢駅 | 1.2 | 5.5 | 世田谷区 | |
田園調布駅 | 1.0 | 6.5 | 東京急行電鉄:テンプレート:Color東横線(自由が丘・渋谷方面、菊名・横浜・桜木町方面 急行・各停) | 大田区 |
多摩川園駅 | 0.8 | 7.3 | 東京急行電鉄:テンプレート:Color東横線(菊名・横浜・桜木町方面 各停) | |
沼部駅 | 0.9 | 8.2 | ||
鵜の木駅 | 1.1 | 9.3 | ※4両編成時、目黒寄りの1両は締切扱い。 | |
下丸子駅 | 0.6 | 9.9 | ||
武蔵新田駅 | 0.8 | 10.7 | ||
矢口渡駅 | 0.9 | 11.6 | ||
蒲田駅 | 1.3 | 12.9 | 東京急行電鉄:テンプレート:Color池上線 東日本旅客鉄道:京浜東北線 |
廃駅
- 多摩川駅(初代)(多摩川駅 - 沼部駅間)
- 1923年(大正12年)3月11日に開業し、1926年(大正15年)1月1日に現在の場所に移転したことにより廃止された。
- 道塚駅(矢口渡駅 - 蒲田駅間)
- 1925年(大正14年)10月12日に本門寺道駅として開業し、1936年(昭和11年)に道塚駅に改称され、1946年(昭和21年)5月31日に廃止された。
東急目蒲線を題材にした作品
- 目蒲線物語(おおくぼ良太)
- 「ぼくの名前は目蒲線〜」というフレーズで知られ、擬人化した目蒲線の視点から、1980年代の目蒲線のローカルっぷりをコミカルに唄う。東京近辺をモチーフにした「本編」と本当の親などの設定が北海道・九州に広がる「全国篇」、さらに「糸井重里篇」「大島渚篇」が存在する。
- 文化放送のナイターシーズンオフ番組(現在は竹内靖夫の電リク・ハローパーティー)で、シーズンごとに1回だけこの曲をかけることが恒例となっている。
- 目蒲線の女(歌:日吉ミミ)
- 沿線のゲームメーカー ナムコ(現バンダイナムコゲームス)のゲーム作品「リブルラブル」に登場する楽曲をアレンジした、歌謡曲風のコミックソング。アルバム「ビデオ・ゲーム・グラフィティ」(発売:ビクター音楽産業)収録曲。歌詞には目蒲線の駅名が多数登場し、地下化される前の田園調布駅を目蒲線に乗って通過する女が目撃したホーム上の光景から、破局を迎える男女の別れが歌われている。
その他
現在は多摩川駅で目黒線と多摩川線に系統分離されているが、かつても似たような運行形態をとっていた時期があった。1926年(大正15年)2月14日に東京横浜電鉄(現:東横線)の神奈川駅(廃止) - 丸子多摩川駅(現:多摩川駅)間が開業すると、神奈川駅 - 目黒駅間の直通運転が実施された。これに伴い、丸子多摩川駅 - 蒲田駅間は折り返し運転となった。1927年(昭和2年)8月28日に東京横浜電鉄が渋谷駅まで全通したことで、運行形態は元に戻った。(出典:『東急の駅 今昔・昭和の面影』82頁)
蒲田駅から京急空港線に接続し羽田空港駅(現:羽田空港国内線ターミナル駅)に乗り入れる連絡線『蒲蒲線構想』がある。当初は京急蒲田駅で接続する計画であったが、現在は大鳥居駅で接続する計画である。詳細は「蒲蒲線」を参照。